えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
ぼくの好きな現代の日本の画家に草間彌生という人がいるのだけど、その人は、絵を描かなければ生きていけないような、そんな人ではないのか、と彼女の展覧会を見て、いつも思ってしまう。今日、この人も、そのように絵を描かなければ生きていけないのではないか、と横浜美術館で「松井冬子展 世界中の子と友達になれる Fuyuko MATSUI Becoming Friends with All the Children in the World」を見て思ったのだった。
彼女は新進の日本画家で展覧会の絵を見ながら、ぼくは、鳥肌が立つような驚きの感動すらおぼえた。日本画家というより、その絵は世界的なもので、確かに日本画の形式で描いているのだけど、普遍的な今をすら表しつつ、いつまでもの絵であるつづけるだろう。そして、この新しい画家が今の時代と今の世界によりそい、併走し、どこにいくのか、とても楽しみです。
それから絵というのは、ネットとか本で見るより、実物を見ると、ぜんぜん違いますね。
松井冬子さんのホームページ
http://matsuifuyuko.com/index.html
劇場で見たいと思いつつ見損なって、数年後にレンタルビデオやらDVDで見るというようなことは、あることだと思うのだが、ヒット作を遅れて見ました。それは三谷幸喜監督の「ザ・マジックアワー」。古き横浜らしきところをモデルにした架空の街を舞台にした2時間以上ものコメディーなのだった。
昔、横浜に勤めていたのだけど、やはり横浜って独特の雰囲気があって、横浜の人って、みんな、横浜が好きらしいことを思い出したりもした。
この映画、ドラマがテンポよく進み、セリフがウィットとユーモアに富んでいておもしろく、あきさせない。それから、絵が昔のカラーになったばかりのころの映画みたいでノスタルジックなんです。そして、今の時代、ノスタルジックがもっともラジカルであるような気もするのだった。どうしてだろうか? ノスタルジーはマジックアワーで、日没後の薄明の一日のうちの最も美しい時間帯のようなことかもしれない。
昔、横浜に勤めていたのだけど、やはり横浜って独特の雰囲気があって、横浜の人って、みんな、横浜が好きらしいことを思い出したりもした。
この映画、ドラマがテンポよく進み、セリフがウィットとユーモアに富んでいておもしろく、あきさせない。それから、絵が昔のカラーになったばかりのころの映画みたいでノスタルジックなんです。そして、今の時代、ノスタルジックがもっともラジカルであるような気もするのだった。どうしてだろうか? ノスタルジーはマジックアワーで、日没後の薄明の一日のうちの最も美しい時間帯のようなことかもしれない。
こんな夢を見た。ぼくは居間でこたつに入って昼寝をしている。ふと隣を見るとレオ(飼っていた犬です)が隣に寝そべっている。ぼくは、生き返ったのか、とひとりごち、レオを撫でてやる。足のもものところが丸く小さく毛がはげているところがあるだけで、元気そうだ。ぼくは、レオに吠えてごらん、と声をかける。レオは口を大きくあけて、吠えようとするが、小さな声しか出ない。そうか、今ここにいるレオは霊なのかもしれず、だから、声が出しにくいのかな、と思う。そのあとレオは立ち上がり、玄関の方に小走りリをして、ぼくはレオのあとについていく。レオが玄関のドアのところで、いきなり消えてしまう。ぼくはあわてふためく。すると、母が後ろのほうで、ぼくに、どうしたのか、と声をかけてくる。ぼくは取り乱し、レオの幻覚を見た、レオの幻覚を見た、と訴え、自分の気が狂っているのではないかと疑う。母は、そんなこともあるよ、とぼくに言う。
そこで目が覚めた。レオの夢をよく見るなと思いもし、レオのいない寂しさが明けやらぬ静かな未明にやってきた。
そこで目が覚めた。レオの夢をよく見るなと思いもし、レオのいない寂しさが明けやらぬ静かな未明にやってきた。
「禅マインド ビギナーズ・マインド」という本を読んだ。これは北米に渡り、禅と仏教を広めた曹洞宗のお坊さんである鈴木俊隆さんの法話を本にしたもので、スティーブ・ジョブスも愛読したという。企業家のスティーブ・ジョブスが愛読したのなら、詩人のアレン・ギンズバークや小説家のジャック・ケラワックも愛読したのだろうか、と思い、いや、この本が出版されたのは1970年であるらしいから、ケラワックは既に没していたのに気づいた。ジム・モリソン以外のドアーズのメンバーが通った禅の道場とはこの鈴木さんのお寺、桑港寺だったのかしれない、と想像をたくましくする。そして、この本の出版後、1971年に鈴木俊隆さんも亡くなられた。
この「禅マインド ビギナーズ・マインド」には、禅では世界をどのように見て、どうとらえるのか、その精髄がやさしい言葉で語られていて、まず初めに読むようないい意味で教科書的な一冊となっている。何度でも読みたくなってくる。ところで、鈴木俊隆さんとはどのような人だったのだろう。この本の訳者、松永太郎さんのあとがきから引用させてもらいます。
「「海の向こうで、戦争しているのに、私たちは、ここでなにをしているのですか?」
老師は、聞き取れなかったので、弟子のジョン・スタイナーがもう一度繰り返しました。彼は、カリフォルニア大学バークレー校で反戦運動に参加していました。その日、マーケット・ストリートでは反戦のデモが予定されていました。
「海の向こうで戦争しているのに、なぜ、ここでみな集まっているのですか?」老師は微笑み、ジョンも微笑みました。
突然、猫がねずみを襲うよりもすばやく、老師は、上座から飛び降りて、ジョンの後ろに回り、警策(眠気をさまし、怠りを励ます木[主に樫]の棒)を伸ばして、大声で「合掌!」といいました。それから何度もジョンを打ち、叫びました。「愚か者。愚か者。時間を無駄にしておる」彼は何度もジョンを打ったので、ジョンは前のめりに倒れてしまいました。「夢を見ているのだ! 夢を見ているのだ! なんの夢を見ているのだ!?」
師が声を荒げたことを一度も聞いたことのなかった聴衆は、驚愕のあまり口もきけませんでした。師は、息切れして、ほとんど聞き取れない声でいいました。「怒っているわけではない。ただ・・・・・・」息をついでから「自分の靴の紐も結べないのに、なにをしようというのだ」
あとになって師は、ジョンに乱暴だったことを詫びたあと、「戦争中の日本の体験を思い出してな」といいました。ジョンは師の目に苦痛の色を見ました。袈裟の長い裾が、細い腕にかかっていて、ジョンは師の老齢、かぼそさ、その慈悲と苦悩に打たれたのです。」
禅とは何なのだろう。仏教とな何なのだろう。悟りとは何なのだろう。和尚、とにかく座ってみろということでしょうか。
二軒の立ち寄り湯のはしごをしてしまった。というのも、この正月にポータブルのカーナビを買ってしまい、それを使ってどこかへ行きたかったのです。
で、多摩川の源流となる山梨の北都留郡までドライブしたのです。しかし、中央道の上野原のインターを出てから、山道、峠道をぐねぐね走りつづけなければいけない。ずっとCCRをカーステでかけながら、ナビの音声にも耳を傾け、着いたところは小菅村の「小菅の湯」。田舎だー。湯は普通の温泉の気がした。ここでお昼ごはんを食べたのですが、そばがおいしかったです。それから、山女魚の一夜ぼしというのを食べたのですが、これもとてもおいしかった。
さて、もっと山奥にもう一軒、立ち寄り温泉があるというので、カーナビをセットして、「小菅の湯」を後にし、着いたところは丹波山村の「のめこい湯」。ここのお湯は、あっさりとした硫黄泉で、好みの感じ。気にいって、内湯のぬるめの湯にかなり長い間、つかってしまった。
帰りも迷わず、夕方の山道を走らせました。さて、気づいたことがあって、家から近い、藤野にある「東尾垂の湯」はかなり上等だということ。けれど、ぼくがもっとも好きな湯は下部温泉の「湯元ホテル」の湯というか、あの温かい湯と冷泉を交互に入るあれを思い出してしまう。
もう一つ気づいたこととして、CCRはドライブで聴くと、あの愚直なまであつくるしい歌と演奏がとても気持ちいいのでした。
小菅の湯のホームページ
http://www.kosugenoyu.jp/
のめこいの湯のホームページ
http://www.nomekoiyu.com/
東尾垂の湯のホームページ
http://www.higashiotarunoyu.jp/
下部温泉湯本ホテルのホームページ
http://www.shimobeonsen.com/
で、多摩川の源流となる山梨の北都留郡までドライブしたのです。しかし、中央道の上野原のインターを出てから、山道、峠道をぐねぐね走りつづけなければいけない。ずっとCCRをカーステでかけながら、ナビの音声にも耳を傾け、着いたところは小菅村の「小菅の湯」。田舎だー。湯は普通の温泉の気がした。ここでお昼ごはんを食べたのですが、そばがおいしかったです。それから、山女魚の一夜ぼしというのを食べたのですが、これもとてもおいしかった。
さて、もっと山奥にもう一軒、立ち寄り温泉があるというので、カーナビをセットして、「小菅の湯」を後にし、着いたところは丹波山村の「のめこい湯」。ここのお湯は、あっさりとした硫黄泉で、好みの感じ。気にいって、内湯のぬるめの湯にかなり長い間、つかってしまった。
帰りも迷わず、夕方の山道を走らせました。さて、気づいたことがあって、家から近い、藤野にある「東尾垂の湯」はかなり上等だということ。けれど、ぼくがもっとも好きな湯は下部温泉の「湯元ホテル」の湯というか、あの温かい湯と冷泉を交互に入るあれを思い出してしまう。
もう一つ気づいたこととして、CCRはドライブで聴くと、あの愚直なまであつくるしい歌と演奏がとても気持ちいいのでした。
小菅の湯のホームページ
http://www.kosugenoyu.jp/
のめこいの湯のホームページ
http://www.nomekoiyu.com/
東尾垂の湯のホームページ
http://www.higashiotarunoyu.jp/
下部温泉湯本ホテルのホームページ
http://www.shimobeonsen.com/
昨日までが松の内だということで、箱根神社に参ってきた。ぼくの大好きな神社です。その隣にある九頭竜神社にも参ってきた。後から知ったのだけど、九頭竜とは病気を食べてくれる守護神でもあるらしい。ゆめゆめうたがうことなかれ。
それから、夕方、町田の万象房のオープンマイクに歌いに出かけた。少し遅れていったら、いっぱいの人が既に集っていた。着いてビールを飲んだ。最近、晩酌をやめたからか、酔うということをとてもよく感じます。すぐに、あー、酔っ払ったとなります。でも、さめるのもなんか早くなったな。おっと、脱線。
いろんな人の歌を聴き、ぼくも歌いました。近頃作った「赤いリムジン」という歌でこんな詞です。この前までキーをGで歌っていたのですが、なんかしっくり来なくて、DOORSの"L.A. Woman"がAの曲なので、Aに変えました。なんか、よくわからない理由ですが、"L.A. Woman"はJim Morrisonの自伝的な曲だということをどこかで見た記憶があって、Jimの詞を見てもどこが自伝的であるかはうまく諒解できないのですが、ぼくの「赤いリムジン」は確かに自伝的だろう。こんな詞です。
「まっかなリムジン
いかしたリムジン
いかれたリムジン
ごきげんなリムジン
おいら、まっかなリムジンに乗っていた
みんなを乗せてドライブしたよ
どこまでもいつでもぶっとばしたぜ
まっかなリムジン
いかしたリムジン
いかれたリムジン
ごきげんなリムジン
真夜中まで眠らず働いて
朝になるまで歌いつづけた
あのおいらのドライブするまっかなリムジン
あーあー、月の裏側まで歌が届く
あーあー、月の裏側までリズムが響く
真夜中まで眠らず働いて
朝になるまで歌いつづけた
あのおいらのまっかな、まっかなリムジンは、
あれは、黒い、黒いリムジンだったのさ
おれの体は壊れてしまった
もうリムジンなんかでドライブしないぜ
あーあー、銀河の向こうまで歌は届く
あーあー、銀河の向こうまでてくてく歩く
走らされていたよ
歩いていくよ、歩いていく
走らされるより歩いていくぜ」
そうだ、リムジンなんかやっつけてやる。そして、次に歌った歌は去年、友だちの二人のために作った"Garden Of Love"という歌です。
「小さな庭に、小さな種を
うえましょう
小さな種から、小さな花が
いっぱい咲くでしょう
小さな鳥たち、歌っているよ
ああ、雨や風、お日様もあたる
きみとぼくとのいつまでもGarden of love
小さな庭に、小さな花を
咲かせましょう
愛の庭で、愛の花が
いっぱい咲くでしょう
お月さまさえ歌っているよ
ああ、嵐に負けない、お日様がのぼる
きみとぼくとのいつまでもGarden of love
さあ、愛の庭で、愛の花を
いっぱい咲かせましょう
いつまでも咲いているよGarden of love
いつまでも咲いているよGarden of love」
気がつけば、2012年の歌い始めだったのです。
万象房のページ
http://musictown2000.sub.jp/banshowboh/open_cafebanshowboh.htm
こんな初夢を見た。ぼくはレオ(昨年、死んでしまった犬です)と散歩をしている。レオは元気そうにリードを引っ張ってどんどん進んで行く。ふと、レオが振り返ってぼくにテレパシーを送ってくれる。えいちゃんは生きていることが楽しくないの? ぼくは楽しかったよ。生きている時しかできないいろんなことができるよ。ぼくは答える。そうだような、レオ、生きていることって楽しい。
そこで目がさめた。レオ、いろんなことを教えてくれてありがとう。
そこで目がさめた。レオ、いろんなことを教えてくれてありがとう。