えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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こんな夢を見た。ぼくはある大事なお客さまをつれて家に帰ってくる。すると家に去年、死んだはずの犬、レオがいる。レオが帰ってきたんだと思い、父と母のところに行き、レオが帰って来ているよと呼びかける。父と母もレオののところに来て、あー、帰ってきたんだねーと言う。レオはお客さまにもしっぽをふって、うれしそうに挨拶をする。けれども、ちょっと目を離したすきにレオは見当たらなくなる。ぼくはレオのいなくなった庭を眺める。やっぱ、また、レオはいなくなったんだと思う。ぼくはあの日のように嗚咽して泣いている。

そこで、目がさめた。レオが死んでからもうそろそろ一年かぁ。ところで、不思議なことにこの夢に出てきた大事なお客さまとは、誰なのか思い出せないのです。誰なのでしょう?
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作家であり詩人である辺見庸さんの「瓦礫の中から言葉を わたしの<死者>へ」を読む。この前の震災で壊滅状態となった宮城県石巻市出身の詩人は、この散文集の中で3・11論ならぬ、3・11後論を立て、例えば、それ以降の日本の中の言葉はむしろ自由が狭められてはいないか、と問いていて、軽くなってしまって何も語らなくなった日本人とその言葉に疑問を投げかけている。そして、本当の言葉とは何かを求めようとしている。

少し前に辺見さんはNHK製作のドキュメンタリーに出演していて、その中で石巻のことを語り、詩人にとっての石巻は荒くれた漁師町で、石巻のことをやさしいとか美しかったとか言ってほしくない、むしろ、おっかない町だったと言って欲しい、と語っていて、詩人は生臭くすえた港にまとわりつくの魚の匂いやら魚のせりの時の怒声やら祭りの時の喧嘩のことやらを思い出すらしく、そんな彼に、ぼくは、なるほどとも思ったのだった。

例えば、近頃、聞こえてくる歌も何も歌ってはいなく、何も歌われなくなってはいないか、と音楽好きのぼくは思ってしまう。そんな歌は、聞かなければいいだけのことかもしれないけれど、この本は、忌野清志郎とほぼ同じ年代の兄貴である辺見庸さんからの、ブルースは忘れない方がいい、そして、ブルースによって重い錨を深く下ろし、本当のこと歌わなくてはならない、本当のことを探求すべきだ、というメッセージであると感じた。この本に引用された宮澤賢治の本当の言葉、詩「眼にて云う」をここでも引用しつつ、ぼくはこんな本を書いた同時代の詩人にレスペクトとエールを送ります。おやすみZZZzzz.....

血が出ているにかかわらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですから
ただどうも血のために
それを云えないがひどいです
あなたの方からみたら
ずいぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。











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今日はジャニスの誕生日

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音楽は洋物かぶれのぼくですが、この前、近所のコンビニで買った畑野英三さん監修の「<<神さまとご利益がわかる>>日本のお守り」という本は良かったです。

日本人ってこんな人たちだったんだなと思うし、まだそんな日本人の心って残っている、残っていって欲しい、と願います。日本万歳! 小さな祈りや願いが小さな玩具となって誰かの手に渡りっていきます。そんなおもちゃでもあり願いを叶えてくれるお守りですが、そのたくさんが失われつつあるみたいなのがとても残念でもあります。こんな小さなものをなくしていくということは、心をなくしていくようなものなんだよ。

ぼくは寝る前とかにこの本を眺めて楽しい気持ちになるのですが、いい夢も見られそうなのです。では、おやすみZZZzzz.....










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イタリア文学、パヴェーゼの「美しい夏」を読み終えました。ムッソリーニのファシスト政権時代の大人になる前の少女を描いた美しくも少し暗い絵のような小説でした。フランスの作家、ポール・ニザンの「アデン、アラビア」の有名な書き出し「ぼくは二十歳だった。それがいちばん美しい歳だとは誰にも言わせない」を思い出した。短い一文なのだけど「美しい夏」の書き出しも素晴らしい。

「あのころはいつもお祭りだった」

それはもっとも美しい少女の時のお祭りであるのだけど、戦争とファシズムがもたらすお祭りでもあるのかな、と思った。人生も、世界も、何か残酷なものがあり、そのお祭りにも終りがやってくる。お祭りのあとの灰色を思う。軍事政権下の言論統制か何かもあり、発表されずに第二次世界大戦中に書かれていたこの小説は、大戦後に上梓され、作者のパヴェーゼは自殺し、帰らぬ人となってしまう。不謹慎な言い方かもしれないけれど、、戦時中、反ファシストということで逮捕されたこともあるパヴェーゼにも戦争という夏の祭りの終りはやってくる。その喪失感はやはりあったのかもしれない。

それから、ミケランジェロ・アントニオーニ監督のイタリア映画「さすらい」を思い出した。イタリア・ネオ・リアリズモの傑作はこの「美しい夏」に何か通じるものがあるのかもしれない。

あぁ、イタリア。話は戦争に戻り、敗戦したイタリアの市民はムッソリーニを銃殺し、その死体を逆さ吊りにして市内を引き回したそうだ。

今は夏の終りです。








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府中市美術館へ「ポール・デルヴォ―/夢をめぐる旅」展を見に行ってきました。美術館についたころ自分が風邪気味でちょっと微熱もあるらしいことに気付きましたが、そんなダウナーな時に見るデルヴォーが、また良かったのです。

シュール・レアリズム以前のデルヴォーの印象派的な森の絵やドイツ表現主義的な女性像も良かったです。しかし、デルヴォーといえば、蒸気機関車と宮殿とほんのかすかに微笑むような女たちの絵でしょう。「トンネル」というそんな作品も見ることができました。蒸気機関車と女たちの取り合わせは、微熱の夢の中に漂うとても静かなエロスです。九十六歳まで生きたデルヴォー。筆を置いたのは最愛の妻、タムの死去の時の九十一歳の時1988年。デルヴォーに絵に登場する女たちからユングのいうアニマというようなことを思う。絶筆のシュール・レアリズムを遠くは離れた水彩画もすばらしいけれど、ここで描かれた一人の女。生涯、妻のことを描いたというより妻のために描いたのだろうか。その女たちは虚無のようにすべてを含んでいるのかもしれない、などと思いながら、ぼくはおやすみなさいと言い、夢の世界にまた戻ることにします。

http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/index.html
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多和田葉子著「犬婿入り」という文庫本を読了した。同冊に「ペルソナ」という中編も収録。両辺とも日常の不思議な亀裂を描いていて、その軽い奇妙感にリアルな目眩を覚えました。これはあの「雪の練習生」作家の初期作品で「犬婿入り」は芥川賞受賞作。なんとなく梅崎春生を思い出した。こんな作家が同時代にいるのなら日本文学は健在だ。










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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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