えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

ゆるーいハイキングということで、小田急線向ヶ丘遊園駅から歩いて15分のところの日本民家園に行ってみた。ここは昔、遊園地だったあたりで、月日とともに変わりゆき、今では、かなり広い丘というか、もしくは小高い山の中の森に日本各地からの古民家が移築されていて、1時間ほどのハイキング・コースになっている。
昔の日本家屋はけっこう広いんだな、と思った。いくつか、家屋の中も見学できるようになっていて、平日の人の少ない昼間に枕を持ってやってきて、これらの古い家屋の中で昼寝などをしたい、などと思った。どんな、夢をこの古い家たちはぼくに見せてくれるのだろう?
あるイギリス人はイラク戦争に向かうアメリカ人を見て、彼らは敗れ、彼らの牧場に帰っていくだろう、と言ったそうだが、ぼくたちはこれからの100年をかけて、ぼくたちの里山に帰っていくのではなかろうか、そんなことを夢見るように思い浮かべた。アフリカ人ならば、草原に帰っていき、南アメリカではアンデスの湖のほとりに帰っていく。バビロンにはもう戻らない。その時、ぼくたちの水車小屋では蕎麦豆から蕎麦粉にする、かたかたという音が聞こえてきそうな気もしてきて、午後の懐かしい夢が、麦わらの匂いとともにやって来そうだった。


映画「オン・ザ・ロード」がとてもおもしろかったので、ジャック・ケルアックの原作を本当にとても久しぶりに読み返してみた。昔は「路上」と題されていたこの長編小説が今は文庫本として映画と同じく「オン・ザ・ロード」と題されて河出書房新社から出されていて、昔は確か古本屋で単行本を買ってよんだことを思い出し、なんとも便利な世の中になったものだ、と思う。その昔、読んだ単行本の「路上」が青山南さんの訳であったのかは思い出せなく、今、読み終えた「オン・ザ・ロード」の青山さんの日本語もすばらしく、イマジネイティブ。
このジャック・ケルアックの路上が無ければ、ボブ・ディランやジム・モリソン、ルー・リードらのロックン・ロールの伝説の人たちも登場してこなかっただろう。特にジム・モリソンの詞と詩はケルアックの散文に込められた詩の心の延長線上に位置するようにも思われた。
「オン・ザ・ロード」は話の筋もないような北米大陸を放浪する物語でもあるのだが、ケルアックのとりとめもない散文は韻律を伴うかのような詩の美しさが宝石のようにきらめいている。訳した青山南さんに敬意を表しつつ、例えば、第3章の7のラストを引用させて、この本を自由を求める誰にでも薦めたいのです。
「西部もこのあたりになると、ワイオミングの州でもそうだったが、夜は、星々がローマ花火のようにでかく、まるで先祖の森を見失った達磨王子が北斗七星の柄のなかの空間を転々とひたすら旅して森をふたたび見つけようとしているかのように孤独だ。そんな風に星々がゆっくり夜を回しているうち、じっさいに朝日が昇る時間よりもずっと早くに、大きな赤い光が、西カンザスのほう、灰褐色の荒涼とした土地のはるか向こうに現れ、鳥たちがデンヴァーで囀りを始めた」
「オン・ザ・ロード」の英雄ともいうべき自由そのもであるような登場人物、ディーン・モリアーティことニール・キャサディは42歳で1968年にメキシコの路上で全裸で死んでいるのを発見され、ディーンを追いかける語り部のサル・パラダイスことジャック・ケルアックもその翌年、47歳で、その精神的跡継ぎともいうべき若者たち、ヒッピー・ムーブメントのアメリカの長い髪をした反戦の子どもたちに大酒を飲みながら悪態をつき、孤独のうちに逝ってしまう。
ジャックによって残されたのは驚きのような人生への賛美に満ちた散文と韻文で、知らない荒野の遠くを指差すような、生きよ、という声が聞こえてくる。そして、同時に兄弟のような呼びかけで、どこまでも、いかれたバスでドライブしようぜ、というニールの声も聞こえてくる。Yes, yes, yes!


風邪をひいたりして体調が悪くなり熱にうなされていつも見る夢がある。こんな夢です。
ぼくの部屋の窓から連なる高くて大きな山脈が見えて、その山々が遠いのに迫るように見えてきて、なんてきれいなんだろう、と思うと、魂のような、または霊魂のようなものが、肉の体から抜けだして、その山脈のどこかの一番高くて厳しい山の頂上付近に自分がいる。きりたったその山から見えるその山からの景色のそのあまりの高さに怖くも感じられるのだけれど、その清浄なる美しさに何か浄化されていき魂の根本から治癒されるようにも感じる。山から自分の霊が肉の体に戻ると、その美しい山脈に見とれている自分がいて、その時、目を覚ましてしまう。
さて、「ユング自伝」からの引用です。
「背景のどこか奥深いところで、私はいつも自分が二人の人物であることを知っていた。一人は私の両親の息子で、学校に通っていて、他の多くの少年たちより利口でも、注意深くても、勤勉でも、礼儀正しくも、身ぎれいでもなかった。もう一人の人物は、おとなで――実際老いており――懐疑的で人を信用せず、人間からは疎遠だが、自然すなわち大地、太陽、月、天候、あらゆる生き物には近く、なかでも、夜、夢、『神』が直接に彼の中で作るいっさいのものとは近かった。(中略)卑劣で、虚栄心に満ち、嘘つきで、嫌なくらい自己中心的な『人間』よりも、高い山、川、湖、木、花、動物などは、神の本性をよりよく表していた」
ぼくは山からもやってきたのかもしれない。ぼくは誰なんだろう? おやずみZZZzzz.....
ぼくの部屋の窓から連なる高くて大きな山脈が見えて、その山々が遠いのに迫るように見えてきて、なんてきれいなんだろう、と思うと、魂のような、または霊魂のようなものが、肉の体から抜けだして、その山脈のどこかの一番高くて厳しい山の頂上付近に自分がいる。きりたったその山から見えるその山からの景色のそのあまりの高さに怖くも感じられるのだけれど、その清浄なる美しさに何か浄化されていき魂の根本から治癒されるようにも感じる。山から自分の霊が肉の体に戻ると、その美しい山脈に見とれている自分がいて、その時、目を覚ましてしまう。
さて、「ユング自伝」からの引用です。
「背景のどこか奥深いところで、私はいつも自分が二人の人物であることを知っていた。一人は私の両親の息子で、学校に通っていて、他の多くの少年たちより利口でも、注意深くても、勤勉でも、礼儀正しくも、身ぎれいでもなかった。もう一人の人物は、おとなで――実際老いており――懐疑的で人を信用せず、人間からは疎遠だが、自然すなわち大地、太陽、月、天候、あらゆる生き物には近く、なかでも、夜、夢、『神』が直接に彼の中で作るいっさいのものとは近かった。(中略)卑劣で、虚栄心に満ち、嘘つきで、嫌なくらい自己中心的な『人間』よりも、高い山、川、湖、木、花、動物などは、神の本性をよりよく表していた」
ぼくは山からもやってきたのかもしれない。ぼくは誰なんだろう? おやずみZZZzzz.....


映画「そして父になる」がとても良かったので、その映画製作の參考書籍と謳われる奥野修司さんの著した「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年」を読んだ。これは映画の原作ではなく一つのドキュメンタリーで、フィクションである映画よりも一層に深刻でさらにいろんなことがメッセージとして胸に重く響く。
親が子どもに与えることのできる最高のものとは何だろう? 悲劇としか表しようのない話なのだが、最後まで読み進むと、うっすらとした一筋の救いのような、あたかも希望の光のようなものが差し込んでくるようにも感じられもし、すべては神様のもたらした配材、計らいだったのだろうか、と安堵もまじった嘆息をした。ただただ、子どもたちに幸あれ。


よく朝、小雨の中、下部の温泉の町から本栖湖に向かい、西湖、河口湖、山中湖を抜けて、道志道から相模湖に向かい、帰りました。本栖湖から西湖への道で青木ヶ原の樹海の中を抜けるのですが、紅く色づいた葉が水に光り、その葉っぱたちが冬の前の栄華を競うかのようで、美しい絵の中を車で走っているかのようでした。特別なことはなく、ただ秋なんです。秋は小雨ですな。感動して目がうるみました。これを写真には写せないだろう、と思い、写真はあえて撮りませんでしたが、夢に出てきそうです。と言うより、夢の中にいたみたいです。おしまい。
http://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/p1_4615.html
http://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/p1_4615.html


本当に昭和の香りがぷんぷんする温泉旅館に泊まります。今日は団体客がいて、いつもより賑わっています。向かいの旅館が火事で焼失しているのは少しショック。やはりその写真は撮りませんでした。そんかわりに窓から温泉街の情緒ある町並みをパチリ。夕食前に温泉に入っていると、一見さんの団体客が入ってきますが、ぬる湯には入ろうとはしませんな。昔、初めて来た時に仲居さんが説明してくれたここの温泉を思い出します。まずわかし湯に入り、体を温める、そして、ぬる湯に入り長くつかる、さらに、わかし湯とぬる湯を入るのを繰り返す、あがる時にさっとわかし湯に入る。こうすると本当に気持ちいいのです。ぬる湯は30度ぐらいの温度で、入る時すこし冷たいと感じるのだけど、すぐに慣れて、慣れるとのぼせることがないので、いつまでも入っていられて、そのうちすこしだけぬめった湯が少しづつ肌に吸い込まれるようで、体中に小さな気泡に粒がまとわりつくのです。これが気持ちいい。いつまでも入っていたくなります。下部温泉のこの入り方とこの湯、最高ですな。
http://www.shimobe.org/


甲斐黄金村湯之奥金山博物館に行きました。金山のジオラマや再現模型、ビデオなどを見ながら、金山でにぎわっていたこの地に思いをはせました。このあたりは、温泉しかない先祖代々の貧しい地域であった、となんとなく想像していたのは大間違いで、女郎屋すらもあった武田信玄の昔から栄えていた金山だったのです。昔の人のにぎわう声が聞こえてくるようでした。
http://www.town.minobu.lg.jp/kinzan/


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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