えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

こんな夢を見た。ぼくは会社から緊急事態が発生したということで、徒歩の帰宅指示を受け取る。ぼくは歩いて家に帰ろうとすると、いつの間にか見知らぬ住宅街を今のではなく前の会社の友だちと歩いている。その友だちとも帰る途上で別れてしまい、一人で住宅街を歩いている。あたりはうっすらと白い灰のようなもやがかかっており、その中に黒いもやがまじっているのだが、その黒い方のもやは猛毒であることをぼくは知っており、それをよけて歩かなくてはならない。ふと西の方の空を見ると、富士山があり、山頂から巨大の噴煙を立ちのぼらせている。帰宅指示の理由はこれだったのか、と思うのだが、これぐらいでは大したことはない、とも感じる。なにしろ日本人は、大昔から今まで、災害の巣のようなところで生きてきたのだから、と思う。しかし、なんて巨大な噴煙なんだろう、ついにそれは起こったのだと、富士山を見る。
そこで目が覚めた。正夢にならないといいのだが、明日、正夢になるかもしれない夢。ぼくの個人的な不安がこんな夢をぼくに見せたのだろうか? それとも、富士山の東側では近頃、小さな地震が頻発しているらしいことを、ぼくはこの前、知った。
そこで目が覚めた。正夢にならないといいのだが、明日、正夢になるかもしれない夢。ぼくの個人的な不安がこんな夢をぼくに見せたのだろうか? それとも、富士山の東側では近頃、小さな地震が頻発しているらしいことを、ぼくはこの前、知った。


年の終わりもおしせまったこんな時にこんな夢を見た。ぼくは天皇陛下に今の庶民はどういう風なのかを知らせる役をつかまつる。その任務とは聞かなくなったレコードを天皇陛下に奏上し、天皇陛下とお話をするというもの。ぼくは古い日本や外国のたわいもない知らないポップスのレコードを持ってジーンズとチェックの長袖のシャツというラフななりで天皇陛下に会いに行く。天皇陛下はだった広いベッドと椅子だけ部屋におられる。天皇陛下の隣に美智子皇后もおり、二人でぼくはを出迎えてくれる。天皇陛下はぼくの差し出したレコードをありがとう、とおっしゃり、受け取られて、ぼくの庶民の現状についてのいろんな話に相槌を打たれる。ぼくは天皇陛下ってなんてやさしい礼儀正しいいい人なのだろうか、と感動してしまう。
そこで目が覚めた。統合失調症の症状の一つとして皇族との関係妄想の話を聞いたことがあるのだけど、ぼくは大丈夫なのだろうか、と思った。戦前の軍国主義に復古させようという政治勢力がこの日本にはいて、ふと、天皇陛下の心中を手前勝手に思ってしまうことが、最近あるのだけど、どうなのだろう。ぼくは今の天皇陛下のいろんな機会での発言に大きく共感してしまうことが、ほとんどなのですが、だから、こんな、ある人たちから見ると不敬な夢を見たのでしょうか。
そこで目が覚めた。統合失調症の症状の一つとして皇族との関係妄想の話を聞いたことがあるのだけど、ぼくは大丈夫なのだろうか、と思った。戦前の軍国主義に復古させようという政治勢力がこの日本にはいて、ふと、天皇陛下の心中を手前勝手に思ってしまうことが、最近あるのだけど、どうなのだろう。ぼくは今の天皇陛下のいろんな機会での発言に大きく共感してしまうことが、ほとんどなのですが、だから、こんな、ある人たちから見ると不敬な夢を見たのでしょうか。


毎年、12月になってからクリスマスの日まで歌っている歌があります。昨日の夜も歌いました。「クリスマス・プレゼント」というこんなオリジナル曲なのです。詞を披露いたします。
♪クリスマス・イブの夜
雪の降り積もったこの町に
たくさんの星が降ってきて
僕の長靴に入ってきたのさ
僕は空飛ぶブーツをもらったよ
世界中の星空かけぬけて
泣きべそかいている子どもたちのために
プレゼントをしに出かけよう
僕の古い長靴は
いくつかの星屑をすいこみ
今や 空飛ぶブーツになった
僕の正しい願いをかなえるときさ
広がりはじめた暗い雲をふりはらって
満天に星空を輝かせ
泣きべそかいている子どもたちのために
この声だけを胸に響かせよう♪
さて、もう一つ、「きよしこの夜」はドイツの教会で壊れてしまったオルガンでなしにギターで伴奏して歌える曲としてヨゼフ・モールによって詞が書かれ、フランツ・クサーヴァー・グルーバーによって作曲されたという曲です。由木康によって日本語に訳詞され、小学校の授業でも歌われていました。こんな詞です。
♪清し この夜 星は光り
救いの御子(みこ)は 馬槽(まぶね)の中に
眠り給う いと安く
清し この夜 御告(みつ)げ受けし
牧人達は 御子の御前(みまえ)に
ぬかずきぬ かしこみて
清し この夜 御子の笑みに
恵みの御代(みよ)の 朝(あした)の光
輝けり ほがらかに♪
昨日の夜は今年の歌いおさめになるのかな。昨日の夜は「きよしこの夜」も心をこめてギターを弾いてみました。ちょっと早いけど、メリー・クリスマス・・・
♪クリスマス・イブの夜
雪の降り積もったこの町に
たくさんの星が降ってきて
僕の長靴に入ってきたのさ
僕は空飛ぶブーツをもらったよ
世界中の星空かけぬけて
泣きべそかいている子どもたちのために
プレゼントをしに出かけよう
僕の古い長靴は
いくつかの星屑をすいこみ
今や 空飛ぶブーツになった
僕の正しい願いをかなえるときさ
広がりはじめた暗い雲をふりはらって
満天に星空を輝かせ
泣きべそかいている子どもたちのために
この声だけを胸に響かせよう♪
さて、もう一つ、「きよしこの夜」はドイツの教会で壊れてしまったオルガンでなしにギターで伴奏して歌える曲としてヨゼフ・モールによって詞が書かれ、フランツ・クサーヴァー・グルーバーによって作曲されたという曲です。由木康によって日本語に訳詞され、小学校の授業でも歌われていました。こんな詞です。
♪清し この夜 星は光り
救いの御子(みこ)は 馬槽(まぶね)の中に
眠り給う いと安く
清し この夜 御告(みつ)げ受けし
牧人達は 御子の御前(みまえ)に
ぬかずきぬ かしこみて
清し この夜 御子の笑みに
恵みの御代(みよ)の 朝(あした)の光
輝けり ほがらかに♪
昨日の夜は今年の歌いおさめになるのかな。昨日の夜は「きよしこの夜」も心をこめてギターを弾いてみました。ちょっと早いけど、メリー・クリスマス・・・


東京ステーションギャラリーの「生誕100年! 植田正治のつくりかた」展を見に行った。
植田正治の写真は演出写真などとも呼ばれ、忠実にある世界や生活の一瞬を切り取るべきだという写真手法、リアリズムを徹底的に追求すべきだという写真論に押され、一時期、過去の写真家ともなったらしいのだけれど、植田調と呼ばれたその独特の写真はむしろ常に海外での評価の方が高かった。
鳥取県の境港で生涯カメラ店を営む、アマチュア写真家のモノクロ写真を見ると、そのスタイリッシュなかっこよさの向こうに、写真を取る人と取られる人の笑い声が聞こえてきそうなのであった。
「お父さん、このポーズ、いつまですれば、いいの?」
「もうちょっと我慢しなさい」
「もう、疲れた」
「あっ、そこそこ、そこで止まって」
「もう、このへんでシャッター切ったら」
いつも日曜日になると植田正治は家族をつれて、鳥取の砂丘に撮影しに行った、という。その家族の楽しい声のこだまを聞いたような気もした。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/now.html


本屋で立ち読みしていたら面白いんで、買って一気読みしてしまったのがシンクタンク「ソフィアバンク」の代表取締役であり社会起業論の教授でもある田坂広志さんの著した「なぜ、マネジメントが壁につきあたるのか」です。まじめなビズネスマンが読むような本だけど、話は仕事のことにとどまらずに、暗黙知、複雑系、禅へと敷衍していき、凡庸なノウハウ本にはない面白さがあった。ぼくはノウハウ本というのは人を単純にし、人の頭をバカにするようなものだとも思っていたのだけど、そんなことも書かれてていたな。
例えば、この本に書かれていたことの一つにぎりぎりのものごとを決める時に「割り切る」と「腹をくくる」というのがあるということ。前の会社にとても尊敬できる面白くて頭脳明晰な切れ者の、しかも人情深い大人物の上司というか取締役がいて、その人もよく「腹をくくる」と言っていたことを思い出したりした。その人は風の噂でまだまだ元気に第一線で活躍しているとのこと。
あぁ、けれども、落ちこぼれビジネスマンのようなぼくだけど、こんな本を読んでしまうのには、わけがあって、近い将来やりたいと思っている夢みたいなこともあるのですぞ。
例えば、この本に書かれていたことの一つにぎりぎりのものごとを決める時に「割り切る」と「腹をくくる」というのがあるということ。前の会社にとても尊敬できる面白くて頭脳明晰な切れ者の、しかも人情深い大人物の上司というか取締役がいて、その人もよく「腹をくくる」と言っていたことを思い出したりした。その人は風の噂でまだまだ元気に第一線で活躍しているとのこと。
あぁ、けれども、落ちこぼれビジネスマンのようなぼくだけど、こんな本を読んでしまうのには、わけがあって、近い将来やりたいと思っている夢みたいなこともあるのですぞ。


「山口冨士夫 天国のひまつぶし」を読了した。いろんな人からの山口冨士夫へのトリビュートブック、言葉による山口冨士夫賛歌の本なのであった。
ミュージシャンはもちろんこと、小説家、詩人、、文学者、写真家、思想家、新聞記者、いろんな人たちが、彼の死を悼み、言葉を寄せている。なんと言えばいいにだろうか、山口冨士夫はミュージシャンという狭い職業範囲を超えて、ロックンローラーも踏み越えて、山口冨士夫たるような存在だったのだと思う。
山口冨士夫がギターを弾いていた日本の日本人による日本語の日本人のための初めてで最高のロック・バンドたる村八分について、いしいしんじさんはあるエピソードをこの本の中で披露しているのだが、やはりこういうのがアティテュードとしてロックではないのか。若いかね? 青臭いかね? 空の向こうではジョン・レノンや忌野清志郎はどう言っているのかね? ここに書かれたチャー坊こと柴田和志や山口冨士夫の空の向こうからのやさしい笑い顔が浮かびはしないかね? 引用して、山口冨士夫は永遠なのだなーと見上げてしまう。
「なに、これ」
と三歳の息子がやってきた。・・・<中略>・・・
「むらはちぶ、きいてみよか」
といって、A面の一曲目に針を落とす。・・・<中略>・・・
「これ、だれがうたってんのん」
「さあ、だれやとおもう?」
息子はしばらく耳をかたむけ、見つめたまま、
「おに」
といった。
「すっごく、やさしい、おに」
唖然とする僕を置き去りに、冨士夫のギターソロがうねりだす。
「これ、キター?」
「うん、ギター」
「だれがひいてんのん」
「さあ、だれやとおもう?」
息子はやはりじっと耳をかたむけ、そうして晴れやかな顔をゆっくりとこっちに向け、ひとこと、
「どろぼう」
とささやいた。
「すっごい、やさしい、うれしい、どろぼう」


高畑勲監督の「かぐや姫の物語」を見た。この日本最古の物語の映画は、宮崎駿監督の「風立ちぬ」に続く今年二本目のジブリアニメは「風立ちぬ」をしのぐほどの傑作なのだった。アニメーションというより美しい日本の水彩画が命を持って動いているかのようだ。
あの日本人のだれもが知っていると思われるラストシーンでは不覚にも涙が止まらなくなって困った。客席のまわりのいたるところからすすり泣きがこだまして聞こえる。エンドロールの時、近く座っていたどこかのお父さんが、涙の止まらない小さい女の娘に、これはファンタジーだからね、大丈夫だよ、と何度も言っていた。ならば、ファンタジーは真実だ。ぼくたちは誰もがいつか月に帰らねばならないのではないかしら。
http://kaguyahime-monogatari.jp/


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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