えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

日本にぼくの大好きなベース・プレイヤーが二人いて、一人は細野晴臣さん、もう一人は松永孝義さん。細野さんは日本のロックの黎明期から活躍している、日本のポップス音楽の世界でもっとも重要な人で、松永孝義さんはあの伝説のレゲエ・インストュルメンタル・バンドの後期のベーシストをかわきりに、ありとあらゆる人たちの音楽をベースという目立たないようでもっとも重要なパートで支え続けた人。その松永孝義さんは2011年に急折してしまうのだけれど、彼が残した唯一のリーダ・アルバム"Main Man"のメンバーによるライブ演奏のアルバムが三回忌ということで発売され、聴いています。
この音楽の芯の太さを感じながら、なんとも楽しくゆったりした時間に身と心をゆだねてしまう、心地よいひと時が過ぎていきます。ラストのナンバーの後、ぼくは心の中でアンコールと叫んでしまう。One More Time. すると、空の向こうからメイン・マンの低弦の音が響きわたる。すると、誰かの呼ばわるような声も聞こえた。OK! メイン・マンは笑顔で答える。バッチシ最高!!


この前、アフリカのもっとも長寿な象が象牙の密漁者に殺されたむごたらしい写真をインターネットで見て、野生動物を殺すことは、残虐非道なこと、とも思えたのだけれども、野生の命と家畜である命のどちらも、計りにはかけられない重さを持っている、とも思う。象の密漁者を、ぼくはまったく許す気にはなれないのだけど、ちょうど、今、読了した本が、畠山千春さんの著した「狩猟女子の暮らしづくり わたし、解体はじめました」という本。
狩猟の意味はすぐにわかろうものだけれども、本の題名にある解体とは動物を屠殺し、お肉にすることで、どん引きするのだけど、引き込まれて、どんどん読んでしまえた。
すべての口にするものに、命があって、日本でも近代以降は、それが隠蔽されつづけてもいる。気の弱いぼくには、狩猟も解体もできそうにないのだけれど、この本を読んで、口の中に入れるすべてのものには、命があったことを、すこしだけ思い出してみることにしよう、と思う。
そういえば、昔、千葉の山の中の温泉民宿「白岩館(http://www.kamonavi.jp/ja/shisetsu/STKY0001.html)」でいい猪が採れたよといって食べさせてもらったぼたん鍋は本当においしかった。ごめんね、いただきます、ごちそうさま、ありがとう、おやすみなさいZZZzzz.....


TOHOシネマズ海老名に本多猪四郎監督の「ゴジラ」を見に行く。これは、もちろんハリウッドでのリメイク版ではなく1954年公開のゴジラ・シリーズの第一作目の東宝映画。昔の何かの本で読んだ、ゴジラが表すものは皇軍のわだつみの無念の英霊だというのを思い出した。この映画の中のゴジラは、そのようにあるひとつのところを残し、東京を破壊しつくし、その燃え上がる街が何かリアルで、今にも通じるいろいろな暗喩を含んでいそうだ。ゴジラの鳴き声は、忘れさられようとしている何者かの泣き声のようにも聞こえ、ぼくは心の中でゴジラを殺すな、とも思ったのだった。
http://godzilla1954.jp
http://godzilla1954.jp


山下良道さんの著した「青空としてのわたし」を読了した。オーム真理教事件、東日本大震災を真摯に受け止め、日本の仏教に日本らしい変革を起こしつつある元曹洞宗のお坊さんは、今は鎌倉で宗派に依らない仏教の求道者として活動しておられる。神社仏閣どころか古い教会もぼくは好きで、瞑想などにも興味があるが、実践をともなっておらず、この本の特に後半は実感が伴わなく、少し難しかったです。雨や雪、嵐も巻き起こす雲の向こうに青空が広がっていて、その青空がぼくなのらしい。最近、どこかしらで聞く言葉、「気づき」とも訳される"Mindfullness"とは白かったり黒かったりする雲のないところまで行ったり、自分を閉ざしてしまうことではなくて、黒い雲を怖がったり、その雲の降らす雨を喜んだり、恨めしがったりしても、すべては青空があるっていうことなのかな。やっぱ、難しいね。そのうちわかるのかな。山下良道さんのお寺、一法庵ってどんなところなのかな。座禅、瞑想を教えてくれるそうです。


近所の本屋でペラペラめくり、たくさんの写真がとてもとても飼っていた犬、レオに似ているものだから買ってしまって、読んでいる。ジム & ジェイミー・ダッチャー夫妻が共著した「オオカミたちの隠された生活」。再び北米のアイダホの野に放たれたオオカミたちの観察記を読むだけではなく、もちとん、ブリリアントなオオカミたちの写真集でもあるのだけど、彼ら、ハイイロオオカミが、シロナガスクジラたちやニホンウナギたちと同じく、絶滅を危惧されていることも知る。ニホンオオカミやニホンカワウソは絶滅してしまったといわれるけれど、ぼくは切に切に彼らがどこかの森や山の奥深くで生きていることを願ってもいるのです。そんな気持ちを込め、そして、あの聡明なレオを思い出しつつ、この素晴らしい本から引用します。
「私たちには、これまでとは違う動物の概念が必要だ。
もっと懸命で、おそらくはもっと霊的な動物の概念が・・・・・・
彼らは不完全な存在だし、
私たちよりもはるかに劣る姿を持つという
悲劇的な運命に見舞われた存在だから、
と言って私たちは動物の庇護者ぶってきた。
だが、そこに私たちの誤謬がある。重大な誤謬だ。
動物を人間のものさしで測ってはいけないのだ。
私たちの世界よりも古く、完全な世界において・・・・・・
私たちがすでに失ってしまった、
あるいは初めから獲得したことすらもない鋭い感覚に恵まれ、
私たちの耳には決して届かない声に従って生きている。
彼らは同胞ではない。下僕でもない。
彼らは、私たちとともに生命と時の網の中に編み込まれ、
私たちと肩を並べる別の民族なのだ」


レンタル・ビデオでアルフォンソ・キュアロン監督の「ゼロ・グラビティ」を見る。
原題は"GRAVITY"で重力とか引力という意味。人は重力のあるところに戻っていくのかというような哲学的なことも思ってしまったのだけど、無重力ということを映画で体験できました。無重力空間で涙を流すということは、こういうことなのか、とかそのシーンは不思議な美しさも感じました。それと、宇宙からの地球の美しさですな。90分があっという間で、やっぱ、こういうハリウッドの映画はおもしろいわ。ビデオではなく、大画面のサラウンド・サラウンドで再び見てみたい。
ヒロインのサンドラ・ブロックのリアルな演技、その相手役のジョージ・クルーニーはかっこ良すぎです。アメリカ人って普段からこんなユーモアとウィットにとんだ会話をしてるのかしら。
あぁ、映画を見終えて、夜空を見上げしまう。
http://wwws.warnerbros.co.jp/gravity/#/home
原題は"GRAVITY"で重力とか引力という意味。人は重力のあるところに戻っていくのかというような哲学的なことも思ってしまったのだけど、無重力ということを映画で体験できました。無重力空間で涙を流すということは、こういうことなのか、とかそのシーンは不思議な美しさも感じました。それと、宇宙からの地球の美しさですな。90分があっという間で、やっぱ、こういうハリウッドの映画はおもしろいわ。ビデオではなく、大画面のサラウンド・サラウンドで再び見てみたい。
ヒロインのサンドラ・ブロックのリアルな演技、その相手役のジョージ・クルーニーはかっこ良すぎです。アメリカ人って普段からこんなユーモアとウィットにとんだ会話をしてるのかしら。
あぁ、映画を見終えて、夜空を見上げしまう。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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