えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
世田谷美術館に「難波田史男の世界 イメージの冒険」展を見に行きました。
絵を描き始めたそのほんの初期のころから、難波田史男はすでに難波田そのものであったからか、わずか32歳の時、1974年に夭折してしまう、彼のそのたくさんの絵が楽しい。そして、妙に懐かしいような暖かい既視感がぼくの胸にのぼってもきたのです。
今回の展覧会では展示されなかった「終着駅は宇宙ステーション」という作品もある難波田史男の絵は初期にむしろ大きなサイズの大作が多くて、むしろ彼自身の人生の最終章では子どもが普通にもつサイズの小さな作品が膨大な数で展示されていた。難波田史男は、線は自殺で色彩は愛だというようなことを言っていたそうなのだけれど、ぼくは、その線と色が少しづつ、少しづつあわさっていき、小さな絵描きの好きな海の青のしずくとなり、若い奔放な絵描きがこの世界から消えてしまう、そんな物語も想像してしまった。
人もまばらな日曜の午後の美術館にどこからかアナウンスの声が幻として響きわたる。
「次の駅は木星、次の駅は木星となります。終着駅は宇宙ステーション、終着駅は宇宙ステーション、終着駅は宇宙ステーション・・・」
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html
おはよー、こんなの聴いています。一度だけサン・ラは日本をツアーしたこことがあって、ぼくもそれを渋谷のクアトロで目撃したのだったけれど、このアルバム"Sun Ra Arkectra Live At Pi-Inn Tokyo, Japan, 8,8,1988"は同ツアーの新宿ピットインでの記録なのです。
これは忘れられない旅の記録のようなんもので、思い出して聴いてしまい、聴くと思い出してしまいます。ぼくの見たクアトロでの夜は、二部構成で、一部と二部の間で、控室からミュージシャンたちの奇声の気勢を上げる声が聞こえたり、演奏の途中で楽器を持たない男が舞台の袖から出てきて、ヨガのポーズをし始めたりした。ラストの大円団での全楽団員がダンスをしながら客席を練り歩く。会場には難しいジャズ・ファン、フリー・ミュージック好きのインテリ、ロック好きな人、パンクロッカー、ヒッピーみたいな人、仕事帰りのサラリーマン、いろんな人が詰めかけていた。そして、来日中のライオネル・ハンプトンの姿もあったのです。
ぼくはこのアルバムの中のラストを飾る子守唄かのような"Interstellar Lo-Way"が大好きなんだ。スピーカーから流れる音楽を聴きながら目をつぶり、星影の散歩に出かけてくるよ。
会社帰りに有楽町の映画館に寄り、馬志翔監督の台湾映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」を見た。
台湾が中華民国ではなく日本であったころの1931年の甲子園に出場し準優勝までした本当に実在した嘉義農林学校の野球部を主人公にした物語でした。これは日本の映画ではなく、台湾の映画で、日本統治下の台湾を美しいノスタルジーとして描いていて、台湾で大ヒットした映画だそうなのだ。
というと、ぼくは少しだけ歴史を紐解きたくなり、1895年から1945年までの間、台湾は確かに日本であった。植民地支配の功罪という言葉はよく使われ、その当時の台湾の治水事業に多大に貢献した八田與一という人物はいまだに台湾で尊敬されているらしいのだけれど、それはこの映画にも登場していた。そして、1945年に日本は敗戦し、毛沢東の共産党の軍隊に負けた蒋介石の国民党が台湾にやってきて、比較的に不正の少なかった日本の統治に比べ、その彼らの悪政に台湾の人々は立ち上げり抗議をし、内戦のような状況になり、多くの人が死んでいった。そこらへんのことは、機会があれば、侯孝賢監督の名作「悲情城市」を見てください。まぁ、映画を見る前に、このぐらいを知っておいた方が、楽しめると思い、おせっかいにも書いてしまった次第です。
歴史とか人の人生とか心とか、そういうもろもろのことって、黒か白かじゃなくって、無限のグラディエーションをもつ灰色というか、解き明かせない虹のような色のものだと思うのだけど、どうかしら?
さて、少しねたばれ的に映画に話をもどると、これは政治とか歴史の話ではなく、アジアに根付いた野球の話で、球を追いかけるその時は、理屈とかではなく、人種とか民族とか国とか地域とか関係なくなりながら、自分がやってきたどこかを深く思ってしまう。そして、海の向こうに帰っていこうとするそこは、中国という国でもなく日本という国でもない、国名すらも忘れられているかもしれない台湾という島が立ち現れくるような気がしたのです。ぼくはそこにむしろ未来を見てしまいます。
あと、日本人の野球監督を演じた永瀬正敏さんが、なかなか良かったのですよ。
http://kano1931.com
台湾が中華民国ではなく日本であったころの1931年の甲子園に出場し準優勝までした本当に実在した嘉義農林学校の野球部を主人公にした物語でした。これは日本の映画ではなく、台湾の映画で、日本統治下の台湾を美しいノスタルジーとして描いていて、台湾で大ヒットした映画だそうなのだ。
というと、ぼくは少しだけ歴史を紐解きたくなり、1895年から1945年までの間、台湾は確かに日本であった。植民地支配の功罪という言葉はよく使われ、その当時の台湾の治水事業に多大に貢献した八田與一という人物はいまだに台湾で尊敬されているらしいのだけれど、それはこの映画にも登場していた。そして、1945年に日本は敗戦し、毛沢東の共産党の軍隊に負けた蒋介石の国民党が台湾にやってきて、比較的に不正の少なかった日本の統治に比べ、その彼らの悪政に台湾の人々は立ち上げり抗議をし、内戦のような状況になり、多くの人が死んでいった。そこらへんのことは、機会があれば、侯孝賢監督の名作「悲情城市」を見てください。まぁ、映画を見る前に、このぐらいを知っておいた方が、楽しめると思い、おせっかいにも書いてしまった次第です。
歴史とか人の人生とか心とか、そういうもろもろのことって、黒か白かじゃなくって、無限のグラディエーションをもつ灰色というか、解き明かせない虹のような色のものだと思うのだけど、どうかしら?
さて、少しねたばれ的に映画に話をもどると、これは政治とか歴史の話ではなく、アジアに根付いた野球の話で、球を追いかけるその時は、理屈とかではなく、人種とか民族とか国とか地域とか関係なくなりながら、自分がやってきたどこかを深く思ってしまう。そして、海の向こうに帰っていこうとするそこは、中国という国でもなく日本という国でもない、国名すらも忘れられているかもしれない台湾という島が立ち現れくるような気がしたのです。ぼくはそこにむしろ未来を見てしまいます。
あと、日本人の野球監督を演じた永瀬正敏さんが、なかなか良かったのですよ。
http://kano1931.com
友だちがこれ面白いよと言って貸してくれた大岡昇平の小説「野火」を読了した。
ぼくにこの本を貸してくれた友だちはこの小説を何度も何度も読み返したそうなのだけれど、なるほど、確かに、読み終えたなら、また始めから読み直してしまいたくなるのは、この本が発する重くて深い問いかけのためでもある。そして、その問いかけこそが、文学の神髄のようにも思え、この中編は世界にまさしく通用する文学であるとも思った。
しかも、最近の流行りの言葉で言うと、なんとも美しくブルリリアンなエクリチュールなのだろうか。そこで書かれ、語られているのは、戦争末期の日本の敗兵の想像を絶するかのような一人称の手記のようなもの。
ぼくは所謂、椎名麟三、武田泰淳、梅崎春生らの戦争経験者の戦後文学は、十代のころ、よく読んだものだったけれど、大岡昇平はぽっかりと抜けていたのを悔い、大岡の他の小説も読んでみたくなった。
そういえば、この大岡は中原中也の親友だったのだっけ。最近では右だの左だの騒がしくもある世の中でもあるらしいのだけれども、この大岡昇平って人は、それはそうだろう、この本に書かれているような戦争体験をすれば、何の組織にも依らず、本当に自由で反骨の人であるらしいのだ。
かっこいいなぁ。あこがれます。
ぼくにこの本を貸してくれた友だちはこの小説を何度も何度も読み返したそうなのだけれど、なるほど、確かに、読み終えたなら、また始めから読み直してしまいたくなるのは、この本が発する重くて深い問いかけのためでもある。そして、その問いかけこそが、文学の神髄のようにも思え、この中編は世界にまさしく通用する文学であるとも思った。
しかも、最近の流行りの言葉で言うと、なんとも美しくブルリリアンなエクリチュールなのだろうか。そこで書かれ、語られているのは、戦争末期の日本の敗兵の想像を絶するかのような一人称の手記のようなもの。
ぼくは所謂、椎名麟三、武田泰淳、梅崎春生らの戦争経験者の戦後文学は、十代のころ、よく読んだものだったけれど、大岡昇平はぽっかりと抜けていたのを悔い、大岡の他の小説も読んでみたくなった。
そういえば、この大岡は中原中也の親友だったのだっけ。最近では右だの左だの騒がしくもある世の中でもあるらしいのだけれども、この大岡昇平って人は、それはそうだろう、この本に書かれているような戦争体験をすれば、何の組織にも依らず、本当に自由で反骨の人であるらしいのだ。
かっこいいなぁ。あこがれます。
ウィル・グラック監督のミュージカル・映画「アニー」を見に、新百合ヶ丘の映画館、イオンシネマ新百合ヶ丘に行った。楽しい、いい映画でした。となりにすわっていた高校生の女の子は、ラストのハッピー・エンドにうれし涙の号泣をしていたし。
何か、ぼくの大好きなミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」を思い出したりした。「サウンド・オブ・ミュージック」での堅物のクリストファー・プラマー演じるゲオルク大佐が、「アニー」でのジェイミー・フォックス演じる誰にも心を開かない衛生恐怖症か何のような大富豪の社長で、「サウンド・オブ・ミュージック」での赴任し来た家庭教師のジュリー・アンドリュースの演じるマリアが、「アニー」でのクワベンジャネ・ウォレス演じるアニー、「サウンド・オブ・ミュージック」でのゲオルク大佐に抑圧されている子どもたちが、「アニー」での資本主義で本当は人生で何が大切なのかわからなくなっている大人たち、そんなことを映画を見た帰りの電車の中で考えてしまった。
「アニー」での大富豪の社長を演じるジェイミー・フォックスもおもしろくてよいのだけど、この映画の魅力はアニーを演じるクワベンジャネ・ウォレスのまぶしい歌と演技につきるでしょう。本当にかわいい、いい子なんだわ。そして、もう一人、この映画には特別な主役がいて、それはニューヨークの街そのものが本当の主役なのかもしれない。映画の大きな画面とサラウンドの音につつまれれて、今のニューヨークに行けてしまえるような感じ。だから、ニューヨークに行きたくなってしまいます。
映画は今の社会を移す鏡のようなものでもあると思えるのだけど、「アニー」の冒頭のシーンが第二次世界大戦前のフランクリン・ルーズベルト大統領の「ニューディール政策」を称揚する大胆なミュージカル・シーンで、今のアメリカ合衆国の社会の空気はこうなっているのかな、などと想像した。
映画のエンドロールを見ていると、プロデューサのウィル・スミスの名があった。DJ・ジャジー・ジェフ&ザ・フレッシュ・プリンスのラッパー、フレッシュ・プリンスがウィル・スミスという役者となり、今はプロデューサです。出世したなぁ。
家族で楽しめるミュージカル映画の傑作として、ジュディ・ガーランドの「オズの魔法使い」、ジュリー・アンドリュースの「サウンド・オブ・ミュージック」に続き、クワベンジャネ・ウォレスの「アニー」が付け加わりました。
もう一つ余談で、アニーの飼い始める犬がしっぽがくるくる巻いている日本犬でかわいいです。
http://www.annie-movie.jp
映画の「バンクーバーの朝日」を見て、テッド・Y・フルモトさんの著した「バンクーバー朝日」を読み、続けて、同じくテッド・Y・フルモトさんの著した「バンクーバー朝日軍」を読了した。
「バンクーバー朝日」が史実に近い小説だったのに比べ、この「バンクーバー朝日軍」はあくまでもフィクション性を遠ざけ、本当にあった事実としてのカナダの日系野球チームをあぶりだそうとしているかのようだ。この本を読んで、初めて、著者のテッド・Y・フルモトさんがバンクーバー朝日の往年のエースピッチャー、テディー・フルモトの息子であることも知った。
あぁ、しかし北アメリカのかの地では、野球をワークするものではなく、プレイするもの、働いて何かを得たりするものではなく、ただ遊ぶためのベース・ボールであるらしく、だから、あきもせずに、子どもたちと同じく、子どもの心をまだ残り持っている大人たちも夕闇が来て白い球が見えなくなるまで、日本人差別、民族差別、人種差別をものともせず、遊び続けられるのだ。すばらしいではないですか。
ぼくもへたくそだけど、ギターを持って遊びに出かけますよ。それは何と言ったらいいのか、命みたいなものなんだな。
免許の更新に行った。ついにゴールド免許になりました。何か、最近、車にも乗らなくなったのだけど、更新場所の警察署にも電車とバスで行き、スムーズにすましてしまって、ぽかっり時間が空き、さて何をしようかと考え、気まぐれに相模線と小田急線を乗り継いで、江の島まで散歩をしに行った。
江の島をぶらぶらすると、やはり江の島神社に行かないわけにはいかまい。江の島神社の松の内を過ぎて参拝し、また御神籤を引くと、阿夫利神社、大沼神社、箱根神社につづき、またもやありがたきお言葉を神さまから授かりつかまつった。しかも一番のご神託でもありました。こんなにも続くと、ご神威のようなものを感じ、胸騒ぎもして、何か、静かで穏やかな海のごとし清浄なる不可思議な晴れわたるような気持ちすら感じたのです。
みなさまにもご多幸を、ということで、披露させていただきます。
「朝日かげ たゞさす
庭の 松ヶ枝に
千代よぶ 鶴の
こえの のどけさ」
ゆめゆめうたがうことなかれ