えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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スポンサーの付けない自主メディア「IWJ(インデペンデント・ウェブ・ジャーナル)」を展開するジャーナリスト、岩上安見さんが2011年3月11日に福島にいた人にインタビューしたした、そのインタビュー集「百人百話 第2集」を読んだ。「第1集」につづき、充実した内容だった。

一般般的なもしくは標準的な福島県人なんてあるのだろうか、と思い、この本に登場する人たちのそれぞれ一人ひとりのそれぞれであることがとても大切なことであるような気がした。その多様性の中にも、矛盾したことを言うようだが、福島気質がすけて見えるようだ。そして、内から見た福島、それが書かれているのではなく、語られている。書かれずに、語られる口吻の歴史こそ、ぼくたちにとって真実ではなかろうか。

避難した人、避難せずに福島にとどまっている人、つとめて忘れようとしている人、忘れまいとする人、そして、何か震災について発信して行動している人、行動していない人、福島でこの災難に見舞われなかったぼくにとっては、それらすべての人が敬意を表すべき人でもある。

福島から新しい日本と日本人が生まれつつあるような気がしつつ本を閉じた。







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昨日の夜、エミール・クストリッツァ監督の「アンダーグラウンド」をレンタルDVDで見た。ユーゴスラビアという国の激動の現代史を奇想天外な着想のもとに駆け抜けていくような、シュール・レアリスティックな映画だった。ユーゴスラビアって今では7つの国に分裂していて、なくなってしまったんだなぁ、と思う。そして、ここいらへんはラテンでもあるのね。

この映画のラスト・シーンは愚者が与える不思議な教訓とか暗示を感じさせ、何か感動的。その教訓とか暗示とは何かと聞かれても、一言では表せないほど、複雑で鬼気なものでもあるようだ。そして、一つの国が崩壊過程にある中で撮られた映画でもあり、その国への惜別の深い感情と危機意識がないまぜになって、圧巻です。

あっ、そうだ、シュール・レアリズムというより、この映画は、マジック・レアリズムといったほうがぴんとくる。このわけのわからなさは、ガブリエル・ガルシア=マルケスの小説、寺山修司の演劇、そしてあのフェデリコ・フェリーニの「甘い生活」以降の映画が好きな方にはお勧めです。

http://www.eiganokuni.com/ug/
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こんな夢を見た。ぼくは高校の卒業式の日に午後、学校へ行く。もう卒業式は終わっていて、友だちが一人、教室に残っている。その友だちに目くばせし、卒業式に出られなかったぼくは、せめても、高校卒業時の通信簿を手にしたい、と思い、自分の机の引き出しの中を探してみる。何枚か、採点された答案用紙が出てくるだけで、通信簿はそこにはない。あぁ、そう言えば、明日も予備の卒業式があるらしいことをぼくは思い出す。明日も学校に来なくっちゃ、と思い、そこで目がさめた。

何か、意味ありそうで、なさそうで、ありそうな夢でした。もしもよければ、あなたの夢解釈を教えてください。
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忌野清志郎の著しわした「ネズミに捧ぐ詩」を読んでいる。清志郎の生々しいぶるぶる震える魂に触れたような本だ。これは26年前に書かれた発表するあてもなく作詞の創作ノートをそのまま本にした本で、その26年前とは、RCサクセションが「カバーズ」を発表しタイマーズへと突っ走るころに書かれたもの。

この前、NHKで清志郎についてのドキュメンタリーを放映していて、ぼくも見たのだけれど、泉谷しげるは、このころの清志郎を文化人みたくなってしまって、批判的に思っていたと語っていた。この発言には、泉谷さん、おまえこそ、いまだに、文化人で芸能人だろうが、とむかっときました。ぼくは、この時こそが、清志郎が、文化人や芸能人でなしに、本当にバンド・マン、ブルース・マンになった時だと思うのだけどね。

そもそも、歌なんてのは、たいしたものだけど、たいしたものでもなくて、その時その時、歌いたいときに歌いたいように歌う小唄でいいのよ。なんでも歌っていいのよ。不器用にでもいいさ。それがブルーズってもんじゃないかね。で、そんな小唄の心のつまったこの「ネズミに捧げる詩」って本、最高です。






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木果歩さんの著した「海うそ」を読了した。廃仏毀釈の記憶を持つ九州のとある小さな島の景色と人の心とすぎゆく時のお話。

こんな小説を読むと、故中上健次のまいた種が芽吹き、思いがけなく育ったようにも感じてしまう。ぼくもいつかは小説が書きたいな。中上健次の(精神の)非嫡出子としての物書きとしてのそれである、なんていうと、かっこよすぎてしまうね。

ぼくたちの時代とは、何か、とても大事なことを次々と忘れつつ、続いている、そんな時代なのかもしれない、とこの本を読んで思いました。







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大きなつくりばなしじゃなしに、小さなほんとうののものがたりをこの旅で少しだけ感じたようにも思います。そして、もちろん、乗り鉄の入っているぼくには、この小さな旅がいい鉄分補給となりました。
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仙台まで向かう駅舎で地元紙の河北新報を買って読む。最近は中央紙はへたれで読む気もしないけれど、東京新聞とか琉球新報とか、この河北新報など、地方紙は気を吐いているようなのです。一面が「変貌30年 六ヶ所村のいま」と題されたルポルタージュ。「宮城県、福島県内の主な放射線量」という欄がありそれを見て、へこむ。けれど、現実を冷静に見て、この数字はこの地域に押し付けるのではなく、どういう解決方法であるにしろ、日本人すべてが負担すべきことではないかしら、と思う。ちなみにぼくの住む相模原の放射量は原発事故以前は0.03から0.04で、今は0.07ぐらいです。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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