えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

entry_top_w.png


町田の万象房でインドの古典音楽を聴いた。演者はシタールの国分あきこさん、同じくシタールの沼沢ゆかりさん、タブラの立岩潤三さん。一部が沼沢ゆかりさんと立岩潤三さんで、二部が国分あきこさんと立岩潤三さん。

昔からレコードやCDで聴いて好きだったのだけど、生でインドの古典音楽を聴くのは始めてでした。一曲、1時間近くもあって、けれど、長くも感じず、以外に眠くなりもせず、あっというまでした。沼沢さんと国分さんのタイプが対照的で、なるほどと思いました。そして、立岩さんのタブラはマジックのようで、そのマジックに国分さんや沼沢さんのシタールが即興のマジックで挑み、音の万華鏡のようです。こういう音楽こそ生演奏なんだなぁ、とも思いました。あぁ、無限の調べだったのです。
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png


寒川神社に散歩に出かけた。お参りをしたのです。神社は今年に入ってから五社目です。

拝殿の中では、白装束の人たちがたくさんいて、祝詞ではなく、読経のようなものを唱えていた。その奥の方に神像らしきものが三体、並んでいた。何だったのだろうか? 町田の万象房の房主の影響なぞを受けて、神仏分離・廃仏毀釈より前の日本人の信仰みたいなものに興味を抱くようになったぼくとしたら、気になるところです。

それから、五回も続けて大吉が出るかもと思って引いた御神籤では大吉ではなかった。なぜか、ほっとしてしまった。

さて六社目にはあることの必勝祈願にと鶴岡八幡宮へ近いうちに散歩に出かけようかな。
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png

渋谷のパルコPart3の8階にあるシネクイントにジョン・カーニー監督の「はじまりのうた」を見に行く。すばらしかったです。

ギターとか弾いたりして、プロにしろアマチュアにしろ、この映画を音楽をやる人が見たら、そうそう、そうなんだよと、うなずき拍手したくなるのではないかしら。全編、ニューヨークのロケなんだけど、ライブ・ハウスでのオープン・マイクでのシーンでは、土曜とか日曜に、ぼくがふらふらしている地元のライブ・バーなぞを思う浮かべてしまいもしました。冒頭のこんなセリフからして引き込まれます。マーク・ラファロ演じるアル中の落ち目の音楽プロデューサー、ダンが、キーラ・ナイトレイ演じるライブ・バーで磨く前のダイヤモンド原石のようなフォーク歌手、グレタの唄を聴き、声をかけます。

「いい歌、歌うじゃないか。おれはこういうもので、契約しないか? その男の子みたいなかっこはやめて、かわいらしい服着て、歌、歌えばスターになれるぜ」
「歌と服装は関係ないわ。あんたに服のことなんか指図されるつもりはないし、歌と服なんて、関係ない。わたしは歌を歌いたいだけなの」
「歌を歌いたいだけ? で、例えばどんな歌手が好きなんだ?」
「ディラン」
「ディラン? あいつこそ、かっこ重視で、10年ごとに飽きられないようにファッションを変えているぜ」
「ランディー・ニューマン」
「ランディー・ニューマンか、確かにあいつはいい」

いきなり、音楽好きのぼくのつぼにきました。

それから、マルーン5のボーカリスト、アダム・レヴィーンも出ていますね。かっこいいですが、よれた不良中年役を演じきったマーク・ラファロにはかないません。そして、ぱっぱり、キーラ・ナイトレイ、きれいでかわいかった。

近頃、見た映画の中では「アバウト・タイム」をも超える大好きな映画、とても、とてもよかった映画です。

映画を見ていると、誰かのこんな声が聞こえてくるようでした。

歌いたい歌を歌おうぜ。バンド、やろうぜ。

http://hajimarinouta.com
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png
大岡昇平の「野火」を読んだら、武田泰淳の「ひかりごけ」を再び読みたくなった。これを読んだのは十代のころで、何度か読み返している。初めて読んだ時は、意味とか今でもよくわからないのだけど、あんて奇怪な小説だろうと、驚愕した。何度目かの今、読むと、序破急の恐るべきラストが、何か救いのようにも感じられて、しーんと胸が静まりかえるような感動をおぼえた。

ところで、武田泰淳は愛する中国で戦時中に兵士として何を見て、何を経験したのだろうか。それは作家に胸に永遠にしまわれてしまった。









entry_bottom_w.png
entry_top_w.png


ペルーの歌う親善大使とも呼ばれるスサーナ・バカの2001年の9月11日のトゥイン・タワーへのテロ事件直後のニューヨークでのスタジオ・ライブです。オーディエンスは祈るかのように静まりかえってスサーナのスペイン語の凛とした歌を聴き入っています。自然に胸に歌が深くしみこんできて、感動します。日本ではあまり知られていない歴史的名盤です。







entry_bottom_w.png
entry_top_w.png
こんな夢を見た。

ぼくは海岸に水着を着ている。その海岸は砂浜の海岸ではなく、岩場の海岸で、それらの岩は、火山から吹き出して長い年月もかけて固まったかのようにごつごつしていて大きくてつやのない黒い色をしている。海の水の色も真っ黒で、その黒さで10センチメートル先も見えない。その海岸にはぼく以外に誰一人いない。ぼくは水に入り泳いでみて、その水が冷たくもなく、温かくもなく、その真っ黒な水に不浄さはなく、むしろ清浄さの中で、身も心も洗われるように感じる。ひと泳ぎした後一休みをし、ぼくは持ったきていたフィンを足に着けて泳いでみる。清らかな真っ黒い水の中をイルカを真似た足の動きでどんどん進んで行き気持ちいい。

そこで目がさめた。この夢はあれかな。ユングでもなく、流行りのアドラーでもなく、フロイト系かな。でもないか。

荘子にこんな話があるらしい。長いですが、お暇ならば、お読みになってくださりまし。

「北の果ての黒い海に住んでいる魚がいる。その名を鯤という。鯤の大きさは幾千里ともはかり知ることができない。やがて、化身して鳥となり、その名を鵬という。鵬の背の広さは幾千里あるのかはかり知ることができない。ひとたび、ふるいたって羽ばたけば、その翼は天空にたれこめる雲と区別がつかないほどである。立ちのぼる旋風に羽ばたき、旋回しながら上昇すること九万里、雲海のかなたに出て、青天を背にしながら、やがて南をさし、南極の暗い海に向かおうとする。この南の深い海こそ、世に天池と呼ばれるものである。

 斉諧とは、世にも怪奇な物語を多く知っている人である。彼は次のように述べている、「鵬が南のはての海に渡ろうとするときは、翼をひらいて三千里にわたる水面をうち、立ちのぼるつむじ風に羽ばたきながら、九万里の高さに上昇する。こうして、飛びつづけること六月、はじめて到着して憩うのである」

 地上にはかげろうが揺らぎ立ち、塵が立ちこめ、さまざまな生物が息づいているのに、空は青一色に見える。あの青々とした色は、天そのものの本来の色なのだろうか。それとも遠く果てしないために、あのように見えるのだろうか。おそらくは後者であろう。とするならば、あの大鵬が下界を見下ろした場合にも、やはり青一色に見えていることであろう。そもそも、水も厚く積もらなければ、大舟を浮かべるだけの力がない。杯の水を土間のくぼみに落としただけでは、芥が浮かんで舟になるのがせいぜいであり、杯を置いても地につかえるであろう。水が浅くて、舟が大きすぎるからである。とするならば、風も厚く積もらなければ、鵬の大きな翼をささえるだけの力はない。だから、九万里の高さにのぼって、はじめて翼に耐える風が下にあることになる。こうしていまこそ、大鵬は風に乗って上昇しようとする。背に青天を背負うばかりで、さえぎるものもない。こうしていまこそ、南を指して飛び立とうとする。

 蜩と小鳩はこの大鵬のありさまを見て、あざ笑っていう、「われわれは勢いよく飛び立ち、楡や枋の木をめがけて突進しても、ときには届かず、地面にたたきつけられることがある。それなのに、九万里の空に上り、南をさしてゆくとは、とほうもないことではないか」だが、近郊の野に出かける者は、三度の食事をするだけで帰ってきても、腹のすくことはないだろうが、百里の地に出かける者は、前夜から米をついて準備しなくてはならず、千里の地に出かける者は、三ヶ月も前から食糧を集めておかなければならない。とするならば、蜩や小鳩などに、大鵬の心を知ることなど、どうしてできようか」
entry_bottom_w.png
entry_top_w.png


世田谷美術館に「難波田史男の世界 イメージの冒険」展を見に行きました。

絵を描き始めたそのほんの初期のころから、難波田史男はすでに難波田そのものであったからか、わずか32歳の時、1974年に夭折してしまう、彼のそのたくさんの絵が楽しい。そして、妙に懐かしいような暖かい既視感がぼくの胸にのぼってもきたのです。

今回の展覧会では展示されなかった「終着駅は宇宙ステーション」という作品もある難波田史男の絵は初期にむしろ大きなサイズの大作が多くて、むしろ彼自身の人生の最終章では子どもが普通にもつサイズの小さな作品が膨大な数で展示されていた。難波田史男は、線は自殺で色彩は愛だというようなことを言っていたそうなのだけれど、ぼくは、その線と色が少しづつ、少しづつあわさっていき、小さな絵描きの好きな海の青のしずくとなり、若い奔放な絵描きがこの世界から消えてしまう、そんな物語も想像してしまった。

人もまばらな日曜の午後の美術館にどこからかアナウンスの声が幻として響きわたる。

「次の駅は木星、次の駅は木星となります。終着駅は宇宙ステーション、終着駅は宇宙ステーション、終着駅は宇宙ステーション・・・」

http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html
entry_bottom_w.png
<< 前のページ 次のページ >>
[312]  [313]  [314]  [315]  [316]  [317]  [318]  [319]  [320]  [321]  [322
plugin_top_w.png
カレンダー
09 2025/10 11
S M T W T F S
2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
えいちゃんのお奨め

ライブのお知らせ

ぼくのTwitter

plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
最新コメント
[05/19 Pg Soft]
[05/04 ペコ]
[12/23 ロンサム・スー]
[07/27 gmail account]
[08/29 えいちゃん]
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
ブログ内検索
plugin_bottom_w.png
plugin_top_w.png
最新トラックバック
plugin_bottom_w.png
Copyright えいちゃん(さかい きよたか) by えいちゃん All Rights Reserved.
Template by テンプレート@忍者ブログ