えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
スタジオ・ジブリのアニメーション映画が公開されると、つい見に行ってしまう。今日、見た映画は米林宏昌監督の「思い出のマーニー」。宮崎駿でも高畑勲でもない新しい作家が実力をつけつつあるんだねー。原作はジョーン・G. ロビンソン という人の著したイギリス児童文学の古典だそうです。けれど、ストーリーの運びやその構造とか、とても現代的で古さを感じさせません。その物語についてはねたばらしになるので申しあげない方がいいでしょう。北海道を舞台にした絵が美しい。そして、ここではこれから見る人のために話すことのできないストーリー、人物描写、どれもすばらしく、心が洗われました。ひと夏の秘密のしておきたい物語をぼくもマーニーやアンナとともにしたのです。
http://marnie.jp/index.html
http://marnie.jp/index.html
堀江邦夫さんが文を書き。水木しげるさんが絵を描いた「福島原発の闇 原発下請け労働者の現実」を読んだ。1978年にはもうすでにこのようなものが日本を代表する写真雑誌「アサヒグラフ」で発表されていた。この本に書かれているそれは、この本から引用すれば、「目にも見えず、匂いもせず、痛くもかゆくもない」ものだけど、このようなものでもあるらしい。
「(内部被ばく)
―身体内にとりこまれた放射性物質の放射線で身体の内部から被ばくすること。(放射性物質が)一度身体にはいると、多くの場合、これを体外に排泄することは困難である。血球の減少をおこし、衰弱と貧血をともなうことがある。また白血病、骨しゅようの発生の原因となる可能性が大きい
―「放射線と人間環境」(科学技術庁)」
ぼくは、最近、いろんなマスコミでかしましい「内部被ばく」の意味も本当はよく知らなかったばかな人間だ。今は本当のところを誰も語らない戦時中なのかもしれない、と思う。ならば、戦前に書かれたこの文と絵も読んでみたらどうだろうか、とも思ったのだった。この本の筆者は当時をこうも振り返る。再びこの本からの引用。
「原発のもつもうひとつの顔が、ひそかに、しかも着実に社会全体を覆いつつありました。ドイツ生まれの作家ロベルト・ユンクがその著「原子力帝国」のなかで、原子力は強力な警察・管理国家をもたらす、と警鐘を鳴らしていたとおり、たとえば1974年には米国の核燃料製造所に勤務する女性技術者が内部告発資料を持ち出したとたん不審な自動車事故に遭い死亡する事件(カレン・シルクウッド事件)が起きていましたし、私のように売れないものかきでさえ、1977年、取材の途中で原発のPR館を見学しただけで電力会社から警察に通報され、県警による長時間の取り調べを受ける、といった不快きわまる経験をしています」
ぼくたちの今は、ジョージ・オーウェルのいう「1984」以後の抑圧された世界かもしれない。その世界で封じられている言葉とな何だろう。
近頃、金曜日の夜は映画館で映画を見て帰るというのが習い性みたくになってきた。
今夜、見た映画はグレッグ・フレディ・キャマリア監督のドキュメンタリー映画「黄金のメロディ マッスル・ショールズ」。アメリカ南部の片田舎の町、マッスルショールズから発信されたたくさんのソウル・ミュージック、ロック・ミュージックの生まれのゆりかごとなったフェーム・レコーディング・スタジオとそこから分派して発足したマッスルショールズ・サウンド・スタジオの物語。
そのすべての発端となったリック・ホールの山もあり谷もある人生。フェーム・レコーディング・スタジオのオーナーであり、プロデューサでもあったリック・ホールって金持ちのぼんぼんかと思っていたら、ビートルズのジョン・レノンやポール・マッカートニーぐらいには貧乏人の子供で、辛苦を味わった少年時代であったのを、初めて知った。そのリック・ホールの大きな人物ぶり、まさしく人種を超えたソウル・ミュージックの大立者は、なみなみならぬ不屈の野心家で起業家、企業家でもあった。おー、こんな映画を見るとぼくもいい夢を見てしまうよ。
そして、その音楽の聖地、マッスルショールズという町のど田舎ぶりと美しさにも感動のため息をついてしまう。
http://muscleshoals-movie.com
今夜は町田の万象房で日倉士歳朗さんのギグでした。日倉士さんの素晴らしいギターと歌を堪能しました。日倉士さんのライブは何度か経験しているのだけど、その素晴らしい歌の中で、いつも深くぼくの心のにほんとうに入りこんでくる歌があって、それは「ダニー・ボーイ」という歌なのです。日倉士さんの「ダニー・ボーイ」を聞いてから、ぼくはユー・チューブやCDで何人ものシンガーの「ダニー・ボーイ」を聞いてみました。日倉士さんを越える「ダニー・ボーイ」は見つからなかった。
ギグで終え、まかないの食事を食べる日倉士さんにぼくはリクエストしてしまう。「ダニー・ボーイ」をCDで発売してくれませんか、ぼくは毎日、聞きますよ。日倉士さんは笑って何も答えない。そこでぼくは、妄想に走ってしまう。この「ダニー・ボーイ」一曲で何人もの日本のミュージシャンに参加してもらいコンピレーション・アルバムは作れないものかと。ぼくはプロデューサーでこのアルバムでは歌わないことにしよう。このアルバムは大ヒットし、ぼくは日本のボブ・ゲルドフだと、偽善者だと揶揄されても気にしない。ティーン・エイジャーのころ、ぼくはボブ・ゲルドフのブームタウン・ラッツというバンドが好きだったから。
もちろんそのアルバムのラストは日倉士歳朗さんの「ダニー・ボーイ」で、もしも、このアルバムが発売されるならば、その理由はこの「ダニー・ボーイ」の歌自身にあるようなのだ。訳してみます。バグ・パイプは、昔、アイルランドやスコットランドでは戦いの召集ラッパであることを気にとめて、つたない訳詞を読んでみてください。
「ダニー・ボーイ、バグ・パイプが呼んでいる
山の谷から谷へ
夏も終わり、薔薇も枯れてしまった
行かなけばならなかったおまえをわたしは待っている
草の生い茂る夏におまえは帰ってくる
それとも雪におおわれた静かな渓谷に
日が照ろうが曇りの日であろうとも
ダニー・ボーイ、おまえがいないととても寂しい
もしも、おまえが帰ってきたとして、その時にはすべての花は散っている
たぶん、わたしも死んでいるだろう
おまえはよこたわったわたしを見つけ
ひざまずいて祈りをささげてくれるだろうか
草の生い茂る夏におまえは帰ってくる
それとも雪におおわれた静かな渓谷に
日が照ろうが曇りの日であろうとも
ダニー・ボーイ、おまえがいないととても寂しい」
ギグで終え、まかないの食事を食べる日倉士さんにぼくはリクエストしてしまう。「ダニー・ボーイ」をCDで発売してくれませんか、ぼくは毎日、聞きますよ。日倉士さんは笑って何も答えない。そこでぼくは、妄想に走ってしまう。この「ダニー・ボーイ」一曲で何人もの日本のミュージシャンに参加してもらいコンピレーション・アルバムは作れないものかと。ぼくはプロデューサーでこのアルバムでは歌わないことにしよう。このアルバムは大ヒットし、ぼくは日本のボブ・ゲルドフだと、偽善者だと揶揄されても気にしない。ティーン・エイジャーのころ、ぼくはボブ・ゲルドフのブームタウン・ラッツというバンドが好きだったから。
もちろんそのアルバムのラストは日倉士歳朗さんの「ダニー・ボーイ」で、もしも、このアルバムが発売されるならば、その理由はこの「ダニー・ボーイ」の歌自身にあるようなのだ。訳してみます。バグ・パイプは、昔、アイルランドやスコットランドでは戦いの召集ラッパであることを気にとめて、つたない訳詞を読んでみてください。
「ダニー・ボーイ、バグ・パイプが呼んでいる
山の谷から谷へ
夏も終わり、薔薇も枯れてしまった
行かなけばならなかったおまえをわたしは待っている
草の生い茂る夏におまえは帰ってくる
それとも雪におおわれた静かな渓谷に
日が照ろうが曇りの日であろうとも
ダニー・ボーイ、おまえがいないととても寂しい
もしも、おまえが帰ってきたとして、その時にはすべての花は散っている
たぶん、わたしも死んでいるだろう
おまえはよこたわったわたしを見つけ
ひざまずいて祈りをささげてくれるだろうか
草の生い茂る夏におまえは帰ってくる
それとも雪におおわれた静かな渓谷に
日が照ろうが曇りの日であろうとも
ダニー・ボーイ、おまえがいないととても寂しい」
大熊一夫さんの著した「精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」を読了した。イタリアとはサッカーとカンツオーネ、もちろんフェリーニの映画はすばらしいし、それから、最古の帝国、ローマの古い歴史、そのようなばかりの国ではなく、もっとも進んだ精神医療の国でもあるのを知った。話は1960年代の初頭にさかのぼる。イタリアから離れるけれど、1963年2月5日の一般教書演説でアメリカのケネディ大統領はこのように述べ、国を挙げて新しい精神保険計画に取り込むことを高らかに宣言する。「精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」からの引用。
「こういう事態は今まで放置されすぎた。それは、われわれ国民の良心の痛みだった。口にするのもはばかられて、簡単にあとまわしにできて、しかもその解決はほとんど絶望的であった。国家にとって重要な問題であるにもかかわらず、連邦政府は解決を州政府にまかせてきた。これらの病院は職員不足、過剰入院、劣悪居住環境といった点で、恥ずべき状態にあった。ここから逃れ出る唯一の確実な希望の道は死のみであった」
あぁ、未完のいまだにさまざまな希望への問いを投げかけるかのような偉大なアメリカの大統領よ、あなたは知っていたのだろうか、時をほぼ同じくして、イタリアの一人の精神科医が、このように述べて改革の旗を上げ、自ら実践し始める。再び「精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」からの引用。
「鉄格子や鉄の扉の奥に押し込めることを正当化するような精神状態など、本来ないのだ。精神病者の、ときおりの暴力は、結果である。施設の中での抑圧で引き起こされた人間としての反応である。つまり、それは精神病院が引き起こす病気。精神病院などやめて人間的存在たりうる暖かい状況に置くことができれば、精神病者の暴力などなくなるのだ」
こう言ったフランコ・バザーリアはそのおよそ20年後、イタリアでの精神医療改革の法律の制定を達成しながら、道なかばで、病に倒れ、逝ってしまう。そのフランコ・バザーリアの付けた改革の野火はその次の世代に伝承され、ある時は燃え盛り、ある時は、地下に潜行し、21世紀には、イタリアは治療はあるが精神病院のない社会を実現する。
さて、わが日本は、何周もの周回遅れでやっと始まったような状況なのだけど、それは、小さな明るい希望で、細い水の流れなのだけど、誰もが人間らしく生きれるように、この旧態の岩盤を砕いて欲しい。
この本、イタリアの現代史や社会の勉強にもなりました。ビバ・イタリア。チャオ。
渋谷東急のBunkamuraザ・ミュージアムに「デュフィ展」に行ってきた。暗いもののないデュフィの絵を見て、その楽しい、いきいきした線と色に気分がよくなりました。夜の海を航行する黒い舟ですら、デュフィの絵の中では、軽みをもって、きらきら輝いている。その楽しさと明るさに感動する。
その昔、ルノワールの絵を見て思った。もちろん、ピカソやゴーギャンも好きなのだけど、ぼくは、こういうルノワールやデュフィのような思想を感じさせない、ただ美しくて楽しい絵が実は好きなのだな。見ているうちに、言葉による思考ではない、普段は開いていない感受性が開き始めるのだろうか。心に翼が生えたように感じてしまい、そのダンスする自由の感覚が気持ちいいのです。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/14_dufy/
渋谷のユーロ・スペースでリティ・パニュ監督の映画「消えた画 クメール・ルージュの真実」を見た。1976年から1979年までのポル・ポト率いるクメール・ルージュ(カンボジア共産党)によるカンボジアの人々と社会へのすさまじい暴力を残されていた当時の実写フィルムと虐殺された死者たちの眠る土からつくられた動かない泥人形によって、哲学的、詩的に、そして、リアリスティックに表現していた。事実の悲惨さに打ちのめされ、沈鬱に映画館を出た。極端な原理主義がもたらす社会の非寛容はおそろしい。あっという間に死体の山がそこにできてしまう。ぼくたちは十分に気を付けた方がいい。
動かない泥人形が魂を持ち、生きているかのようだ。苦難を生き、死んでいった、ぼくたちの今の人間たちの先輩は泥人形となって生きているのだろうか。その人たちが幸せに生きてほしい、とぼくたちを思っている。
http://www.u-picc.com/kietae/
動かない泥人形が魂を持ち、生きているかのようだ。苦難を生き、死んでいった、ぼくたちの今の人間たちの先輩は泥人形となって生きているのだろうか。その人たちが幸せに生きてほしい、とぼくたちを思っている。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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