えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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禅といえば、昔から「十牛図」が大好きでした。一から十までゆっくり無心に見てみてください。四宝の厳しい世界よりもぼくはこういうのがいいとも思うのです、などというと、和尚の「喝」という声も聞こえてきますね。

一、尋牛(じんぎゅう)

二、見跡(けんせき)

三、見牛(けんぎゅう)

四、得牛(とくぎゅう)

五、牧牛(ぼくぎゅう)

六、騎牛帰家(きぎゅうきか)

七、忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)

八、人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)

九、返本還源(へんぽんげんげん)

十、入てん垂手(にってんすいしゅ)
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曹洞宗のお坊さんと知り合う機会があって、仏教の四宝ということを教えていただいた。

諸行無常 - All worldly things are transitory.
諸法無我 - Idea that all things in the universe lack their own unchangeable substances.
涅槃寂静 - Enlightenment leads to serenity.
一切皆苦 - All things are causes of sufferings.

英訳してみてさらに日本語に戻すとこういうこととなり、それは正しい訳なのだろうか?

世界のすべてのことどもは変化する。
宇宙にあるすべてのことは不変である実態を欠いている。
悟りは静けさをもたらす。
すべてのことどもは苦しみのもととなる。

なるほど、カリフォルニアでジャック・ケラワックやアレン・ギンズバーク、ひいてはスティーヴ・ジョブスをとりこにしたその仏教は、ケラワックに「禅ヒッピー(The Dharma Bums)」という長編を書かせてもしまう。

さて、四宝の漢文にもどれば、その三つ目の宝である言葉「涅槃寂静」にたじろぎ、そこの「寂」という語を見つけ、天国とはもっとも苛烈な苦痛のもとである「寂」、寂しいところなのかと、激しく当惑してしまう。そして、とどめの一撃のような「一切皆苦」に打ちのめされたような気持ちにもなってしまうのだ。

なんて厳しい教えなんだろう。
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「農MUSIC 農LIFE RECORDS 岐阜県 森と川と円空 森羅万象と般若心経」というイベントが町田の万象房であって、ぼくはお隣にすわられた町田の曹洞宗の簗田寺の僧侶にこんなことを尋ねたのだった。それはぼくにとっては切迫した問題でもあって、仏教でよく唱えられる縁というものは、良いものか、悪いものかと尋ねたのだった。僧侶はその縁を受け取る人の心が良きものならば良縁となるし、悪いものならば悪縁となると言われたのだ。

ならば、ぼくは数えきれない悪縁がいままであったことになると思い、それに関しては、すべてぼくのせいだと確かに首肯せざるえなかった。

付け加えて、仏教の境地は「涅槃寂静」という言葉を聞き、天国とは寂しく静かなところなのかと説かれ、その光景を想像もし、寂しくて静かだという光景に、なんだか、そんなころには行きたくはないという暗澹たる気分にも陥った。そして、その時、飼っていた犬のレオがぼくの夢の中で語っていた言葉を確かに思い出しもした。

「えいちゃんは生きていて楽しくないの? ぼくは生きていて楽しかったよ。えいちゃんにも逢えたし」

その夢の中の「えいちゃんにも逢えたし」という言葉がぼくをのっぴきならぬところに導くようでもあった。

縁とはいいものなのか、よくないものなかと、僧侶と詰問しているうちに、禅のぼくの大好きなことばがなぜか、ありありと浮かび、そのことばはありとあらゆる風に受け取れるのだけど、ぼくはそれに泣きだしそうなりました。

「落花流水を送る」
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伊豆の松崎に小さな旅に出かけました。山梨の下部温泉と並ぶ、ここ松崎の港町は、ぼくにとっての何にもない聖なる町なのです。

どうしてなのか、時計が止まったいるかのようです。しばしぼくの時計も止まってしまうようです。

もしもぼくが映画監督だったなら、この松崎の町で三島由紀夫の原作の小説「潮騒」を撮りたい。

美しい静さが豊さとして、ぼくを満たしてくれました。
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チリのワインっておいしいなぁ。とくにこの'Alpaca'、「アルパカ」ってワイン、値段もリーズナブル、パッケージもかわいくって、しかもおいしいのよ。!Salud! Buenas noches. ZZZzzz.....
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こんな夢を見た。ぼくは相模大野のとあるホテルの会議室のようなところにいる。そこにはぼくの知らない女の娘たちがが10人ぐらいで、ステージになっているところで、詩の朗読か演劇のようなことを始めようとしているらしい。そのお客さんの一人としてぼくは、そこにいて芝居が始まるのを待っているのだけど、その演者の中の一人だけ、ぼくの知っている女の娘がいて、あの娘がこんなことをするのかと、少しだけ、驚きの目で見ている。すると窓から鋭い閃光が差し込み、ぼくは驚いて、外を見ると、伊勢丹のあたりのビルが火事であかあかと激しく燃えている。たいへんだよ、火事だよ、とその芝居を始めようとする女の娘たちに声をかけても、誰も窓から、その燃え盛る炎を怖がってって見ようとはせず、ぼくの知っている女の娘は、顔には出さずととも、おびえきってる様子。火事のことよりも、それをそんなに怖がることはないんだと伝えたく、そのことのほうにぼくは焦燥してしまう。

そこで目が覚めた。年が明けて、とりたてて夢を見ていなかったか、朝、目覚めて、夢をおぼえていなかったぼくです。これが遅くやってきた初夢なのだろうか。神さま、いいことありますように、みがってでささやかな願いごとをしました。
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時々、映画館で映画を見たくなって、今日は会社帰りに気になっていたポルトガル映画「アンジェリカの微笑み」を見に、新百合ヶ丘にある川崎アートセンターのアルテリオ映像館に行きました。

監督は2015年に106歳で亡くなった巨匠オリヴェイラが101歳のときに撮った映画で、不思議な懐かしさ、美しさもたたえた女性の幽霊のお話。

映画を見ながら世界各国の三人の映画監督を思い出していました。スペインのルイス・ブニュエル、フィンランドのアキ・カウリスマキ、日本の大林宣彦です。三人とも鬼才と呼ばれる映画監督です。

その中でも、やはり、ルイス・ブニュエルを思いおこさせるような作品で、このスペインのシュール・レアリストは、キリスト教に対して、つねに愛憎が矛盾し拮抗するような作品を撮っていて、そんなところもポルトガルとスペインという隣同士の国でもあり、立ち位置が近いのかな、とも思いました。それから、食卓での哲学的な会話とか、あー、ブニュエルの映画みたいだ、などと思わせられます。

さて、この「アンジェリカの微笑み」に戻れば、途中でとても眠たくなってしまったのだけれども、ぼくの心のどこかに澱のように残り、あとあと夢の中に出てくるかもしれない、そんな映画なのでした。

眠たくなるようなヨーロッパもいいもんです。

http://www.crest-inter.co.jp/angelica/
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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