えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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相模大野のロックやフォークがかかる酒場、アコパで三上寛さんの弾き語りを見た。三上さんの弾いているギターがアーム付きの赤いグレッチだった。フォークとかロックとか、はたまた演歌ならぬ怨歌だとかと言われることもある三上寛さんの歌は、ジャンルなんか超越していて、まさしく「三上寛の世界」なのだった。放浪は似つかわしくなく、どこにあてっも津軽の恐山を思い出させる三上さんだけど、三上さんの歌は亡き小沢正一さんの言うところの語り芸と呼んでもいいいのかもしれない。

あっ、思い出した。昔、ミュージック・マガジンのインタビューで三上さんはジャニス・ジョップリンについてインタビューで語っていて、ほんものの歌手というのは、人生が歌っている歌そのものになってしまう、みたいなことを言っていた。そういえば、三上さんに"Summertime"をリクエストしたかったな、などと帰りのバスで思い出していた。

それにしても青森県ってすごいところだな。太宰治とか、寺山修司とか、奈良美智さん、そして、三上寛のおやびん。あぁ、酒が進んだよ。
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柄谷行人さんの編纂した柳田国男の文集「「小さきもの」の思想」を読了した。柳田国男というと「遠野物語」に代表される昔話の採取者というイメージが持たれてしまうのだけど、それにとどまらずに、明治、大正、昭和という時代をまたがって、経世済民を志し、近代によって無くされていく何か「小さきもの」に価値を見出し、日本の状況を「孤島苦」と喝破し、敗戦後は、日本人は社会を「死者ととともに」再建することを望んだ、最も偉大な思想家だったことが、柄谷行人さんの解題とともに読み進めていくと、よくわかります。柳田国男の思想の大きなあらましを知ることのできる入門編的な重い一冊でした。








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こんな夢を見た。

ぼくは前に勤めていた会社が大きな教室のようなところで開いている会合のようなものに出席している。パイプ椅子がたくさん並べられ、そこに100人以上の人が座り、演台で誰かが話し始めるのを待っていて、少しざわついている。もしかして、就職説明会なのかと思ったが、むしろ、創立記念の会のようなものかもしれない。前に勤めていた会社なので、何人か顔見知りである人もいることを知るのだけど、ぼくは気遅れして、むしろ、ぼくがここにいるのを気づかないで欲しいとも思う。ふと、周りを見回すと、今の会社を辞めた人や数人の今の会社に今現在いる人も見かける。今の会社を辞めた人が前の会社の社長にどうぞ、よろしく、などと挨拶してもいて、どういうことなんだろう、と不思議にも思うが、なんとなく、この会がどういう会なのかを言葉にはならないのだけど、わかったような気がする。気が付くと、席の向こうの演台で誰かがしゃべり始めている声が聞こえている。

そこで目が覚めた。この夢は意味深だろうか。夢辞典というサイトにすごいことが書いてあった。

「【集まり】・【会合】・【集会】・【チーム】…個人的自己が全体性への感覚へ成長すること。個人主義が共同体的精神や集合的無意識または神へと近づいている状態」

ゆめゆめうたがうことなかれ

夢辞典:http://www.geocities.jp/dreamusic7/
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会社帰りに100円ショップに寄ってみると、100円で映画のDVDが売っていて、その中にジョージ・スティーヴンス監督の古典のような西部劇「シェーン」があったので、買って見てしまった。

シェーンを演じるアラン・ラッドの抑えた名演技と勧善懲悪が美しいです。

それから、アメリカの西部ってこんな所だったのだろうか。泥だらけの広いあぜ道に掘立小屋のよろず屋兼バーがあって、男たちは立ってコーン・ウィスキーを飲んでいる。外では痩せた草原に砂ぼこりが舞っている。そんなところで、孤独な男が悪いやつらをやっつける。

あこがれますなぁ。ぼくもそんな主人公になって、悪いやつらをやっつけて、この町から出ていき、二度と戻らない、そんなことも想像してしまった。はっはっは、ばかだね。もう、この町には銃は必要ないとか、言い残して、そして、子どもと犬に別れを告げ、'Fine'となるのです。

めでたし、めでたしで、おやすみZZZzzz.....
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石牟礼道子さんの著した「あやとりの記」を読了した。工場が垂れ流した有機水銀で所謂、水俣病が発生するより前の美しい水俣のこれはスケッチのような小説で、その美しさゆえにゆっくり、ゆっくり読まずにはいられなかった。それらの美しい風景を日本は失ってしまったように感じられ、ものがあふれ、人が心をなくしていくようなこの病気のような近代というものが、本当に良いものだったのだろうか、と疑問にも思ってしまいます。あとがきに道子さんはこんなことも書いている。

「九州の南の方を舞台としていますが、高速道路に副う情けない都市のあそこここにも立って、彼岸を見つめ、"時間よ戻れ" と呪文を唱えたのです。
 どこもかしこもコンクリートで塗り固めた、近代建築の間や、谷間の跡などから、昔の時間が美しい水のように流れて来て、あのひとたちの世界が、現代の景色を透けさせながらあらわれました」

この本を読みながら、心の奥底で言葉というものの力によって、ぼくもその美しい水にふれたようなのです。こんな美しい言葉はありませぬ。






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この前、フォーク・シンガー、友川カズキをフランスの映像作家がとらまえた映画「花々の過失」を見た時に、買ってしまって、友川さんその人にサインまでしてもらった本「友川カズキ 独白録 生きてるって言ってみろ」がおもしろくて、一気に読んでしまった。

友川さんって、饒舌で、しかもどこか吃音、なまりありで、これは、胸にも腹にも刺さってきて、それが、なんだか泣きたいほどに気持ちいいブルーズなのよ。なるほどと勇気をもらったこの本の冒頭を引用しつつ、友川カズキという稀代の歌手、詩人、競輪愛好家、宴会師に絶大なる拍手と敬意を送り、あとは自分で買って読んでみてくださいと言ってしまおう。そして、それよりも、友川さんを知らない人は、友川さんの歌を生で、どこかのライブ・ハウスでぜひ聴いてみてくだい。

「私、ひとりでなければなんにもできないって思ってるんです。
 自分自身、変な人間だとは思ってますけどね。生活も性格も破綻寸前でなんとか踏みとどまってるに過ぎないんですが。結局、表現者の端くれとしては、「ひとりである」ということがすべての起点であり、基準であり、全部でもあるわけなんです。群れちゃダメだ、簡単に他人と肩を組んだり握手しちゃいけないってね。それだけは、今も昔も変わらない」






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川崎のチネチッタでウベルト・パゾリーニ監督の「おみおくりの作法」を見る。なんとも、静かでさびしい映画なんだけれども、このラストは、ぼくは美しいと思った。アキ・カウリスマキ監督の大好きな映画「コントラクト・キラー」を思い出しもした。ちょっとだけ似たシーンや展開もあった。いつまでも心に引っ掛かりつづける小さなお話です。

http://bitters.co.jp/omiokuri/
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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