えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

レンタルDVDでソト・クォーリーカー監督の「シアター・プノンペン」を見る。カンボジア映画です。クメール・ルージュ(カンボジア共産党)による内戦によって失われた映画の最終巻を撮りなおすという物語の中で、カンボジアの過酷な現代史が甦る。
エンドロールにもあるのだが、戦争ではなく、戦争の後のクメール・ルージュの支配の四年間の間の粛清によって、カンボジアの四分の一の人びとの命が奪われた。そんな、つい少し前の歴史も浮かび上がる。ほとんどの映画監督や俳優も殺されたそうだ。
昔のカンボジアを知っているのでもないのだけど、今のカンボジアの首都、プノンペンの景色に少しびっくりしてしまう。けっこう都会で、古き時代の九州のどこかの街のようなのです。
ラストは過去と向き合い新生を感じさせるもの。
ヒロインのマー・リネットが美しい。同じように、カンボジアの寺院や田園風景も美しい。きっと、この過酷さを越えてきたカンボジアの人の心も。
映画『シアター・プノンペン』公式サイト


大好きなピアニストのバド・パウエル。いわゆるジャズと呼ばれるジャンルの演奏者。"The Amazing Bud Powell Volume One"と"The Amazing Bud Powell Volume Two"、"The Bud Powell Trio"、"Bud In Paris"の4枚は若いころからよく聴いてきました。季節の変わり目の雨の降る日には聴きたくなります。
ウィキペディアから引用すると、こんな人生を歩んだ人です。
「1940年代後半から50年代初頭にかけて音楽面の最盛期を迎えるが、50年代中期以降は麻薬やアルコールなどの中毒に苦しみ、精神障害(統合失調症)を負う。しかしながら、不調期の録音においても、呻き声を発しながらの鬼気迫る演奏を聴くことができ、これを含めてパウエルの個性として評価する声が多い。
1960年代初頭は本国アメリカに一種のジャズ不況が訪れ、多くのジャズメンがヨーロッパに活動の場を移した時期であるが、パウエルもまたフランスに渡って活動を続ける。映画監督のベルトラン・タヴェルニエは、この時期のパウエルの演奏活動のエピソードを元に、映画「ラウンド・ミッドナイト」を撮影している。良好な環境と好意的な聴衆に支えられて麻薬禍からは脱却するが、既に体はボロボロであり、1966年アメリカに帰国した後にニューヨークで死去。死因は結核、栄養失調、アルコール中毒であったという」
昔のジャズのミュージシャンはこんな人生を歩んだ人ばかりだ。苛烈な人種差別ということもあったのだろう。
ぼくはバド・パウエルをピアノを奏でる天才と呼ぶのをためらわない。
その短い生涯の晩年のパリでのバド・パウエル
ウィキペディアから引用すると、こんな人生を歩んだ人です。
「1940年代後半から50年代初頭にかけて音楽面の最盛期を迎えるが、50年代中期以降は麻薬やアルコールなどの中毒に苦しみ、精神障害(統合失調症)を負う。しかしながら、不調期の録音においても、呻き声を発しながらの鬼気迫る演奏を聴くことができ、これを含めてパウエルの個性として評価する声が多い。
1960年代初頭は本国アメリカに一種のジャズ不況が訪れ、多くのジャズメンがヨーロッパに活動の場を移した時期であるが、パウエルもまたフランスに渡って活動を続ける。映画監督のベルトラン・タヴェルニエは、この時期のパウエルの演奏活動のエピソードを元に、映画「ラウンド・ミッドナイト」を撮影している。良好な環境と好意的な聴衆に支えられて麻薬禍からは脱却するが、既に体はボロボロであり、1966年アメリカに帰国した後にニューヨークで死去。死因は結核、栄養失調、アルコール中毒であったという」
昔のジャズのミュージシャンはこんな人生を歩んだ人ばかりだ。苛烈な人種差別ということもあったのだろう。
ぼくはバド・パウエルをピアノを奏でる天才と呼ぶのをためらわない。
その短い生涯の晩年のパリでのバド・パウエル


レンタルDVDでセルジオ・マシャード監督のブラジルの映画「ストリート・オーケストラ」を見ました。サンパウロのファーベラ(スラム地区)の高校のクラシック・オーケストラの指導のために雇われた教師のお話でした。サンバでもサッカーでもなく、カーニヴァルでもないブラジルがそこにありました。不良少年のヴァイオリンで音楽を奏でていると自分の中のケモノが静まっていくんだというセリフにぐっときてしまった。実話を基にした物語だそうです。
ブラジルのクラシックといえばエイトル・ヴィラ=ロボスは大好きです。よくCDでギター曲集を聴いています。
「ストリート・オーケストラ」を見ながら、ファーベラに響き、こだまするバッハも素敵だなと思いました。
映画『ストリート・オーケストラ aka VIOLIN TEACHER』公式サイト




三浦半島を散歩しました。三十三年に一度の一斉御開帳の三浦薬師如来霊場をめぐって散歩をしているのです。
六つの札所をめぐりました。
第14番札所 五劫山 天養院(浄土宗) -本尊 阿弥陀如来-
第15番札所 金剛山 浄楽寺(浄土宗) -本尊 阿弥陀如来-
第16番札所 降鏡山 福本寺(浄土宗) -本尊 阿弥陀如来-
第17番札所 紫雲山 正行院(浄土宗) -本尊 阿弥陀如来-
第18番札所 沙白山 万福寺(浄土宗) -本尊 阿弥陀如来-
第19番札所 医王山 正観寺(浄土宗) -本尊 阿弥陀如来-
海岸沿いに寺、町、村を旅する。三浦薬師如来や正確には三浦薬師瑠璃光如来だそうです。その瑠璃光とは日の光に輝く三浦の海の色の瑠璃色であるような気がしました。
つづく




中村元さんの著した「ブッダ伝 生涯と思想」を読了した。ブッダの生涯に即し、仏教の原始経典を解き明かした本。何度も読みながら、うとうとと眠たくなってしまう。けれども、自らの死期を察し、ブッダが随分、年の離れた弟子、アーナンダに人生は楽しいと言った言葉には感じいってしまった。引用します。
「アーナンダよ。ヴェーサーリーは楽しい、ウデーナ霊樹の地は楽しい。ゴーダマカ霊樹の地は楽しい。七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい。バフブッタの霊樹の地は楽しい。サーランダダ霊樹の地は楽しい。チャーバーラ霊樹の地は楽しい。
世界は美しいもので、人間の生命(いのち)は、甘美なものだ」
中村元さんは、ブッダは「善を求めて」出家したのであり、善でも悪でもない「さとり」を求めて出家したのではなくと解説され、ブッダは臨終の時ににこのようなことを弟子のスバッダに言ったそうです。引用します。
「スバッダよ。わたしは二十九歳で、何かしら善を求めて出家した。スバッダよ。わたしは出家して五十年余となった。
正理と法の領域のみを歩んで来た。これ以外にには<道の人>なるもは存在しない」
そうだったのか。なるほど。そんなブッダとはどんな人だったのだろう。
「アーナンダよ。そうではない。そうではない。善き友をもつこと、善き仲間のいること、善き人々に取り巻かれていることは、清浄行の全体である」
「それ故に、あなたは学ばなければなりません。―「われは善き友となろう。善き仲間となり、善き人々に取り囲まれるようになろう」と」
仏教思想・インド哲学の第一人者はこの本で「善き友、ブッダ」と書いておられました。そして、最後の言葉。
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」
「アーナンダよ。ヴェーサーリーは楽しい、ウデーナ霊樹の地は楽しい。ゴーダマカ霊樹の地は楽しい。七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい。バフブッタの霊樹の地は楽しい。サーランダダ霊樹の地は楽しい。チャーバーラ霊樹の地は楽しい。
世界は美しいもので、人間の生命(いのち)は、甘美なものだ」
中村元さんは、ブッダは「善を求めて」出家したのであり、善でも悪でもない「さとり」を求めて出家したのではなくと解説され、ブッダは臨終の時ににこのようなことを弟子のスバッダに言ったそうです。引用します。
「スバッダよ。わたしは二十九歳で、何かしら善を求めて出家した。スバッダよ。わたしは出家して五十年余となった。
正理と法の領域のみを歩んで来た。これ以外にには<道の人>なるもは存在しない」
そうだったのか。なるほど。そんなブッダとはどんな人だったのだろう。
「アーナンダよ。そうではない。そうではない。善き友をもつこと、善き仲間のいること、善き人々に取り巻かれていることは、清浄行の全体である」
「それ故に、あなたは学ばなければなりません。―「われは善き友となろう。善き仲間となり、善き人々に取り囲まれるようになろう」と」
仏教思想・インド哲学の第一人者はこの本で「善き友、ブッダ」と書いておられました。そして、最後の言葉。
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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