えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
ローリング・ストーンズの次のアルバムがブルーズのカヴァー・アルバムなのだそうだ。楽しみです。
もしかして、ミック・ジャガーとキーズ・リチャーズは長い、ながーい旅の果てに、もといたわが家にもどって来たのだろうか。ブライアン・ジョーンズのいたころの初期のローリング・ストーンズも、のちのストーンズに劣らず、すばらしかったのは「サティスファクション」みたいなヒット曲もあるけれど、それよりも、ブルーズへの、特にマディー・ウォーターズやリトル・ウォルターらのシカゴ・ブルーズへの愛に満ちていたからだともいえる。
などと、あれこれと思いをめぐらせば、1980年に出された"Tatuu You"というアルバムに入っていた"Black Limousine"というオリジナル・ナンバーのブルーズを思い出した。名曲というのは現在や過去を歌いながらも、未来も歌っているのかもしれないと慄然としてしまう。ミック・ジャガーとキース・リチャーズが何の血も繋がっていない兄弟みたいなものだとしたら、ロックンロールとブルーズはふたごのようなものかもしれない。夢からも悪夢からも覚めて、よう、ひさしぶりって、二人は挨拶しているのかも。意訳してみました。
♪♪♪
おれたちはいろんなところでリムジンで乗りまわしていたっけ
おまえは白い服を着て、おれはグリーンの服を着て、おれたちはとってもいかしていた
すべては狂った夢の中で
飲みあかしたり、踊りあかしたりしていたのさ
おまえの顔を見てみろよ、おまえとおれを見てみろよ
通りを歩いているおまえを見て、おれはこわくなった
まるで生きているのに、死んでいるみたいだぜ
おまえは何も変わっちゃいないし、何も話してもくれない
おちぶれて、遭難して、海岸で潮に洗われているだけ
おまえの顔を見てみろよ、おまえとおれを見てみろよ
おれたちは一つのペアで、一つのチームで、輝いていた
おれたちはでっかいリムジンをのりまわしていたっけ
そんな夢もどこかへ行ってしまい
もう見ることのない夢には鍵をかけてしまったんだ
おまえの顔を見てみろよ、おまえとおれを見てみろよ♪♪♪
もしかして、ミック・ジャガーとキーズ・リチャーズは長い、ながーい旅の果てに、もといたわが家にもどって来たのだろうか。ブライアン・ジョーンズのいたころの初期のローリング・ストーンズも、のちのストーンズに劣らず、すばらしかったのは「サティスファクション」みたいなヒット曲もあるけれど、それよりも、ブルーズへの、特にマディー・ウォーターズやリトル・ウォルターらのシカゴ・ブルーズへの愛に満ちていたからだともいえる。
などと、あれこれと思いをめぐらせば、1980年に出された"Tatuu You"というアルバムに入っていた"Black Limousine"というオリジナル・ナンバーのブルーズを思い出した。名曲というのは現在や過去を歌いながらも、未来も歌っているのかもしれないと慄然としてしまう。ミック・ジャガーとキース・リチャーズが何の血も繋がっていない兄弟みたいなものだとしたら、ロックンロールとブルーズはふたごのようなものかもしれない。夢からも悪夢からも覚めて、よう、ひさしぶりって、二人は挨拶しているのかも。意訳してみました。
♪♪♪
おれたちはいろんなところでリムジンで乗りまわしていたっけ
おまえは白い服を着て、おれはグリーンの服を着て、おれたちはとってもいかしていた
すべては狂った夢の中で
飲みあかしたり、踊りあかしたりしていたのさ
おまえの顔を見てみろよ、おまえとおれを見てみろよ
通りを歩いているおまえを見て、おれはこわくなった
まるで生きているのに、死んでいるみたいだぜ
おまえは何も変わっちゃいないし、何も話してもくれない
おちぶれて、遭難して、海岸で潮に洗われているだけ
おまえの顔を見てみろよ、おまえとおれを見てみろよ
おれたちは一つのペアで、一つのチームで、輝いていた
おれたちはでっかいリムジンをのりまわしていたっけ
そんな夢もどこかへ行ってしまい
もう見ることのない夢には鍵をかけてしまったんだ
おまえの顔を見てみろよ、おまえとおれを見てみろよ♪♪♪
ロン・ハワード監督がビートルズのコンサート・フィルムを集大成的にまとめ、ビートルズの歴史も振り返るドキュメンタリー映画「ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK」を見た。
ビートルズも彼らの活躍した1960年代も夏だったんだ。その夏がどのような夏かというと、それは、Sly & The Family Stoneが"Hot Fun In The Summertime"で歌い、Janis Joplinが"Summertime"と歌ったような夏で、それは二度と戻ってはこないかもしれないけれど、ふと、未来へのノスタルジーであるかのように、忘れたころに、いつまでも反響するこだまのように甦るのではかかろうか。
エンディング・ロールとともに、アップル社の屋上での彼らの最後のライブ演奏となったルーフトップ・コンサートのシーンが映されて、それが夏の終わりを告げるかのようで、ぼくの目頭は熱くなってしまう。
もう二度とやってはこないだろう夏、その記憶はどこからかか吹いてくる熱風のように女の子たちの地を震わすかのような圧倒的な歓声とともに忘れたころに何度でも甦るのだと思う。
映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』公式サイト
ビートルズも彼らの活躍した1960年代も夏だったんだ。その夏がどのような夏かというと、それは、Sly & The Family Stoneが"Hot Fun In The Summertime"で歌い、Janis Joplinが"Summertime"と歌ったような夏で、それは二度と戻ってはこないかもしれないけれど、ふと、未来へのノスタルジーであるかのように、忘れたころに、いつまでも反響するこだまのように甦るのではかかろうか。
エンディング・ロールとともに、アップル社の屋上での彼らの最後のライブ演奏となったルーフトップ・コンサートのシーンが映されて、それが夏の終わりを告げるかのようで、ぼくの目頭は熱くなってしまう。
もう二度とやってはこないだろう夏、その記憶はどこからかか吹いてくる熱風のように女の子たちの地を震わすかのような圧倒的な歓声とともに忘れたころに何度でも甦るのだと思う。
映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』公式サイト
本当にひさしぶりにCDではなくて、レコードをかけてみた。やっぱ、この音ですな。"The Golden Age Of Rhythm & Blues"というチェス・レコードから出ているドゥーワップのオムニバス盤です。あったかい、バランスのいい、とってもいい音です。何も足されてもいず、引かれててもいないこの音なのです。
このアルバムは2枚組だからA面からB面にひっくりかえし、レコードをとりかけてC面を聴いて、ひっくりかえしてD面を聴くのです。ジャケットも大きくて素敵だから、絵とか写真をながめながら聴くのです。もちろん、スクラッチ・ノイズなんて、何にも気になりません。あの娘のチャッティーみたいなものなのだよ。
このアルバムは2枚組だからA面からB面にひっくりかえし、レコードをとりかけてC面を聴いて、ひっくりかえしてD面を聴くのです。ジャケットも大きくて素敵だから、絵とか写真をながめながら聴くのです。もちろん、スクラッチ・ノイズなんて、何にも気になりません。あの娘のチャッティーみたいなものなのだよ。
今日は大好きなジャニス・ジョップリンが空の向こうに旅立った日ではないですか。ラストアルバムの"Pearl"を聴きながら、そのアルバムにバックの演奏だけは録音されていて、ジャニスは詞を残し、歌声は吹き込まれなかった"Buried Alive In The Blues"を意訳してみたのです。ジャニス、空の向こうで愛は見つかったよね・・・
♪♪♪
不運な地すべりにすべては捕えられ
ありとあらゆところから何かが押しよせて
あたしの気楽な旅は蹴とばされてしまった
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまったの
日曜の夜ぐらいはみんなベッドで眠りこけているのにな
あたしは通りにいて 頭の中でわけのわからないおしゃべりを一人ぼっちでしている
口もきけない壁の石がわたしのただ一人の話相手だから 何にも聞いてはくれないんだね
だから あたしはわめいたよ
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまったって
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまった
だれかあたしを愛して 助けてください ブルーズに生きながらも葬り去られてしまったあたしを
あたしは慈悲を乞い 雨の中で祈っている
こんな責め苦を一人ぼっちで受けとめるのなんてできっこない
あたしの頭の中は何かでめちゃくちゃにされてしまって
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまったの
ほんとうにたいへんなことだよ ブルーズに生きながらも葬り去られてしまうってことは
たいへんなことだよ 生きながらも葬り去られてしまうってことは
みんながあなたのとなりで歩いていても ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう
だれもあなたのことなんて気にしないから ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう
どんなに大好きな人に手をのばしても ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう
なんにもやりすごすことができないから ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう
ひどい時だよ 悪い運命に転げ落ちて
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう 本当に邪悪な時だよ
葬り去られ
葬り去られ
葬り去られ
葬り去られ
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう 本当に邪悪な時だよ♪♪♪
♪♪♪
不運な地すべりにすべては捕えられ
ありとあらゆところから何かが押しよせて
あたしの気楽な旅は蹴とばされてしまった
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまったの
日曜の夜ぐらいはみんなベッドで眠りこけているのにな
あたしは通りにいて 頭の中でわけのわからないおしゃべりを一人ぼっちでしている
口もきけない壁の石がわたしのただ一人の話相手だから 何にも聞いてはくれないんだね
だから あたしはわめいたよ
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまったって
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまった
だれかあたしを愛して 助けてください ブルーズに生きながらも葬り去られてしまったあたしを
あたしは慈悲を乞い 雨の中で祈っている
こんな責め苦を一人ぼっちで受けとめるのなんてできっこない
あたしの頭の中は何かでめちゃくちゃにされてしまって
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまったの
ほんとうにたいへんなことだよ ブルーズに生きながらも葬り去られてしまうってことは
たいへんなことだよ 生きながらも葬り去られてしまうってことは
みんながあなたのとなりで歩いていても ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう
だれもあなたのことなんて気にしないから ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう
どんなに大好きな人に手をのばしても ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう
なんにもやりすごすことができないから ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう
ひどい時だよ 悪い運命に転げ落ちて
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう 本当に邪悪な時だよ
葬り去られ
葬り去られ
葬り去られ
葬り去られ
ブルーズに生きながらも葬り去られてしまう 本当に邪悪な時だよ♪♪♪
こんな夢を見た。ぼくは自分の部屋にいる。いつもすわっているカーペットのあたりにのぼくの昔から使っているブルーのフレームの眼鏡の柄の折れているのを見つける。お気に入りの眼鏡だから、ぼくは同じようなデザインの新しい眼鏡を買うしかないかなと思う。
そこで目が覚めた。眠る前に蚊がまとわりついてくるので、蚊取り線香を取り出す時に偶然、なくしたと思っていた柄のおれた黄色いフレームの眼鏡を見つけたことが夢にも反映されたのでだろうか? それとも、この前の会社の飲み会で女子から青いフレームの眼鏡が似合うのなんて素敵と言われたことが出てきたのだろうか? はたまた、眼鏡を変えるということは、新しい世界の見方、見え方を発見するということだろうか? ぼくはいつだってブルーにふちどられた眼鏡をかけて明日を見たいと思っていたのかもしれないけれど、それを見たことはなかったのです。で、ぼくの心の中で河合隼雄先生はぼくに、もう眼鏡は必要ないのですかと問いかけるのかもしれません。ぼくは、こう答えるような気もするのです。それがもらえるとするなら、今がよく見える眼鏡をください。
そこで目が覚めた。眠る前に蚊がまとわりついてくるので、蚊取り線香を取り出す時に偶然、なくしたと思っていた柄のおれた黄色いフレームの眼鏡を見つけたことが夢にも反映されたのでだろうか? それとも、この前の会社の飲み会で女子から青いフレームの眼鏡が似合うのなんて素敵と言われたことが出てきたのだろうか? はたまた、眼鏡を変えるということは、新しい世界の見方、見え方を発見するということだろうか? ぼくはいつだってブルーにふちどられた眼鏡をかけて明日を見たいと思っていたのかもしれないけれど、それを見たことはなかったのです。で、ぼくの心の中で河合隼雄先生はぼくに、もう眼鏡は必要ないのですかと問いかけるのかもしれません。ぼくは、こう答えるような気もするのです。それがもらえるとするなら、今がよく見える眼鏡をください。
前谷彰さんの訳・解説の「ブッダの教え ~真訳・スッタニパータ~」を読了した。
やはり、これとは別の本「ブッダのことば スッタニパータ」の中村元先生の訳がいかに格調高く、すばらしいものだったかを、今さらながらも思いおこしてしまう。さらに平易な口語訳である「ブッダの教え ~真訳・スッタニパータ~」のそのわかりやすさから、解説はながめる程度として、経典の原文の訳をそのまま読み、何かを感じるのがよいのではなかろうか、などとも思ってしまった。
「スッタニパータ」で説かれている「犀の一角の経」はとくに大好きで、その中で「犀の一角のように、たったひとりで歩みなさい」と何度も謳われるのだけど、ぼくは悟りから永遠かとも思われる距離でへだたっているらしいことを感じもする。中村元さんはこれを「犀の角のようにただ独り歩め」と訳していて、その言葉はぼくを何度も惹きつけるのだけれど、誰かとある時、手をつなぐことも素敵なことだということも確かなことではないかしら。きっと、すべてを手放さなくてはならない時も、いつかはやってくるのです。
ここにあると思えば、ここにはなく、ここにはないと思ったなら、ここにある、とあの人は教えてくれていると思うから。
やはり、これとは別の本「ブッダのことば スッタニパータ」の中村元先生の訳がいかに格調高く、すばらしいものだったかを、今さらながらも思いおこしてしまう。さらに平易な口語訳である「ブッダの教え ~真訳・スッタニパータ~」のそのわかりやすさから、解説はながめる程度として、経典の原文の訳をそのまま読み、何かを感じるのがよいのではなかろうか、などとも思ってしまった。
「スッタニパータ」で説かれている「犀の一角の経」はとくに大好きで、その中で「犀の一角のように、たったひとりで歩みなさい」と何度も謳われるのだけど、ぼくは悟りから永遠かとも思われる距離でへだたっているらしいことを感じもする。中村元さんはこれを「犀の角のようにただ独り歩め」と訳していて、その言葉はぼくを何度も惹きつけるのだけれど、誰かとある時、手をつなぐことも素敵なことだということも確かなことではないかしら。きっと、すべてを手放さなくてはならない時も、いつかはやってくるのです。
ここにあると思えば、ここにはなく、ここにはないと思ったなら、ここにある、とあの人は教えてくれていると思うから。
カレンダー
えいちゃんのお奨め
カテゴリー
最新コメント
最新記事
(02/07)
(02/05)
(02/05)
(02/03)
(02/03)
(02/03)
(02/01)
プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
ブログ内検索
最新トラックバック