えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
峰三吉の「原爆詩集」のガリ版復刻版を読む。詩が一九四五年八月六日の広島にぼくを連れて行く。
彼も戦争と原爆によって奪われた短い三十六歳(昭和28年(1953)に去られている)の生涯だったことを詩人の年表を見て知った。
高校の修学旅行が広島で、広島平和記念資料館に見学に行ったことを思い出した。言葉が出なかった。あるいは、会社の出張で一カ月ほど広島に滞在し、ホテルと出張先の仕事場の往復で、広島平和記念公園の中の原爆ドームと呼ばれる広島平和記念碑を横に見ていたのを思い出した。
この詩は感動を越えている。未来の子どもたちのためにも、語られつづけ、読まれつづけた方がいい。
峰三吉 愛と平和を生きた詩人
マーサ・スタウトさんの著した「良心を持たない人たち」を読みました。マーサさんはアメリカで開業している心理セラピストでいわゆるサイコパスと呼ばれる人を自分の体験に基づき書きつづっている。嘘の答弁をしつづける日本の今の総理大臣を見るにつけ、こんな本を読んでみたくなたったのです。
読んでいるうちに、昔、職場で何も仕事をしていない上司に今でいうところのパワハラにあって、平気な顔で通していたのだけど、合気道か何かの護身術を身につけていればよかったのになどと悔やんだたこともあったのを思い出した。今でも合気道にはとても興味があります。
マーサさんは安易にサイコパスのレッテルを人や自分自身に貼らない方がいいと言ってもいて、けれども、危険を感じたなら静かに逃げなさいと説く。きっと、大きな話では、それはたくさんのユダヤ人がドイツやフランスを支配するヒットラーから逃げていったことでもあるだろう。ロヒンギャ難民は今、起こっていることでもある。
そして、マーサはどうして良心はよいものなのかも解く。ぼくは何か自分の心が氷のように冷たくなっているのを感じることもあるのだけど、心の中の小さな灯はいつまでも燃えていて欲しい。
読んでいるうちに、昔、職場で何も仕事をしていない上司に今でいうところのパワハラにあって、平気な顔で通していたのだけど、合気道か何かの護身術を身につけていればよかったのになどと悔やんだたこともあったのを思い出した。今でも合気道にはとても興味があります。
マーサさんは安易にサイコパスのレッテルを人や自分自身に貼らない方がいいと言ってもいて、けれども、危険を感じたなら静かに逃げなさいと説く。きっと、大きな話では、それはたくさんのユダヤ人がドイツやフランスを支配するヒットラーから逃げていったことでもあるだろう。ロヒンギャ難民は今、起こっていることでもある。
そして、マーサはどうして良心はよいものなのかも解く。ぼくは何か自分の心が氷のように冷たくなっているのを感じることもあるのだけど、心の中の小さな灯はいつまでも燃えていて欲しい。