えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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壇一雄の短編集「花筐」を読んだ。

この前、見た大林宜彦監督の映画「花筐」がとてもよくて、原作本を読んでみたのです。

三島由紀夫は「花筐」を読んで、小説家になろうと決心したという。語彙力の豊富さは三島を越えているのでないかとも思ってしまう。しかも、この悲劇の明るさは何だろう? 戦中と戦後の小説が六篇、どれも文体が違って、その言葉の力になるほどとうなってしまう。

「花筐」は五十ページ足らずの短い小説を3時間にも及ぶ映画にした大林監督にもぼくは驚いてしまう。しかもこの短編集のあとがきは文学愛に満ちた大林監督の思いのたけの文章がつづられてもいる。

太宰治や坂口安吾と同世代ながら、太宰や安吾と違い、戦争に行って戻り、生き延びた無頼派は、人を愛し、人を傷つけ、罪を作り、後悔し、それでも書き続けた、その戦後の生涯を思うと、なんとも言えないなぁ。「花筐」の他にも、この短編集に入っている「ペンギン記」は、夏目漱石の「文鳥」に並ぶ、命のかけがえのなさを思わせてくれる傑作だと思った。






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芹が谷公園にカップ酒を持って出かけベンチにすわり、ほろ酔いで桜の花見をして、その後に、公園内にある町田市国際版画美術館に足をのばし、「浜田知明 100年のまなざし」展を見ました。

この百歳になる現役の芸術家の出発点は浜田さん自身が語っているように、第二次世界大戦での兵士としての戦争体験で、一世紀にも届こうかという創作は、振り子のように戦争体験へと、戻ってきつつも、知られない安息を探しているようでもあるのだ。長くなるけれど、どうしても浜田知明さん自身の言葉を引用したい。

「軍隊の非道さ、愚劣さは、何度叫んでも叫び足りない。戦争は殺し合いではあるが、残虐すぎる。戦闘員ではない女性や老人、子供に対する暴行、虐殺も付随して起こる。それを平気でやっているのが社会では悪いことなどできない、ごく普通の人間なのだ。戦争は人間の心理を異常にする。そんな集団の一員であることが悲しかった。それも、意志に反して、そこに入れられたのだ。軍隊内部の生活もひどい。毎日、殴られた。兵器の手入れが悪い。掃除や整理整頓が悪い。飯の食い方が遅い。軍人勅諭の記憶が悪い。声が小さい。班長や古参兵の身の回りの世話が行き届かない。たるんどる…理屈は何とでもつけられる。初年兵のときなぐられた分を、二年兵になって返すやらしさ。陰湿な姑根性、嫁いびりだ。肉体的な苦痛は耐えられないことはない。もっとつらいのは、むしろ精神的なもので、人間性を抹殺され、プライドを傷つけられることである」

毎日、自殺の衝動にかられ、「戦争の残酷さや悲惨さを、軍隊の野蛮さや愚劣さを描きたい」と死を思いとどまり、幹部候補生を断り一兵卒を貫き、終戦を迎える。だから、ブーメランのようにその版画は戦争のもどってしまう。

今の世の中を見渡し、美術展も時代と共にあると思う。浜田さん、もっともっと生きて、作品を作り、世界に発信してください。

4月8日まで開催中です。

浜田知明 100年のまなざし | 展覧会 | 町田市立国際版画美術館
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レンタルDVDでセオドア・メルフィ監督の「ドリーム」を見た。物語の時は1960年代の初め、ケネディーの時代、舞台はNASA、主人公は三人の黒人女性、アフリカン・アメリカン。

見た後に、とても気持ちのいい爽やかな気持ちになって、三人の彼女たちから諦めない努力と勇気をもらったような気がする。

その三人の上司役のケビン・コスナーがやっぱかっこいい。おいおい、レディ・ファーストだぜ、もっていくなよ、ってのは冗談です。

この映画の現代は"Hidden Figures"で直訳すると「隠された人たち」ってことかな。けれど、"Hidden Figures"は"Hidden Gems"、「隠された宝石」だったのだ。

認められなくても、毎日、大切な何かのために戦っている人たちに、ぼくはファイトの声援を送ろう。

映画『ドリーム』オフィシャルサイト
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こんな夢を見た。ぼくは知らない大きな野原の中の道を歩いている。右の方を振り返ると、遠くに飛行場が見えて、右手から左手に青と白のストライプの飛行機が離陸していく。胴体に'HIS'というロゴが見えて、ぼくは、その'H'は'Hokkaido'の'H'を意味していて、あの飛行機は北海道とこことを結ぶローカル航空会社の飛行機だろうか、と思う。その飛行機が離陸して間もなく、機首をぼくの方に向け、さらに曲がっていき、Uターンする。そして機首を空の上の方に向け、飛行機はしばらく垂直に上昇していく。変な飛び方をしているなと、ぼくは思う。そして、飛行機は腹這いのようになり空に弧を描くように旋回しようとするが、描ききれずに、地面に激突し、向こうの方で衝撃波音とともに煙があがる。ぼくは、驚きとともに、飛行機のパイロットの機長が、飛行機もろとも、乗客を巻き添えにして、自殺したのだ、と思う。

そこで目が覚めた。見た夢が自分たちの住んでいる世界のような気がして、少し怖い気がしました。そうだ、地に降りることも必要なんだ。その時はきちんと、事故をしないように降りて行こう。
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地下鉄の要町の駅から歩いて5分ほどのところにある豊島区立熊谷守一美術館に熊谷守一の絵や書を観に行きました。変哲のない平凡な住宅地にある小さな美術館はもとは熊谷守一の自宅兼アトリエのあったところに建てられています。

熊谷守一の次女である熊谷榧さんによる私設美術館だったそこで、ゆっくりと絵を観てました。その時間は絵と対話するかのような時間でもあったのです。

絵を見ていると草花とか虫とか猫とかの小さな生きものたちの歌が聞こえてきそうです。いつか、ぼくもこんな絵のような歌が歌いたいと思いました。
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こんな夢を見た。家に帰って玄関から上がるとすぐにぼくの部屋になっていて、そこに病院から帰って来た父がいる。ぼくの部屋はいつになくなぜか散らかっていて、父は、散らかっているな、かたずけろ、と相変わらず高飛車に威張り腐って言う。かたわらに母が困ったようにたたずみ、微笑んでいる。春分の日だからだろうか。父が帰って来れたことはよかったとぼくは思っている。

そこで目が覚めた。細野晴臣さんによると、夢は小さな声でいいから、言わないと叶わないそうだ。プライバシーを明かすことに抵抗はあるのだけれども、そこで、ぼくはこのブログだけにひっそりと書いてみました。

ゆめゆめうたがふことなかれ
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国立近代美術館に「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」展に行きました。昔のお茶碗に描かれたような鄙びた絵の印象がある熊谷守一ですが、若いころはドイツの表現主義のような絵を描いていたのを知りました。明治生まれの売れない極貧の画家の絵に鈍い色の赤い線が表れるようになり、何かを描写するのではなく、その絵はその絵そのものようになっていき、熊谷守一の絵が生まれたことを知る。

今、再びこの画家が注目をあびつつあることに、ぼくは何かほっとするのです。

昭和天皇は熊谷守一の絵を見て、これは子どもの描いた絵かね、と言ったらしい。ぼくは陛下にこう申し述べたい。子どもが描いた絵ですよ、いつまでも、何があっても、雨の日も、晴れの日も、嵐の夜も、何十年も絵を描きつづけた子ども絵なんですよ。

春分の日まで開催中です。

没後40年 熊谷守一 生きるよろこび
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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