えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

神奈川新聞で紹介されていた私設の小さな美術館である横浜本牧絵画館での「トロンプルイユの現在(いま)2021」展を見に行きました。
「トロンプルイユ」とは何かというと、だまし絵と呼ばれるものとは中の一つで、ウィキペディアによれば、「トロンプ・ルイユ(Trompe-l'œil、騙し絵)とは、シュルレアリスムにおいてよく用いられた手法・技法である。ただし、シュルレアリスムに限って用いられるものではない。フランス語で「眼を騙す」を意味し、トロンプイユと表記されることもある。」とのこと。ぼくの好きなマグリットの絵を思い出します。
横浜本牧絵画館のもっとも多いコレクションである岩田榮吉は「トロンプルイユ」の先駆者であり、その絵は日本で最も早くすぐれた「トロンプルイユ」といわれているらしい。
どの絵も絵画の二次元を抜け出そうとするかのようでもあり、美しい工芸品のようでもあります。
その中で中原未央さんの絵に特に惹かれました。スーパーリアリズムの手法からはみ出すかのような生々しいパッションを感じ、「journey of life」という絵は、21世紀のシュールレアリズムだと見とれてしまっていました。
Nakahara Mio


2021年5月3日の今日で74年目の日本国憲法です。九条もいいと思うが、ぼくは日本国憲法の前文が更に大好きなんです。今、そんなぼくにとって、つらい時代が来つつあるな。
日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う。」
ラップやスポークン・ワードにして歌いたい。
「日本国憲法
前文
前文
日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。
われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う。」
ラップやスポークン・ワードにして歌いたい。


日本とスウェーデンのアーティストたちによる「アートの庭」展も開かれている三渓園に行って、美しいもの、面白いもの見つつ、散歩しました。昔、梅の花盛りのころ、三渓園には来たことがあると記憶していて、これが二回目です。なかなか、「アートの庭」展、見ごたえがありました。旧燈明寺本堂に飾られた日本とスウェーデンのアーティストたちのアートを見ながら、これは熊野の地の補陀落浄土の信仰ではないかと、時と場所を越えてゆくアートの力がそこにあるような気がして、ぎくりと驚いていました。そして、三渓園は素晴らしい。
近くの本牧神社にお参りをしました。爽やかな鯉のぼり泳ぐ神社の石段をおばあさんが看護師に付き添われてお参りをしていて、石段を一歩一歩と登っていく姿に、ぼくの心は動き、昔から伝えられてきた何か大切なことを思ってもいたのです。
御神籤をひくと「吉」でした。
「第二十二番 御神籤
雪の上に
ほのかに
咲ける
白梅に
有明の月
にほふ
すがしさ
雪の上にかすかに梅の花の香りが漂い
曙の月がさしています
幸運はすぐ目の前に来ているのです
しかし祈りの心を忘れてはいけません
幸運は壊れ易いものです
誠心(まごころ)を尽くしなさい
運勢 吉」
ゆめゆめうたがふことなかれ
近くの本牧神社にお参りをしました。爽やかな鯉のぼり泳ぐ神社の石段をおばあさんが看護師に付き添われてお参りをしていて、石段を一歩一歩と登っていく姿に、ぼくの心は動き、昔から伝えられてきた何か大切なことを思ってもいたのです。
御神籤をひくと「吉」でした。
「第二十二番 御神籤
雪の上に
ほのかに
咲ける
白梅に
有明の月
にほふ
すがしさ
雪の上にかすかに梅の花の香りが漂い
曙の月がさしています
幸運はすぐ目の前に来ているのです
しかし祈りの心を忘れてはいけません
幸運は壊れ易いものです
誠心(まごころ)を尽くしなさい
運勢 吉」
ゆめゆめうたがふことなかれ


新宿末廣亭に落語を聴きに行った。
明日の5月1日から11日まで営業はやむなく休止なのだそうだ。朝日新聞の報道によれば1日2万円の営業休止の協力金は拒否するとのこと。抗議の意味も込めてのことだと想像する。菅総理大臣と小池都知事の顔が思い浮かび、行政のすることはあまりに場当たり的で中途半端、ちぐはぐで犯罪的に愚鈍であると思う。
こころなしか今日の落語の演目は、春風亭一朝師匠の話した横暴な武士の役人の首が飛び、花火のように空に上がるという「たがや」をはじめ、棘が尖り、刺さるような噺が多かったように思う。けれど、林家正楽師匠のいろものの紙切りはいつも通りの紙切りだったのです。
新宿末廣亭


ユン・ダンビ監督の『夏時間』を見ました。
ある夏休みにおじいさんの家で過ごすこととなった一家を少女の視点から描いたこの韓国映画は、なにやら、足踏み式のミシンやら、虫除けの蚊帳やら、大きなステレオセットやら、懐かしいものにあふれれていました。そのおじいさんの家の舞台の道具と同じぐらいに、展開のない序破急の筋のこの映画自体が、あたかも時の止まったのような夏の時間の懐かしさにあふれているようで、主役の姉オクジュ役のチェ・ジョンウンの微妙に揺れう動く少女の心と相まって、とても素敵でした。
長い、長い序の末に破れ物語がおしまいを急ぐありふれたストーリーのラストシーンを見ていると、家族を描き続けたあの偉大な日本映画の巨匠、小津安二郎の映画を思い出しました。小津映画とのいくつもの共通点を見つけて、ぼくは少しだけニヤリ。マーチン・スコセッシ監督が選んだ100本の映画の中で小津の『東京物語』がナンバーワンであったような、偉大な映画監督の影響力を思い出しました。
川崎アートセンターの中の映画劇場、アルテリオ映像館を出た後、ぼくは、この映画は昔どこかで見たことがあると思い、その昔どこかで見たことのある映画を思い出そうとして、何度もこの映画『夏時間』を心の中で反芻していたのです。この既視感、デジャブは何なのだろう? 静けさが美しい、映画自身が昔見たことのある光景であるかのような、そんな不思議な映画でもありました。
映画『夏時間』公式サイト


入場の人数制限のかかったSOMPO美術館に予約して「モンドリアン展」を見に行こうと思っていたのですが、東京都の非常事態制限により、休館になってしまった。くやしくて、湘南にある二つの美術館、平塚市美術館と茅ヶ崎市美術館をはしごし、三つの美術展、「柳原義達展」、「川瀬巴水展」、「ほどく前提でむすぶ 藤田道子展」を見ました。それぞれの感想文です。
「柳原義達展」。一つのフロアー立ち並ぶたくさんの女の人の彫像、そして、もう一つのフロアーに並ぶ鴉と鳩のいくつもの彫像、それらの存在感が具象の力といったものを感じました。
「川瀬巴水展」。今回の美術展巡りのお目当てはこの「川瀬巴水展」でした。大正から昭和の時代にかけての美しい版画に詩情を感じ、じっと見つめていると、その美しい絵の情景の中にぼくの心は染まり、入り込んでしまうかのようでした。やはり川瀬巴水の版画は素晴らしい。見ているとニューヨークを撮りつづけたソール・ライターという写真家を思い出してもいました。景色をふと覗いてしまっている感じです。ノスタルジーとスタイリッシュな現代性が同時に川瀬巴水の版画にもあるようなのです。川瀬巴水の版画は良い! 三十分の川瀬巴水の版画製作をとらまえた映画を上映していました。美しい景色を求めて旅をし、写生する巴水。そして、小さな工房で作業する彫師と摺師が出てきて、その高度な技術を巴水は讃嘆する。偉大なり、版画!
「ほどく前提でむすぶ 藤田道子展」。そよ風が吹いてもほどけてしまうような結ばれた淡い色のリボンのインスタレーションを見ながら、その爽やかさがあまりに儚い。その真逆ともいえる、いつか見た、ダリの絵の中の真っ赤な血染めのようなリボンを思い出していました。そして、RDレインの大好きな詩とも散文ともつかない文集「結ぼれ」も思い出していました。「結ぼれる」とは「糸がからんで結び目ができる」とか、「結ばれてほどけにくくなる」ということ。つまりは、いつもこんがらがってしまうぼくは、「ほどく前提でむすぶ」ことなどできない人間なのです。
さて、非常事態宣言です。寄席は入場制限をして開きつづけるそうです。ミニシアターのユーロスペースも同じく入場制限をしつつ、開きつづけるそうです。朝日新聞の報じるユーロスペースの店長の話では、ミニシアターの営業自粛の協力金は一日二万円なのだそうです。ひどい話だ。ユーロスペースの店長は芸術への香典金かよと毒づいています。一石を投じる寄席や一部のミニシアターの動きにぼくは賛同してしまう。
そして、いつか相模原市にもちゃんとした美術館ができることを願ってやみません。
平塚市美術館
茅ヶ崎市美術館


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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