えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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クロエ・ジャオ監督の『ノマドランド』を見ました。企業の破たんと共に、長年住み慣れたネバタ州の住居も失ったファーンがバンを改造したぼろぼろのキャンピングカーに乗って、行先のないいつ終わるともしれない旅に出て、そこでいろんな人たちに出会うという物語。めぼしいストーリー展開はなく、ただ人と出会い、広大なアメリカ中西部や西部の大地に身を置く主人公の後を観客は追いかける。

フランシス・マクドーマンド演ずるファーン以外はほとんど、実際にキャンピングカーで放浪している人たちで、ぼそぼそと実話の自分の身のうえ話を語る、ある意味、とても退屈な映画なのだけど、心に染みました。この映画はケン・ローチ監督の作る社会派のそれではなく、ほんもののロード・ムービーで、年老いた登場人物はそれぞれに心に癒されぬ傷を負い、資本主義の抑圧から背を向けて、自由な自ら定住しない車上の生活を選んでいるかのようなのだ。

監督のクロエ・ジャオは北京生まれの米国に定住する中国人で、多分、本当にアメリカが好きなのだろう、とぼくは想像する。スイス生まれの写真家、写真をまさしく芸術の域まで高めたロバート・フランクがアメリカを愛したように。ただただ広いアメリカの大地にかろうじて繋ぎ止められているかのように彷徨い生きているアメリカ人たち。広大なアマゾン社の荷物集積所、広大なキャンピングカーのキャンプエリア、それすらも点のような、広大なアメリカの大地。

ノマドランド|映画|サーチライト・ピクチャーズ
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松崎町の旅の帰りに池田20世紀美術館に行きました。この美術館は現代美術のコレクションが1,300品もあるという1975年に開設された私設美術館。そのほんの一部が常設展で公開されております。

ピカソやシャガールの絵に惹かれてしまいます。絵のキャプションを見ながら、ピカソは92歳、シャガールは98歳まで生きたことに気づく。それにしても、実物の絵は本ものの迫力があります。

ピカソの最晩年の作品「近衛兵と鳩」を見ながら、ピカソの描く鳩の絵はいいな、と思う。このピカソに描かれた近衛兵はピカソ本人であるような気がして、守っているのは平和に違いない。

常設展の展示替えも楽しみで、また来たい。

企画展は「第7回 伊豆ビエンナーレ2021」で、静岡県東部や伊豆地区の作家が中心の無審査、無賞、自由出品のアンデパンダン形式。具象、抽象、さまざまなどの絵にも心がこもっていて、楽しい。

絵は心で描くもので、歌は心で歌うものだ。

その後、池田20世紀美術館近くの伊豆の美しい瞳とも呼ばれる一碧湖でぼーっとしておりました。

公益財団法人池田20世紀美術

近衛兵と鳩
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佐久間裕美子さんの『Weの市民革命』を旅先の宿で一晩で読みました。

この本を読んで、アメリカで革命が起きつつあるらしい、といことを知りました。革命が大げさならば、1960年代以来の社会の変動が20代、30代の若者たちが引っぱられて、今、起きつつあるらしい。それは暴力を伴わない革命で、例えば、Black Lives Matter(黒人の命は大事)のムーブメントでたくさんの白人がプラカードを持って、去年、街頭に飛び出した。ダイバーシティー、環境問題、海外での労働者搾取に関する抗議する不買を伴う消費者運動の広がりに大企業も無視することはできなくなった。この本に書かれた佐久間さんの率直な問いかけはこのようなものです。

「気候問題やパンデミックがもたらす新たな時代の課題を、現状の資本主義のシステムが解決してくれるのだろうか」

そして、かの地ではこうも叫ばれているらしい。

「自分以外の誰かのために、声を上げたり、行動を起こすから、「We」なのだ」

共感します。

と同時にぼくは3人の歴史上の日本人思い出してもいた。左派の側からの批判も多いけれど、『論語と算盤』の中で金儲けよりも倫理の方が大切だと説いた渋沢栄一。粉ミルクの製造にどれだけ多くの人が関わり、結ばれ合っているか、という話も登場する『君たちはどう生きるか』を書いた吉野源三郎。そして、「資本主義も社会主義もどちらも人間の尊厳や自然環境に対する配慮が足りない」といい、「社会的共通資本」の必要性を説いた、今年で没後6年となる経済学者の宇沢弘文。この早すぎた経済学者の彼が復活して今のアメリカの若い人を動かしているかのようでもあるのだ。

やっぱ、本当の革命は始まったばかり。






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車に折りたたみ自転車を乗せて、いつも旅に行く松崎町に向かいました。松崎町に旅するたびに松崎町を流れる川、那賀川の川沿いにはたくさんの桜の木が植わっていて、6キロメートルにわたる桜並木で春の桜の花咲く季節にはどんなだろう、と思っていたのです。自転車で旅の地の桜の満開の川沿いを走ってみたのです。これは楽しい。とてもきれいです。







自転車で散歩することを「ポタリング」という和製英語でちかごろは呼ぶらしい。ぼくは上り坂になるとすぐに息があがり、足が重くなる。鍛えるなどというにはおこがましい軟弱なぼくは、少しはなまった体を目覚めささなくては、と思う。

次は諏訪湖畔、もしくは、安曇野とかに行こうかな、って、なにげに、高低差のあまりない土地を選んでしまいます。旅の地の自転車散歩はとても楽しい。
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振り返れば鎌倉・江ノ島の七福神を巡ったことに始まるぼくの御朱印帳はもう五冊目の御朱印帳で、その五冊目の御朱印帳は令和二年四月二十六日の白笹稲荷神社に始まり、令和三年三月二十一日の高麗神社で締めくくられておりました。

ウィルス禍の中、世界にはいろんな問題、困難が渦巻いている。神仏に手を合わす時は、ぼくは初心で無心でいられたような気もします。

ブルースを忘れない。この世界に平和と愛を。

白笹稲荷神社

日向山宝城坊日向薬師

出雲大社相模分祠

藤澤山無量光院清浄光寺(遊行寺)


大雄山最乗寺


大船観音寺


報徳二宮神社


明月院

円覚寺


走水神社


伊豆山神社

伊古奈比咩命神社(白濱神社)


山中諏訪神社


甲斐善光寺


武田神社


御嶽山金櫻神社

夫婦木神社


座間神社


伊奴寝子社 蚕神社(座間神社)

伊勢原大神宮

東叡山寛永寺


上野東照宮

相模原清新氷川神社

大光山宝徳治


桐生天満宮

相州真鶴貴船神社

長照山陽運寺


中尊寺弁慶堂

中尊寺地蔵堂

中尊寺本堂

中尊寺讃衡蔵

中尊寺金色堂


中尊寺峯薬師堂


中尊寺阿弥陀堂

中尊寺白山神社


中尊寺大日堂


中尊寺弁財天堂

中尊寺千手観音

比々多神社

菅原神社

五所神社


谷保天満宮


高麗神社



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石牟礼道子さんの著した『水はみどろの宮』を読みました。この本には「水はみどろの宮」と、その続きの「花扇の祀」の二編が収められ、石牟礼さんが、子どもたちに読んで欲しいと、一世紀以上前の肥後の国、阿蘇の山の森のどこか、今の熊本県のある女の子を主人公にして書いた本なのです。けれど、まがりなりに大人のぼくが読んでも、胸にじーんときました。

近代の日本になって失われた豊かで大切なものごと、命の響き合いがこの『水はみどろの宮』の物語にはあふれています。

石牟礼道子さんは今はもう亡き人で、この『水はみどろの宮』、「花扇の祀」の続きは書かれることはないのだけれど、読み終えて、本を閉じる時、ぼくはまたどこの人里離れた山の森のどこかで、おじいさんに育てられている女の子、お葉や片目の真っ黒な山猫のおノンに会えるような気がしました。お葉やおノンはこの天変地異が続き、疫病はやる日本のどこかにまだいる、そんなことをぼくは想像してしまう。

石牟礼道子さんの「あとがき」に書かれた真摯なメッセージを引用して、この拙文を締めくくります。

 私たちの生命というものは遠い原初の呼び声に耳をすまし、未来にむけてそのメッセージを送るためにある。
 お互いに孤立した近代人ではなく、吹く風も流れる水も、草のささやきも、光の糸のような絆をつないでくれているのだということを、書き表したかった。とは言っても、風はともかく、草の声、水の声も聴きとれなくなった日本人のなんと多くなったことだろう。
 水俣のことで長い間、沈潜している思いがある。エネルギーをたくわえ、自分自信を炊かなければならない。そんな火を炊く祈りの場所を『水はみどろの宮』ときめて、わたしは、山の精たちをここに呼び出した。
 
 
 
 
 

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最近、車の運転が楽しくて、ドライブして原爆の図丸木美術館に行ってきました。


これで二回目ので丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」を見ながら、ぼくは、ピカソの代表作「ゲルニカ」を再現したタペストリーが、ニューヨークの国連本部から撤去された、というニュースを思い出したのだった。2003年のイラク戦争前にパウエル米国務長官(当時)が安保理で正当性を訴えた際には、反戦を象徴するゲルニカに暗幕が掛けられ、憶測を呼んだ、ということもあった。ならば、その「ゲルニカ」の取り払われたそこに丸木夫妻の「原爆の図」のレプリカを掲げればいい、とぼくは思う。芸術は芸術のためにのみ表現されればいい、社会や政治に関わるべきでなない、という意見に、ぼくはどうかな、と疑問を感ぜざるえない。心に感じたことを表現して何が悪いのだろう? むしろ、目をそむけているのではないかしら? などと考えつつ、連作の巨大な人類の悲劇と悲惨を描いた「原爆の図」に圧倒される。

そして、次にこのドライブのお目当てであった「山内若菜展 はじまりのはじまり」を見ました。インターネットでその紹介文を見て、興味を惹かれたのです。シャガールやいさわきちひろを思い出させるようなところもある絵には、それらの戦争の悲惨さをかいくぐった偉大な先達の絵を確かに凌駕しているところもある、と思いました。山内若菜さんの絵は、今という時代の汚泥すら内包しつつ、それを越えて美しく無垢に輝いていて、巨大なその絵の前で、ぼくの鳥肌立つ思いで、眺めていたのです。


その後、丸木美術館に貼られていた案内を頼りに、古民家ギャラリーかぐやでの「山内若菜 「奏でるひと」+小品展」も見ました。古民家ギャラリーかぐやでは、ぼくの今の会社勤めのリーサラ生活とはほど遠い、オルタナティブな生き方を感じてしまったよ。


帰りに行ってみたかった高麗神社によりました。きれいな神社だなぁ。重要文化財である古民家、高麗家住宅によりそって立つ立派なシダレザクラが本当に美しい。唐に滅ぼされた高句麗からの渡来人、高麗王若光を主祭神として祀る神社には、いろんな人が共生する美しい日本が今でもあるのではないかしら?




御神籤をひくと「大吉」でした。

「第二四番 御神籤

 思う事
   思うが
   まゝに
 なしとげて
 思う事なき
 家の内かな

 運勢 大吉」

ゆめゆめうたがふことなかれ
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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