えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
大矢英代さんの著した『沖縄「戦争マラリア」-強制疎開死3600人の真相に迫る』を一気に読みました。この前、見た映画『沖縄スパイ戦史』を三上智恵さんとともに共同で監督した人が大矢英代さんで、2009年の時から2020年までの長きに渡った間の「戦争マラリア」の取材記録であるとともに、まぶしいような青春の記録でもあるような本でした。「戦争マラリア」とは軍名によってマラリアのはびこる地域の強制移住された人々が、次々に病死していった史実でもあることで、そこのは、軍というものが住民の生命を惨たらしく犠牲にするのかということでもある。そんな話を重い口を開け、すこしづつ話してくれた波照間島のおじい、おばあとの暖かい心の交流も書かれていた。そして、「最終章 なぜ今、戦争マラリア」で問いかけていることは、とても鋭い。この章から強制移住を経験した潮平正道さんの言葉を引かさせてください。
「戦争になると、国歌は「国」というものを大事にして「民」を犠牲にする。でも、「国」は「民」があって初めて成り立つものでしょう? 戦争になるとね、そんなことは国民は忘れてしまうんですよ。八重山の人たちも、「お国のため」「天皇のため」と言って、マラリアで死ぬと分かっていながら軍の命令に従ったんだから」
そう、戦争マラリアを生き抜いた八重山のおじい、おばあたちは、口々に「また戦争をするんかやぁ」と言っているそうなのだ。今、国が喧伝し始めている敵とする国のこととかを敵として安易に信じてはいけない。
この本『沖縄「戦争マラリア」』の取材の結晶である『沖縄スパイ戦史』は数々の賞も取り、国内では自主上映がつづき、海外の韓国、ドイツ、スイスでも上映され、第二次世界大戦後、もっとも戦争をしている国、アメリカでも上映が始まるそうです。本当におめでとうございます。
こんな夢を見た。ぼくはどこかの大学の教室にいる。二度目の大学入学を果たしたらしい。大学の教授から七冊の赤い表紙の本を渡される。ぼくはこれからの一年間、これらの本を熟読し研究しなくてはいけない。教授から教えてもらうことは、詩や小説、絵、演劇、音楽と心のありようについてらしい。教授は、十七歳で死んでしまったら、何でも許されると言って、山田かまちの詩をリズム・アンド・ブルースやゴスペルみたいな抑揚で朗読し始めて、ぼくは驚くような気持でそれを聞いている。
そこで目が覚めた。山田かまちとは1977年に十七歳の若さでこの世を去った人で、ギターの感電死とも、もしかして自殺ともいわれるその死を遂げた部屋のベッドの下から、おまりものたくさんの詩を書いたノートが出てきて、出版され、映画にもなった人。ぼくは山田かまちの本も読んだことはなく、映画もみたことはないのだけれども。そして、夢に出てくる赤い表紙の本とは、ユングの「レッドブック」のことかもしれない。山田かまちの何倍も生きたぼくは、近頃、ふと、いろんなことを学びなおしたいとも思っています。山田かまちの詩集、今度、古本屋で見つけたら読んでみようかしら。
そこで目が覚めた。山田かまちとは1977年に十七歳の若さでこの世を去った人で、ギターの感電死とも、もしかして自殺ともいわれるその死を遂げた部屋のベッドの下から、おまりものたくさんの詩を書いたノートが出てきて、出版され、映画にもなった人。ぼくは山田かまちの本も読んだことはなく、映画もみたことはないのだけれども。そして、夢に出てくる赤い表紙の本とは、ユングの「レッドブック」のことかもしれない。山田かまちの何倍も生きたぼくは、近頃、ふと、いろんなことを学びなおしたいとも思っています。山田かまちの詩集、今度、古本屋で見つけたら読んでみようかしら。
今日は関東大震災の日であるとともに、当時、植民地であった朝鮮半島から日本に来ていた人たちが、理由もなく殺された日でもあります。小池百合子東京都知事になり、毎年、出されていた都知事から追悼文が止んで、今年も出されないのはどういうことなのか? 小池百合子東京都知事だけのことじゃないぞ。こうして負の歴史が伝わらず、風化していくことが恐ろしい。負の歴史こそ伝え、明日の糧にすることが、日本の未来、世界の未来を開くことではないのか。朝鮮人虐殺を目の当たりにした折口信夫の詩「砂けぶり」を引いて、今年もぼくは追悼したいと思います。
砂けぶり 一
夜になつた―。
また 蝋燭と流言の夜だ。
まつくらな町を 金棒ひいて
夜警に出るとしよう
かはゆい子どもが―
大道で ぴちやぴちやしばいて居た。
あの音―。
不逞帰順民の死骸の―。
おん身らは 誰をころしたと思ふ。
陛下のみ名において―。
おそろしい呪文だ。
陛下万歳 ばあんざあい
砂けぶり 二
焼け原に 芽を出した
ごふつくばりの力芝め
だが きさまが憎めない
たつた 一かたまりの 青々した草だもの
両国の上で、水の色を見よう。
せめてものやすらひに―。
身にしむ水の色だ。
死骸よ。この間、浮き出さずに居れ
水死の女の印象
黒くちゞかんだ藤の葉
よごれ朽つて静かな髪の毛
―あゝ そこにも こゝにも
横浜からあるいて来ました。
疲れきつたからだです―。
そんなに おどろかさないでください。
朝鮮人になつちまひたい気がします
深川だ。
あゝ まつさをな空だ―。
野菜でも作らう。
この青天井のするどさ。
夜になつた―。
また 蝋燭と流言の夜だ。
まつくらな町で金棒ひいて
夜警に出掛けようか
井戸のなかへ
毒を入れてまはると言ふ人々―。
われわれを叱つて下さる
神々のつかはしめだらう
かはゆい子どもが―
大道で しばつて居たつけ―。
あの音―。
帰順民のむくろの―。
命をもつて目賭した
一瞬の芸術
苦痛に陶酔した
涅槃の大恐怖
おん身らは誰をころしたと思ふ。
かの尊い御名において―。
おそろしい呪文だ。
万歳 ばんざあい
我らの死は、
涅槃を無視する―。
擾乱の歓喜と
飽満する痛苦と
砂けぶり 一
夜になつた―。
また 蝋燭と流言の夜だ。
まつくらな町を 金棒ひいて
夜警に出るとしよう
かはゆい子どもが―
大道で ぴちやぴちやしばいて居た。
あの音―。
不逞帰順民の死骸の―。
おん身らは 誰をころしたと思ふ。
陛下のみ名において―。
おそろしい呪文だ。
陛下万歳 ばあんざあい
砂けぶり 二
焼け原に 芽を出した
ごふつくばりの力芝め
だが きさまが憎めない
たつた 一かたまりの 青々した草だもの
両国の上で、水の色を見よう。
せめてものやすらひに―。
身にしむ水の色だ。
死骸よ。この間、浮き出さずに居れ
水死の女の印象
黒くちゞかんだ藤の葉
よごれ朽つて静かな髪の毛
―あゝ そこにも こゝにも
横浜からあるいて来ました。
疲れきつたからだです―。
そんなに おどろかさないでください。
朝鮮人になつちまひたい気がします
深川だ。
あゝ まつさをな空だ―。
野菜でも作らう。
この青天井のするどさ。
夜になつた―。
また 蝋燭と流言の夜だ。
まつくらな町で金棒ひいて
夜警に出掛けようか
井戸のなかへ
毒を入れてまはると言ふ人々―。
われわれを叱つて下さる
神々のつかはしめだらう
かはゆい子どもが―
大道で しばつて居たつけ―。
あの音―。
帰順民のむくろの―。
命をもつて目賭した
一瞬の芸術
苦痛に陶酔した
涅槃の大恐怖
おん身らは誰をころしたと思ふ。
かの尊い御名において―。
おそろしい呪文だ。
万歳 ばんざあい
我らの死は、
涅槃を無視する―。
擾乱の歓喜と
飽満する痛苦と
ポレポレ東中野で三上智恵さんと大矢英代さんのお二人の共同監督のドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』を見た。
そうか、やはり、軍隊は、戦争の時、人を守るものではなかったのか、守るというより人を犠牲にして、命を奪うという沖縄戦の教訓。取材に応じた今は八十歳を超えるゲリラ戦を陸軍中野学校出身の青年将校に仕込まれた元少年兵は、沖縄戦を忘れたら、また地獄になるよと言う。
戦争マラリアのことはよく知らなかった。波照間島での山下虎雄という偽名を名乗る、陸軍中野学校出身の男からの軍刀を振りかざした暴力による西表島への全島民の強制移動により、強制収容所のような所でマラリアにかかった人たちが、つぎつぎに倒れ、死んでいった。波照間島の学童慰霊碑の碑文にはこうあるという。
「太平洋戦末期一九四五年四月八日 西表島字南風見へ強制疎開させられ全学童三二三名はマラリアの猖獗により全員罹患 中六六名を死に至らしめた
かつてあった山下軍曹(偽名)の行為はゆるしはしようが然し忘れはしない
本校創立九〇周年を記念し、はるか疎開地に刻まれた「忘勿石」を望む場所に その霊を慰め、あわせて恒久平和をねがい碑を建立する
一九八四年七月一六日
波照間小学校創立九〇周年記念事業期成会」
旧日本陸軍の考えは反省もされず、今の自衛隊に残されていという。そして、石垣島での市長選での自衛隊誘致を推進する市長の勝利により、他国の軍から標的にされる巨大な弾薬庫が建設されている。ぼくたちは、せめてもの、例えば選挙で、戦争の方に向かっていかない議員を選びつづけないといけない。
映画『沖縄スパイ戦史』公式サイト
神社仏閣巡りが好きで、この前、上野の東叡山寛永寺に行きました。御朱印をいただくのですが、その時、御朱印帳に「天台ブックレット」という小さな冊子も差し挟まれていました。その「天台ブックレット」をつらつら読んでいて、阿純章さんの書いた「ふぞろいの野菜たち」に共感を覚えました。その文を読むと、野菜の種にはF1種と固定種というのがあるらしく、今、スーパーなどで売られている野菜や果物のほとんんどが一代限りしか育たないF1種からの植物で、その形はほとんど同じに揃っていて、見た目の品質はほとんど均質なのだそう。それに対して、固定種から育てられた植物は見た目の多様性の富んでいて、味は濃い。京野菜や鎌倉野菜ってそうなのかな? おいしいですよね。土地土地で自家採取で代々育てられ、土地土地の土になじみ、そろっていないけれど、おいしい野菜や果物となっていく。むしろ均質でないふぞろいの方が自然のありようで、人も型にはまらなくい方が、あたりまえのまっとうな有り様ではなかろうかと阿純章さんは書いており、天の法則として、良寛さんの詩を引用しています。
花、無心にして蝶を招き
蝶、無心にして花を尋ね
花、開くとき、蝶来り
蝶、来るとき、花開く
吾れも亦人を知らず
人も亦吾を知らず
知らずして帝の則に従う
花は咲くときに咲く、蝶は舞うときに舞う、人は人でただ生きる、そこに何が美しいとか誰が凄いということはなく、それぞれがそれぞれにただ生きて、知らぬままに天の法則にしたがって調和して生きている、ということだそう。
ふぞろいの野菜たち、万歳!
この8年間近くで、政治の権力に近い人たちならば、何をしても、法を越えて許され、優遇される、そんな日本になってしまったように思う。押し返し、しっかり、立て直さないといけない。終わって始まる。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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