えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
昨日は宮ヶ瀬湖あたりまで、ドライブに行った。車をこれだけ運転するのも久しぶり。エンジンオイルも変えたばかり。100年に1度という不況のせいか、道も空いている。車の調子もいい。
夜、ラシエットへにしやん主催のパーティーへ出かける。1曲、オリジナルをギターを弾きながら、歌ってしまった。この歌った曲「踊りにいってもいいだろう、ママ」(変なタイトル、うっぷ)は結構、いい曲だって、みんなから言われる。人生に1曲ぐらい、名曲ができるもんだ。しかも、今夜は横浜の老舗ジャズ喫茶「ドルフィー」のセッションのホストでもある、ピアニスト川久保典彦さんhttp://www.kawakubo.sakura.ne.jp/のピアノの伴奏付き。すばらしかったです。
その後、調子に乗りすぎて飲みすぎた。プエルトリコのおいしいバーボン「キャプテンモルガン」なんてあるんだもの。後半、記憶が曖昧。やばっ。冷や汗。言動に自信が持てん。何か、やらかしている気がする。お酒は悪魔のキ○ガイ水とはよく言ったものだ。
あと、昨日は本を一冊、一気に読み終えたのだ。川原テツ著の「名画座番外地 「新宿昭和館」傷だらけの盛衰記」。新宿東口を出て左に行ったあたりにあった任侠映画を特に上映していた名画座「新宿昭和館」で働いていた川原さんのその映画館の思い出を書き綴ったもの。アウトローのたまり場のような映画館であったのだ。映画館の中でお客さんに焚き火を始められるというものすごいエピソードも数ある事件の中の一つ。お客との取っ組み合いの喧嘩など、日常茶飯事。川原テツさんhttp://kawahara-tetsu.com/、高校中退のラモーンズ好きのパンク小僧が、映画館を舞台に20年間もの間、バカ騒ぎ、お祭りの毎日にいたらしい。文章からにじみ出ている川原さんの人柄にも何か親近感すら感じてしまう。
アウトローになるのか、なってしまうのか、なるしかないのか? 番外地に行くのか、行ってしまうのか? 行くしかないのか?
ある飲み会でどんなタイプが好きかと問われて、くちびるの厚い人と答え、ぼくはくちびるフェチかもしれないと言ったら、みんな、どん引き。ぞくぞくしてきたとも言われた。どういうこっちゃ? さらに調子に乗って、目がパッチリ大きい人と言ったら、さらにどん引き。鼻がに少しぶたみたく上を向いてる人と言うと、さらにどん引き。それで、その飲み会界わいでの色恋ざたは、これからは起こりえることもなくなったわなぁ。きっと、さらに変な人、あぶない人と思われていること必死。けれど、これでいいのだ。そして、これには何か邪悪な香りもただよわす気がする。どうしてだろう?
最近、「ロバート・ジョンソン クロスロード伝説」という本をRobert JohnsonのCDをかけながら、読んでいる。Robert Johnsonはミシシッピー出身の1930年代に活動した十字路で悪魔に魂を売ったと言われる伝説の実在のブルーズマンで、禁酒法時代にMOONSHINE(月の明かり!)と呼ばれる密造コーン酒好きのアル中の酔っ払いで、好きな女のあとを追いかけ、毒を盛られ死んだとされ、大切なものを失うことの失望を超えた恐怖すら歌った。その本当の足跡は深い霧につつまれている。ある精神分析医は彼の歌を聴き、統合失調症、昔の言葉で言うと精神分裂病の診断を下す。
いつもRobertの歌を聴くと、悪魔に憑かれているようだと思いながら神聖な最上のゴスペル、霊歌のような響きも感じ、打たれていた。放浪する彼は最後のメモ書きにこのように書いたそうだ。
「ナザレのイエス、エルサレムの王、わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられ、わたしを墓から呼ぶだろう」
Robert Johnsonは苦悩の歌ばかり歌ったけれど、勝利者なのだ。すべては良し。
この本の表紙を見ると、死んだ友だちとそっくりだと思う。やさしいやつだったなぁ、、、
この前、亡くなられた河合隼雄さんの対談を二冊、続けて読んだ。「「あるがまま」を受け入れる技術」という棋士の谷川浩司さんとの対談と「生きるとは自分の物語をつくること」は小説家の小川洋子さんとの対談。
二冊とも人生のケミストリーについて語りあっておりますなぁ。ケミストリーとは化学反応のこと。人と人とがめぐり合い、奇跡のような成長や幸せをもたらすこともあるらしい。長い悩みの末、谷川浩司九段は遊びの境地を垣間見て、人生も仕事である将棋も楽しめるようになったという。うらやましいです。谷川棋士にとってその人とは羽生善治九段であるのかもしれない。
みなさん、偶然が必然であるようなミラクルってあると思いますか?「生きるとは自分の物語をつくること」の中で河合先生は重篤な患者が治癒されていく過程で、何度でもそのような奇跡のようなできごとが起こるという。場というようなもの、多分、星座のような絶妙な配置、符合が形づくられるのかも。最近、ぼくもそういうのはあると思います。本当にある! 「のぞみはひかりより速いんです」と河合先生は言っています。だじゃれです。しかも、真剣です。そして、この本は河合隼雄さんの最後になってしまった。ラストメッセージかな・・・笑いながら、感動して泣きました。
河合 アインシュタインの、光りは全てのものの中で一番速いいうのは間違いです。光りよりも速いものがあったんです。
小川 のぞみ。
河合 太陽から、ここまで光りが届くのに何分かかるか知ってる? 八分。ところが僕が太陽に「お願いします」言うたらパッと一瞬にして届く。
小川 一瞬ですね(笑)。
河合 だからのぞみはひかりより速いんです(笑)。
(ヒントはJR)
河合さんの本はたくさん読みました。いつかどこかでまだ会える気がする。
世界的な言語学・文化人類学者である西江雅之さんの「自選紀行集」を読んだ。この人の著すエッセイは本当におもしろくて、心に響くなぁ。本の中のこんな言葉にうれしくなる。
「世の中には、思い描くだけで心が躍るものがある。様々な形、色、そして音が、この地上には溢れていて、それらが自由気儘に動いている。」
100人いれば、100通りの性、セックスがあるというのは精神分析の始祖、フロイトの言葉だけど、この本を読むと、100人いれば、100通りのもの思い描く幸せ、ハッピーがあると思うし、そうであって欲しい。この本ではなく、最近、知ったメキシコの先住民の権利回復運動のサパティスタ民族解放軍のリーダーとされるマルコス副司令官(司令官は先住民)は、世界に辺境というのはあるのだろうかと問い、世界はまるくて、隠れるすみっこはないのだと続ける。世界のいたるところで、人は幸せを求めて生きているのだ。アフリカ、アメリカ、アジア、・・・。こんなことも西江さんは書いている。
「人間はお互い持ちつ持たれつの関係にある。他人を信じてしか生きられない。しかし、そのことは、頭で理解出来てはいても、実際の場で考えることとは逆であるのも確かである。」
地球は丸くて、東京もニューヨークもロンドンも世界の中心でないのかもしれない。世界は幾層にも重なった、複雑な網のようなものかもしれない。
1997年に発表された「国境の町*与那国」はこれからの世界を思い巡らすとき、予言的である。国境は、旅をして越えるためにあると西江さんは短く書くけれど、その旅をするのはぼくやきみなのだと思う。旅をしよう。
細野晴臣のもっとも新しいインタビュー集「分福茶釜」を読む。こんなことが書いてあった。
「でも少数民族の音楽って自分だけのためにある。旅をしながら親指ピアノを弾いたり、鼻で吹く笛は自分にしか聞こえないし。自分と自然の循環の中で、くゆらせる音楽ってものがある」
「音楽も、演説もアジテーションも、とにかく大きな音は虚しいんだよ」
クラブで爆音でレゲエを聴くその気持ち良さを認めてしまうぼくはどうかと思う。小さいものたちが爆音を響かせるその深い哀しみというのもあるだろう。
以下の発言はやけに心に響いた。この祈りの経験は友だちの女性が癌になり、その影が消えた実体験だという。
「たとえば伊勢神宮に行くと「祈っちゃいけない」と言われるでしょ。「お願いしちゃいけない、淡々としていなさい」って。ぼくもそうやっていたけど、その一方で、「困ったときの神頼み」っていう気分はあって、それをやってみたら、ある感覚がつかめた。手応えがあったんだ。治してくださいっていうんじゃなくて、祈りの本質は、むしろ「もう全部オッケーだ」っていう気持ちになることだっていうことがわかったの」
「「もう治った」って信じることなんだよ、祈りっていうのは。「もう治った、ありがとう」って。そういう感覚なんだ。「努々疑うことなかれ」っていうことだよ」