えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
この前、江の島を散歩をした。今日は、小雨降る小田急線の片瀬江ノ島駅を出て、そこからすこし東に行った一つの神社と一つの寺院を歩いてみたそのきっかけは、江の島に伝わる縁起による。江島神社のホームページから引用します。
「江島神社について:江島縁起
伝説によれば、鎌倉には昔、五つの頭を持つ龍がいて悪行を重ねていました。そこへ天女が舞い降り、天女に恋心を抱く五頭龍を諭し、悪行をやめさせました。この五頭龍をまつるのが龍口明神社(鎌倉市腰越)です。その後、五頭龍は海を離れ、山に姿を変えました。これが現在の藤沢市龍口山です。そして、天女の天下りとともに出現した島が現在の江の島。天女は江島神社に奉られている弁財天です。江島神社には弁財天堂(奉安殿)があり、裸弁財天像(妙音弁財天)が奉られています。
平成十三年(2001年)四月一日には、御鎮座1450年式年大祭が盛大に挙行され、「神幸祭」で、江島神社とは夫婦の関係にある龍口明神社から御神輿を迎え入れました。この伝説が記された『江島縁起』の絵巻物は、江島神社のご宝物として保管されています」
この話を知り、そうか、江島神社に詣でたからには、龍口明神社にも行った方がよいのではないと、思ったわけです。そして、龍口山に廻ってみたく、その地には、遺構となりつつある古き龍口明神社があり、その隣には龍口寺があり、「龍ノ口法難」と呼ばれる縁起もあったのです。龍口寺のホームページから引用します。
「龍ノ口法難
鎌倉時代後期、日本は内乱や蒙古襲来、飢餓や疫病の蔓延など、様々な脅威に包まれていました。それらを憂えた日蓮聖人(1222~1282)は、『立正安国論』を著し、幕府に奏上しました。
しかし、幕府はこれを政策への中傷であると受け止め、文永8年(1272)9月12日、鎌倉松葉谷の草庵におられた日蓮聖人を捕らえ、斬首するために、刑場であったこの地、龍ノ口へ連行したのです。
翌13日子丑の刻(午前2時前後)、土牢から引き出された日蓮聖人は、敷皮石(座布団状の石に皮を敷く)に坐らされ、評定の使者も待たず、あわや斬首になるときでした。
「江ノ島の方より満月のような光ものが飛び来たって首斬り役人の目がくらみ、畏れおののき倒れ」(日蓮聖人の手紙より)、斬首の刑は中止となりました。
龍ノ口刑場で処刑中止となったのは日蓮聖人をおいておらず、爾来、この出来事を「龍ノ口法難」と呼び習わしています」
「江島縁起」も「龍ノ口法難」こんな話があるわけはないだろう、などとぼくも考えていましたが、それを昔、見た人が確かにあって、祈りの込められた淡い伝説として残ったということではないだろうか?
と同時にこんなことも書いておかなくてはなるまい。昔、日蓮を祖とする宗教団体から入信を勧誘されて、物心ともに危険を感じて、ものすごく嫌だった。龍口寺に「宗教勧誘にご用心!」というチラシが置いてあった。その中にこんな文章がありました。
「「今、本当に幸せ?」
「苦しくない??」
世の中、良いことばかりではありません。
危険な教団は、「人の弱み」につけ込みます」
確かにね。不幸のままでいいんですか~、とかって言われたら、いいんだよ、ほっとけよ、それでも幸せさって答えるさ。龍口寺で御神籤をひいてみました。
「四番 太陽課宣
天天天
万象等出現
災消官不難
願望公私吉
一切事平安
世の中のすべての物が現れ来て、災いは去り、諸々事が難なく達せられ、公私共に願望は成就して吉なることだろう。
またすべての事は平安にして無事である
霊跡本山 龍口寺」
ゆめゆめうたがふことなかれ
「江島神社について:江島縁起
伝説によれば、鎌倉には昔、五つの頭を持つ龍がいて悪行を重ねていました。そこへ天女が舞い降り、天女に恋心を抱く五頭龍を諭し、悪行をやめさせました。この五頭龍をまつるのが龍口明神社(鎌倉市腰越)です。その後、五頭龍は海を離れ、山に姿を変えました。これが現在の藤沢市龍口山です。そして、天女の天下りとともに出現した島が現在の江の島。天女は江島神社に奉られている弁財天です。江島神社には弁財天堂(奉安殿)があり、裸弁財天像(妙音弁財天)が奉られています。
平成十三年(2001年)四月一日には、御鎮座1450年式年大祭が盛大に挙行され、「神幸祭」で、江島神社とは夫婦の関係にある龍口明神社から御神輿を迎え入れました。この伝説が記された『江島縁起』の絵巻物は、江島神社のご宝物として保管されています」
この話を知り、そうか、江島神社に詣でたからには、龍口明神社にも行った方がよいのではないと、思ったわけです。そして、龍口山に廻ってみたく、その地には、遺構となりつつある古き龍口明神社があり、その隣には龍口寺があり、「龍ノ口法難」と呼ばれる縁起もあったのです。龍口寺のホームページから引用します。
「龍ノ口法難
鎌倉時代後期、日本は内乱や蒙古襲来、飢餓や疫病の蔓延など、様々な脅威に包まれていました。それらを憂えた日蓮聖人(1222~1282)は、『立正安国論』を著し、幕府に奏上しました。
しかし、幕府はこれを政策への中傷であると受け止め、文永8年(1272)9月12日、鎌倉松葉谷の草庵におられた日蓮聖人を捕らえ、斬首するために、刑場であったこの地、龍ノ口へ連行したのです。
翌13日子丑の刻(午前2時前後)、土牢から引き出された日蓮聖人は、敷皮石(座布団状の石に皮を敷く)に坐らされ、評定の使者も待たず、あわや斬首になるときでした。
「江ノ島の方より満月のような光ものが飛び来たって首斬り役人の目がくらみ、畏れおののき倒れ」(日蓮聖人の手紙より)、斬首の刑は中止となりました。
龍ノ口刑場で処刑中止となったのは日蓮聖人をおいておらず、爾来、この出来事を「龍ノ口法難」と呼び習わしています」
「江島縁起」も「龍ノ口法難」こんな話があるわけはないだろう、などとぼくも考えていましたが、それを昔、見た人が確かにあって、祈りの込められた淡い伝説として残ったということではないだろうか?
と同時にこんなことも書いておかなくてはなるまい。昔、日蓮を祖とする宗教団体から入信を勧誘されて、物心ともに危険を感じて、ものすごく嫌だった。龍口寺に「宗教勧誘にご用心!」というチラシが置いてあった。その中にこんな文章がありました。
「「今、本当に幸せ?」
「苦しくない??」
世の中、良いことばかりではありません。
危険な教団は、「人の弱み」につけ込みます」
確かにね。不幸のままでいいんですか~、とかって言われたら、いいんだよ、ほっとけよ、それでも幸せさって答えるさ。龍口寺で御神籤をひいてみました。
「四番 太陽課宣
天天天
万象等出現
災消官不難
願望公私吉
一切事平安
世の中のすべての物が現れ来て、災いは去り、諸々事が難なく達せられ、公私共に願望は成就して吉なることだろう。
またすべての事は平安にして無事である
霊跡本山 龍口寺」
ゆめゆめうたがふことなかれ
龍口明神社
(昔の)龍口明神社
龍口寺
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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