えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

横浜のサムズアップでSandiiのライブを見ました。バックはスラックキーギターの第一人者的名手、山内 Alani 雄喜さん。素晴らしかった。
ぼくの大好きな服部良一の名曲「蘇州夜曲」をハワイアンバージョンで歌ってくれたのには感激しました。SandiiさんはMCでこんな逸話を披露してくれました。なんでもSandiiさんのお母さまが亡くなられた時に、お母さまはSandiiさんにこんな言葉を伝えられたそうです。
「カンザシ、蠟燭がいっぱい、蝋燭がいっぱい」
カンザシは寒山寺のことだとSandiiさんは気づき、Sandiiさんの持ち歌でもあるこの寒山寺の出てくる「蘇州夜曲」をお母さまの耳元で歌ったとか…
ラストの歌は至高のチャント。ひょうきんにMCしながらも、Sandiiさんは歌う女神のようでありました。


沖田修一監督の『さかなのこ』を見ました。テレビでおなじみのサカナくんの半生をサカナくんの自伝「さかなくんの一魚一会 まいにち夢中な人生!」を元に昔の能年玲奈、今ののん主演で映画の物語にしたもの。さかな好きのミー坊がテレビで人気者のサカナくんになるまでを描いております。
映画の冒頭で「男か女かは、どっちでもいい」という言葉がばーんと映し出されて始まるのですが、男子のサカナくんを女子ののんが演じて、そののんが本当に自由で魅力的で、この映画『さかなのこ』がのんに負うところはたとても大きいと感じました。
ドタバタ喜劇のようではなく、シリアスにユーモアに映画のお話は2時間をラストの大団円まで駆け抜けていって、いかにも映画らしい楽しさと感動に満ち溢れておりました。そして、僭越ながらも、サカナくんの人生というか生き方にぼくはおおいに共感してしまいます。この『さかなのこ』にも、前半、変な魚好きのおじさんとして出てきます。サカナくん、ばんざい!
映画『さかなのこ』公式サイト






出光美術館の「仙厓のすべて」展を見に行きました。
仙厓は十八世紀から十九世紀を九州の博多の臨済宗のお坊さんで、六十二歳のころから隠棲し、旅をしつつ、書画を描き始めたそうです。どこかユーモアのある楽しい書画にぼくは笑みをもらしてしまいます。若いころは絵の研鑽に努めていた仙厓は、その技術を年をとってから、あっさりと捨ててしまうのは、雪舟という偉大な先達が、後の世に画家としては認められても、僧侶としては忘れられてしまうことを、知人から諭されたからだという。それからは自らの絵を「無法」と呼び、技術を捨て、自由となって、仙厓の書画は花ひらき、仙厓は仙厓となった。
ところで、仙厓の書画を見ながら、ぼくは通っている合氣道の道場の師匠である館長のその人を思い出しておりました。館長は、書もたしなみ、合氣道にちなんだ言葉を道場に貼られておられています。その書にいつも添えられている朱筆の笑顔の揮毫のようなものがユーモラスで、美術館の中を歩きながら、どこか仙厓に通じるような気がしておりました。館長に合氣道が、仙厓の書画の根底には自身の仏道があったと思われます。ユーモアとヒューマニティを秘めてもいるそのような仏道の書画が何か、生きる道を説き、ぼくがこれから生きていく励ましのようにも思われたのでした。


茅ヶ崎市美術館に「THE 新版画 版元・渡邊庄三郎の挑戦」展を見に行きました。
渡邊庄三郎さんは明治42年(1909年)、二十四歳の時にに渡邊版画店を開き、版画製造と販売を始めた。版画製造とは家内制手工業で、版画は、絵を描く絵師、木に彫る彫師、紙に刷る刷詞の三者によってできあがる機械を持たない工場で、ぼくはアンディー・ウォーホルのファクトリーを連想してしまう。
その絵師の中にはぼくの大好きな川瀬巴水もおりました。川瀬巴水はもちろんのこと、川瀬巴水以外の絵師のどの版画も美しく、見とれてしまう。
途絶えつつあった版画をさらに洗練させて、明治も終わりのころ蘇らせた渡邊庄三郎は偉い。
この展覧会は上期と下期があり、展示替えもあるそうです。下期も行こうかな、と思います。
