えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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水口憲哉さんの著した『淡水魚の放射能 川と湖の魚たちにいま何が起きているのか』を読む。

ぼくは、人類が原子の力を得てしまった時から、その稚拙で幼稚な倫理と道徳によって、滅亡の道を歩いているような気もしているのだけれど、魚という生きものの研究者である水口憲哉さんは、これから来るものたちのために警鈴を鳴らすかのように、このような本を書いているようにも思われるのです。この本を2012年9月1日に緊急出版したフライの雑誌社による推薦文を引用します。

「福島第一原発事故以前、日本では淡水魚の放射能汚染はまったく研究されていませんでした。第1部ではチェルノブイリ事故をはじめ、世界の知られざる淡水魚の放射能をくわしく掘り起こします。第2部では福島第一原発の大事故により、日本の川と湖の魚たち起きている放射能汚染の実態を見つめ、汚染の仕組みを考えます。そしてこれからの汚染の行方を予想します。私たちが選ぶべき暮らしの有り様がそこに見えてきます。」

そういえば地方統一選が近いな。『淡水魚の放射能』を読みながら、ぼくは、ぼくの思うところの希望を持って、投票ということによって石つぶてをぶつけたい、そんなことも考えていました。

選ぶべき未来は森と川と魚たちが教えてくれる。─『淡水魚の放射能 川と湖の魚たちにいま何が起きているのか』(水口憲哉=著) | フライの雑誌社

2023年の淡水魚の放射能汚染まとめ/放射能汚染を釣り人としてどう受け止めるか
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立川譲監督の『BLUE GIANT』を見ました。ジャズにかけた青春みたいなアニメーション映画でした。昔、ジャズ演奏家を志した人には感涙ものかもしれない。

ぼくはジャンル分けして音楽は聴かないので、好きなミュージシャンがジャズと呼ばれる音楽を演奏していたりすることもあるのです。そのようなミュージシャンをあげてみる。Sun Ra、Albert Ayler、Roland Kirk、Lester Young、Charlie Parker、Chrles Mingus、Thelonious Monk、Bud Powell、Duke Ellington、Lionel Hanpton、あと誰がいたっけ? なんか偏っているな。まー、いいか。

音楽を大きな音で、イヤホンによらずに聞く気持ち良さも、この『BLUE GIANT』にはある。音楽の映画は映画館で見るにかぎります。しかし、おいらの青春は、この映画とはちょっと違った。才能はなく、努力もせず、けれど、音楽は大大大好きだった。音楽が大大大好きなのは今も同じ。映画を見ながら、なんか若かりしころを思い出し、こういうのあるよ、とうなずく。おもしろかったです。

映画『BLUE GIANT』公式サイト
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谷川俊太郎さんが選者となられた岩波文庫版の『茨木のり子詩集』を読む。

詩集を読む楽しみは、展覧会でお気に入りの何枚かの絵を見つけるように、いくつかのお気に入り詩を見つけることだとも思う。そのような、いつまでも美術館でその絵の前で佇んでいたいかのような、ぼくの好きな何度も読みたい詩の二編を紹介すれば、他にも何度も読みかえしたい詩がいっぱいあるけれども、『見えない配達夫』から茨木のり子の原点であるかのような「わたしが一番きれいだったとき」と『鎮魂歌』からの「りゅうりぇんれんの物語」。

詩を選び、この詩集を編んだ谷川俊太郎さんは詩集としては茨木のり子の最晩年の『歳月』がいいという。ぼくも同じようにも感じた。この『歳月』は茨木のり子さんの亡くなった後、出版された詩集なのだが、どの詩もさきに逝ってしまった夫への挽歌であり、なまめかしい恋文であるかのようでありながら、石清水の清浄さなのだ。美しい。







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マーク・フォースター監督の『オットーという男』を見ました。

このような映画は日本映画で見たかったみたくなんとなく思いつつ、もともとはスウェーデンの映画『幸せなひとりぼっち』のアメリカ映画への翻案なのだそうだけれど、主演を名優、トム・ハンクスが演じていて素晴らしい。トム・ハンクスは好きな役者で、こんどはどんな風になるのだろうかと、楽しみにしていたら、なんとも隣に住んでいたら嫌だろうなという初老の男を演じていて、さすがに名優、なんとなく憎みきれないキャラクターなのでした。人間の多面性。

ぼくの近々の課題でもある老いていく人生ってなんだろう、などと思いをめぐらしつつも、この映画の中の不機嫌なじいさんがひとごとでもなくて、見ていて少しづつ胸が熱くなっておりました。

映画『オットーという男』 オフィシャルサイト
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3月11日(土)、3月12日(日)とライブで歌います。遊びに来てね☆

えいちゃんのライブ・スケジュール
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三月一日に解禁となった養沢毛鉤専用釣場にフライフィッシングをしに行きました。




このあきる野の田舎の里山にある自然の川のままの釣場は、トーマス・ブレイクモアという前の大戦に翻弄されながらも、日本を愛してやまなかったアメリカ人が始めた釣場で、ぼくはフライフィッシャーにとっての伝説の場所だとも思っているのです。

へたっぴなぼくはあまり数釣はできないけれど、尺越えの虹鱒を釣れたことはよかった。たのしいひとときでした。
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茨木のり子さんが訳し、編集した『韓国現代詩選<新版>』を読む。1990年に日本の詩人によって選ばれ、訳され、日本で出版された隣の国の1980年代の現代詩のアンソロジーが装いも新たに去年、出版された本。

1990年、詩は韓国の人々の中で読まれ、韓国の本屋の詩のコーナーは日本のそれの六倍から七倍はあり、ひとびとはむさぼるように詩のコーナーにたかり、読んでいたとこの『韓国現代詩選』の訳者はいう。日本の現代詩はあるにはあるものの、それを読む人は多からず、今の韓国はどうだろうか? 1980年の光州事件の悲劇から軍事政権による独裁、その後の民衆・学生らによる抗議運動、1987年の独裁政権の終焉と再びの民主主義に確立。1980年代の韓国の詩の言葉は熱い。それがうらやましい。

この詩選で姜恩喬(かんうんぎょ)さんの詩をを読み、韓国の人たちが、日本でいえば桜の花のように、椿の花を愛しているのを知った。山の中のつばきは、それは、それは赤くて、眼から血を流すほどの悲しみを表すという。

さて、この本の「時代を越える翻訳の生命」の斎藤真理子さんの解説にある、訳者であり詩人である茨木のり子さんの詩の定義に、ぼくは深くうなずいてしまう。

「いつも思うのですが、言葉が離陸の瞬間を持っていないものは、詩とはいえません。じりじりと滑走路をすべっただけでおしまい、という詩ではない詩が、この世になんと多いのでしょう」

詩と詞の違いはあれど、ぼくの歌う詞はどうだろうかとふと思ってしまう。








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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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