えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

日本国憲法が公布されて今年で70年だそうです。1946年11月3日、日本国憲法が公布され、翌1947年5月3日に施行された。あー、そうかと思い小学館から出版されている「日本国憲法」を読んでみました。ティーンエイジャーのころ、社会科の公民か何かの授業で憲法のことが取り上げられ、ぼくは自分の国の憲法の前文をなんてかっこいいのだろうと思いました。今でもこの文をかっこいいと思い、ぼくは大好きなのです。引用します。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」
小学館から出された「日本国憲法」を読んで、議論多き戦争の放棄を謳った九条のみならず、いくつかの条項が、日本の社会の戦後の歩みの中で反故されてきてしまっているのを知りました。今、日本の社会の中でこの日本国憲法を廃棄し新しい憲法を制定した方がよいという政治勢力が多数を占めていて、もしも、ぼくがその人たちと議論しても、21世紀になってもますます暴力のはびこる国際社会に日本もあり、その議論には勝てはしないでしょう。しかしながら、この日本国憲法をなくす時、日本人はすべてを失ってしまうだろうという予感はあります。史実がそうであったとしても、この日本国憲法はアメリカや日本の誰それが作ったものでもなく、むしろ、なにか大切な贈りもののようにしてやってきたのではないかしら?
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」
小学館から出された「日本国憲法」を読んで、議論多き戦争の放棄を謳った九条のみならず、いくつかの条項が、日本の社会の戦後の歩みの中で反故されてきてしまっているのを知りました。今、日本の社会の中でこの日本国憲法を廃棄し新しい憲法を制定した方がよいという政治勢力が多数を占めていて、もしも、ぼくがその人たちと議論しても、21世紀になってもますます暴力のはびこる国際社会に日本もあり、その議論には勝てはしないでしょう。しかしながら、この日本国憲法をなくす時、日本人はすべてを失ってしまうだろうという予感はあります。史実がそうであったとしても、この日本国憲法はアメリカや日本の誰それが作ったものでもなく、むしろ、なにか大切な贈りもののようにしてやってきたのではないかしら?




今日はレオの命日なのです。東日本で大震災の起きた年でありました。ぼくはレオがやって来たまだ子犬の面影を残すころ、なぜだか「レオ」をタイトルを付けたこんな歌を作って歌っていたこともありました。
♪♪♪
ひどい悪夢にうなされて、明け方3時に目を覚ました
ふと、夜空を見上げると、レオが月に向かって走っていた
何匹もの仲間の犬たちも
月に向かって走っていた
繋がれていた犬たちも
月に向かって走っていた
さよなら、レオ、またどこかで会おうぜ
今や君は銀色に輝いて
伝説の気高い狼だよ
いつまでも死ぬことのない
永遠の命を得たのさ
月の光と朝日を浴びて
どこまでも、どこまでも走っていけよ
君が吠えるのは正しかった、遠吠えするのは正しかった
今や町じゅう遠吠えして、俺の胸に響きわたっている
とめどもない痛みがやってきた
草木や土に逆流していった
世界の色を変えるみたいな
涙がさらさら流れてきたのさ
さよなら、レオ、またどこかで会おうぜ
今や君は銀色に輝いて
伝説の気高い狼だよ
いつまでも死ぬことのない
永遠の命を得たのさ
月の光と朝日を浴びて
どこまでも、どこまでも走っていけよ
どこまでも、どこまでも走っていけよ
どこまでも、どこまでも走っていけよ
どこまでも、どこまでも走っていけよ♪♪♪
散歩をしていて、大きな犬にはワンワンうるさいのに、小さな犬に吠えられる、こまったような顔をしてたたずんでいて、ワンと一声、吠えて立ち去っていく、そんな犬でした。
どんな命にも限りというか終わりというか、そういうものがあって、だから、存分に生きて欲しいのです。それと、高野山を旅した時に金剛峯寺で胎蔵界曼荼羅を前にして、語ってくれた女のお坊さんの言葉も思い出したりします。
「真ん中に仏様がおられ、まわりに小さく鶏や犬もおられます。けれども、これは、仏様が偉くて、鶏や犬がその下いついているというようなことではございません。それぞれが、それぞれの命で輝いております。あなたの中にもそんな明るくかふがやくものがあるんですよ」
犬好きの人は以下のブログをぜひ見てください。
JR横浜線古淵駅近くのAEONのペットショップのワンコ
いまや、レオも天上の王様だから、守っているさ。


こんな夢を見た。ぼくはどこかのライブ・ハウスのオープン・マイクで弾き語りをする。そのオープン・マイクの後、出演した人たちと数軒、飲みに行き、酔っぱらい、ある友人の家に数人で泊めてもらうことにする。夜通し、その友人宅でみんなとおしゃべりをしている。その友人が、もう朝の五時だから、みなさん、家に帰る時間だよと告げる。そうか、ぼくはもう帰ろうと思い、帰ろうとするのだが、ぼくの持って来たギターの入っているバッグが見当たらない。友人にぼくのギターのバッグは見なかったかと尋ねると、あの部屋の隅に立てかけけてあるのがそうではないかと友人は答える。見知らぬ昔風の合皮製のギター・バッグがそこにはあり、中身を覗いてみると、ぼくが、今、欲しいフェンダー社製のテレキャスター・シン・ラインが入っている。これではなくて、ぼくの持って来たギターはハーモニーのパーラー・ギターかヤマハのダイナミック・ギターなのだ。ぼくはギターを失くしてしまったと思うと同時に、今、ぼくのいるところは夢の中なのなだから、夢から覚めればいいんだと思う。
そこで目が覚めた。目が覚めたら、やはりぼくはギターを失くしてはおらず、ぼくの部屋のギター・スタンドにそのギターは立てかけてあった。こういう夢、自分が夢を見ていることに気づく夢を明晰夢と呼ぶらしいのだが、ぼくはしばしば見てしまう。ぼくは荘子の有名な「胡蝶の夢」の話を思い出してしまう。ウィキペディアにあったその訳文です。
「以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か私にはわからない。荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである」
中国には「邯鄲の枕」という話もあるらしい。同じくウィキペディアから引用します。
「趙の時代に「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮揚がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った」
夢をとても神聖なものだと考え、夢に理想を叶える力があると信じるマーレー半島のセマイ族の三つの教えです。
「・夢では恐怖や困難に打ち勝つ事・夢の中ではいつも快楽を選択する事・夢では確かな結果を出す事」
Life is a dream time? 目覚めはするのですが、ぼくはまだ夢の操縦士にはなれていないようです。
そこで目が覚めた。目が覚めたら、やはりぼくはギターを失くしてはおらず、ぼくの部屋のギター・スタンドにそのギターは立てかけてあった。こういう夢、自分が夢を見ていることに気づく夢を明晰夢と呼ぶらしいのだが、ぼくはしばしば見てしまう。ぼくは荘子の有名な「胡蝶の夢」の話を思い出してしまう。ウィキペディアにあったその訳文です。
「以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か私にはわからない。荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである」
中国には「邯鄲の枕」という話もあるらしい。同じくウィキペディアから引用します。
「趙の時代に「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮揚がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った」
夢をとても神聖なものだと考え、夢に理想を叶える力があると信じるマーレー半島のセマイ族の三つの教えです。
「・夢では恐怖や困難に打ち勝つ事・夢の中ではいつも快楽を選択する事・夢では確かな結果を出す事」
Life is a dream time? 目覚めはするのですが、ぼくはまだ夢の操縦士にはなれていないようです。


沖縄の高江の米軍ヘリパッドに反対する人たちに、内地から派遣された取り締まる警察官、機動隊員が「土人」とか「シナ人」というような言葉をあびせたことについて、ぼくは佐渡山豊さんの「人類館事件の歌」を思い浮かべたのだった。百年間、変わらない人たちに絶望してしまいそうだ。


明治大学でドイツ文化史や映画について教えておられるらしい瀬川裕司さんの著した「『サウンド・オブ・ミュージック』の秘密」を読んだ。ロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュース主演の名作「サウンド・オブ・ミュージック」をことこまかに解き明かした本です。
いろんなシーンがこういう成り立ち方をしているというようなことなどがこれでもかこれでもかと書かれていて、瀬川裕司さんの「サウンド・オブ・ミュージック」への愛を感じてしまった。というぼくもこの映画「サウンド・オブ・ミュージッ」こそ、これまでの長いのだか短いのだかわからない生涯に見た映画の中で不動の一位なのだ。
ちなみに、二位からは、フェデリコ・フェーリーニの「道」、ヴィム・ヴェンダースの「パリ・テキサス」、チャーリー・チャップリンの「独裁者」、小津安二郎の「秋刀魚の味」などがつづくのだけど、二位以下の順位は季節季節で変わったりします。
とまれ、「サウンド・オブ・ミュージック」を初めて見たのが小学生のころで、相模原市の市民会館で優良映画鑑賞会というのが月に一回、当時でも格安の三百円という料金で開催されていたのだ。もう一度大きな画面でこの映画を見てみたいと願いつつ、「『サウンド・オブ・ミュージック』の秘密」のあまりにマニアックなおもしろさに惹きこまれれ、一気の読んでしまったのでした。なんとこの映画にはモデルとなった家族すらあったのですね。知りませんでした。
それから、ぼくがロックとかの外国の音楽に魅かれていったその原点がもしかして「サウンド・オブ・ミュージック」というミュージカル映画にあったのかもしれません。
いろんなシーンがこういう成り立ち方をしているというようなことなどがこれでもかこれでもかと書かれていて、瀬川裕司さんの「サウンド・オブ・ミュージック」への愛を感じてしまった。というぼくもこの映画「サウンド・オブ・ミュージッ」こそ、これまでの長いのだか短いのだかわからない生涯に見た映画の中で不動の一位なのだ。
ちなみに、二位からは、フェデリコ・フェーリーニの「道」、ヴィム・ヴェンダースの「パリ・テキサス」、チャーリー・チャップリンの「独裁者」、小津安二郎の「秋刀魚の味」などがつづくのだけど、二位以下の順位は季節季節で変わったりします。
とまれ、「サウンド・オブ・ミュージック」を初めて見たのが小学生のころで、相模原市の市民会館で優良映画鑑賞会というのが月に一回、当時でも格安の三百円という料金で開催されていたのだ。もう一度大きな画面でこの映画を見てみたいと願いつつ、「『サウンド・オブ・ミュージック』の秘密」のあまりにマニアックなおもしろさに惹きこまれれ、一気の読んでしまったのでした。なんとこの映画にはモデルとなった家族すらあったのですね。知りませんでした。
それから、ぼくがロックとかの外国の音楽に魅かれていったその原点がもしかして「サウンド・オブ・ミュージック」というミュージカル映画にあったのかもしれません。


できたら拡散してください。JR横浜線古淵駅近くのAEONのペットショップに柴犬が格安の3万円で売られています。子犬としてやってきてもう成犬に近い。本当かどうかはわからないのだけれども、ペット業界の暗い噂も聞くことがあります。ぼくは一緒に暮らしている両親が高齢で飼うことはできないのだけど、誰かこの柴犬を買って飼ってくれる人はいますまいか?


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性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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