えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

こんな夢を見た。ぼくと亡き父はどこかのデパートの屋上の動物がいたり、遊戯施設のたくさんあるところにいる。いわゆる、昔ながらのデパートの屋上というやつだ。そこで、たくさんの小さな猿が放し飼いにされている。その猿のうちの一匹を父は父の肩にのせる。父の手にはいろんなお饅頭の入った白いビニール袋を下げている。父とぼくは歩いて家に帰ってゆく。肩にのせた猿を父は、ぼくの肩に渡し、すぐに馴れるよと、と言う。ぼくに肩にのった猿はぼくの体にしがみつきながら、下の方に行き、ぼくの足の踝あたりにしがみつき、ぼくは歩いて行く。ぼくと父は家に着き、父は手に持ったお饅頭の入ったビニール袋を居間の大きなちゃぶ台に置き、ぼくにしがみついた猿はおとなしく居間で座っている。その居間に母が入って来る。ぼくは、こんなものは飼えるわけないじゃないの、激怒するかと思いきや、かわいいねぇ、と言い、ビニール袋に入っていたお饅頭を小さな猿に食べさす。猿はおとなしく、おいしそうにそれを食べている。
そこで目が覚めた。猿って知恵者だという気がするな。手話を憶えたゴリラのココは、ある時、こんなことを言ったという。
「私はゴリラ。私は花。私は自然。ココは人間が好き。地球が好き」
「でも、人間は愚かだ。ココは残念。ココは泣く。時間がない。地球を助けて! 地球を守って! 自然があなたの行動を見ている」
「ありがとう」
そこで目が覚めた。猿って知恵者だという気がするな。手話を憶えたゴリラのココは、ある時、こんなことを言ったという。
「私はゴリラ。私は花。私は自然。ココは人間が好き。地球が好き」
「でも、人間は愚かだ。ココは残念。ココは泣く。時間がない。地球を助けて! 地球を守って! 自然があなたの行動を見ている」
「ありがとう」


小学生だったころ相模原市の市民ホールで見たロバート・ワイズ監督のミュージカル映画の名画「サウンド・オブ・ミュージック」をずっと映画館で見たいと思っていて、やっと再びTOHOシネマズの「午前十時の映画祭」での映画館の大きなスクリーンで見れました。テレビの小さな画面では何度も見ていたのだけれど、やはり、このオーストラリアの片田舎の素晴らしい街並みや自然を舞台にしてダンスし歌う映画は映画館の大きなスクリーンとサウンドで見たいと思って、長いこと、そんなことを願ってもいたのです。やっと見れて本当に素晴らしくて、感動しました。
あー、子どものころ、本当に素晴らしい映画は、映画がおしまいになった後、お客さんみんなのスクリーンにむかっての大人も子どもも万雷の拍手がなりやまなかったのたけれど、その鳴りやまない拍手を思い出しもし、それはぼくの深い心の底で、子どものころから今まで、決して鳴りやんでもいなかったようなのです。
「サウンド・オブ・ミュージック」上映作品詳細 - 午前十時の映画祭




角川文庫版での小林秀雄の「ゴッホの手紙」を読了した。この前、ゴッホの映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」を見て、無性に何度目かの再読をしたくなったのです。
この角川文庫版には名著「ゴッホの手紙」以外に「ゴッホの病気」、「ゴッホの絵」、青山二郎氏との対談「「形」を見る目」も所収。やっぱ、小林秀雄の文章は読ませるなと思いつつ、ゴッホの生涯の捉え方が、小林がこの本を書いた当時と変わってしまっていることを思わずにはいられない。年月は流れました。小林秀雄はゴッホの死を自殺によるものと自明のこととして書いているのだが、その後の研究によれば、近くの若者による他殺、射殺であった説も有力なのだそうだ。しかも、ゴッホ自身は自分を撃った少年をかばって一言もそのことは言わなかったそう。もしも、小林秀雄がよみがえったなら、この「ゴッホの手紙」というたくさんのゴッホ自身の手紙をひもといた評伝をどのように加筆、訂正するのだろうか? などど思いつつ、この半世紀にも満たない間に、小林秀雄の著作が書店の書棚から消えていってしまっていたことも思う。ゴッホの絵も、小林秀雄の説こうとしたゴッホの存在も、あのころのままなのに。
小林秀雄の生涯をしめくくった著作が中上健次から容赦なく批判された「本居宣長」であったのを嘆きつつ、少なくともこの「ゴッホの手紙」は、青春のとばっちりに読む古典として読み継がれていって欲しいと思うのだった。
この角川文庫版には名著「ゴッホの手紙」以外に「ゴッホの病気」、「ゴッホの絵」、青山二郎氏との対談「「形」を見る目」も所収。やっぱ、小林秀雄の文章は読ませるなと思いつつ、ゴッホの生涯の捉え方が、小林がこの本を書いた当時と変わってしまっていることを思わずにはいられない。年月は流れました。小林秀雄はゴッホの死を自殺によるものと自明のこととして書いているのだが、その後の研究によれば、近くの若者による他殺、射殺であった説も有力なのだそうだ。しかも、ゴッホ自身は自分を撃った少年をかばって一言もそのことは言わなかったそう。もしも、小林秀雄がよみがえったなら、この「ゴッホの手紙」というたくさんのゴッホ自身の手紙をひもといた評伝をどのように加筆、訂正するのだろうか? などど思いつつ、この半世紀にも満たない間に、小林秀雄の著作が書店の書棚から消えていってしまっていたことも思う。ゴッホの絵も、小林秀雄の説こうとしたゴッホの存在も、あのころのままなのに。
小林秀雄の生涯をしめくくった著作が中上健次から容赦なく批判された「本居宣長」であったのを嘆きつつ、少なくともこの「ゴッホの手紙」は、青春のとばっちりに読む古典として読み継がれていって欲しいと思うのだった。






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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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