えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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神社仏閣巡りが好きで、この前、上野の東叡山寛永寺に行きました。御朱印をいただくのですが、その時、御朱印帳に「天台ブックレット」という小さな冊子も差し挟まれていました。その「天台ブックレット」をつらつら読んでいて、阿純章さんの書いた「ふぞろいの野菜たち」に共感を覚えました。その文を読むと、野菜の種にはF1種と固定種というのがあるらしく、今、スーパーなどで売られている野菜や果物のほとんんどが一代限りしか育たないF1種からの植物で、その形はほとんど同じに揃っていて、見た目の品質はほとんど均質なのだそう。それに対して、固定種から育てられた植物は見た目の多様性の富んでいて、味は濃い。京野菜や鎌倉野菜ってそうなのかな? おいしいですよね。土地土地で自家採取で代々育てられ、土地土地の土になじみ、そろっていないけれど、おいしい野菜や果物となっていく。むしろ均質でないふぞろいの方が自然のありようで、人も型にはまらなくい方が、あたりまえのまっとうな有り様ではなかろうかと阿純章さんは書いており、天の法則として、良寛さんの詩を引用しています。

花、無心にして蝶を招き
蝶、無心にして花を尋ね
花、開くとき、蝶来り
蝶、来るとき、花開く
吾れも亦人を知らず
人も亦吾を知らず
知らずして帝の則に従う

花は咲くときに咲く、蝶は舞うときに舞う、人は人でただ生きる、そこに何が美しいとか誰が凄いということはなく、それぞれがそれぞれにただ生きて、知らぬままに天の法則にしたがって調和して生きている、ということだそう。

ふぞろいの野菜たち、万歳!
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この8年間近くで、政治の権力に近い人たちならば、何をしても、法を越えて許され、優遇される、そんな日本になってしまったように思う。押し返し、しっかり、立て直さないといけない。終わって始まる。
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村上春樹さんの『猫を捨てる 父親について語るとき』を読む。今をときめく長年のノーベル賞候補の作家、村上春樹が父について書いた珍しい私小説。

ぼくは、父と男の子の間には何かの物語が生まれる揺り籠のようなものがあるとも思う。歌だってそうだ。ロック・ミュージックには特に父との葛藤を生涯の一つの歌うべきテーマとなってしまったシンガーもいて、浜田省吾から尾崎豊、ブルース・スピリングスティーンを思い出す。

村上春樹さんはどうのように父親を語るのだろうか? それは前の大戦の記憶をも呼び覚まし、この読書は、ぼくの身もつまされる。

父さん、あなたは戦争に行ったのですね。父さん、あなたはどうしてそんなに速く走るのですか? あなたの背中しか見えないではないですか。本を読みながら、そんなぼく自身の声を聞いたような気もするのです。

台湾の新進のイラストレーター、高研さんの表紙やカラーの口絵も何かを思い出させるかのようで、素敵な小さな本です。





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この前、テレビで横浜の街のぶらぶら歩きをするみたいな番組の中で、バンクシーの展覧会を紹介していた。有名な花束を投げようとする男の作品を見て、そのタレントさんは、石ではなく花を投げろというメッセージかなと言っていたのに、ぼくは驚いた。この花束を投げる絵のメッセージは、命すらも脅かされる抑圧の中にいるパレスチナの人々にとって、せめてもの石つぶてを投げることは、花を投げているに等しいことなのだというようなことだと了解していたのだが、タレントさんとぼくとの感じ方はまったく逆で、だからこそアートは素晴らしい。

ぼくも「バンクシー展 天才か反逆者か」に行ってみた。若い人たちがいっぱいで、びっくりした。バンクシーのような左よりの作家の展覧会などは、今時はがらがらだろうと思っていたのだが、新型コロナウィルス禍の中、事前予約の入場制限はあるものの、若い人たちでごったがえしてした。ちなみに「左より」とういうのは、バンクシーが自身の作品を指して言った言葉でもあります。

展覧会を見ながら、このようなアーティストを生み出したイギリスという国はなんて自由な国なんだなと思う。もしかして、アメリカよりも自由であるのかもしれない。昔、ユーチューブで、BBCにどうしてBBCは公共放送にもかかわらず、番組の放映終了の時、国歌を放送しないのかという抗議に、BBCのアナウンサーは、では私たちの「God Save The Queen」を放送しましょうと言って、セックスピストルズの「God Save The Queen」をかけたのには、びっくりした。

イギリスの半世紀前の小説家、ジョージ・オーウェルの名作「1984」や「動物農場」、「カタロニア賛歌」を思い出し、それらと同じく、バンクシーの鋭い批評眼が作品を芸術にまで高めているとも思える。

壁に塗りたくっているジョー・ストラマーみたいなバンクシー。自由じゃなければ、生きていられない。

Stay Free!

バンクシー展 天才か反逆者か
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Alan Elliott、Sydney Pollack監督の"Amazing Grace"のDVDを見ました。Aretha Flanklinの1972年のロスアンゼルスの教会でのライブです。教会は思ったほどにはそんなに大きくなく、コンサートというより、ゴスペルを歌い演奏する日曜礼拝。バックの演奏は、ギターがCornell Dupree、ベースがChuck Rainey、ドラムスがBernard Purdie、鉄壁の完璧です。Southern California Community Choirのゴスペル・コーラスの素晴らしさと天使や神さまが降りてきてもいるだろうArethaの神がかりの歌。見ているうちに鳥肌が立ち、何度もぼくの眼から涙がこぼれ落ちました。

(アマゾンでDVDを買ったのですが、リージョン・エラーでDVDプレイヤーでは見れず、パソコンで見ました。御注意あれ。そして、ヘッドフォンでけっこう音量をあげて視聴すること、お勧めします。映画館で見たかったな。どうして日本公開しないんだろう?)

AMAZING GRACE - Official Trailer - Aretha Franklin Concert Film
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こんな夢を見た。ぼくは市のひばり放送の音で目を覚ます。窓を閉めて、外には出ないでくださいと放送している。ばくは窓を閉めようと窓際まで歩く。窓のを閉めて、外を眺めると、あたり一面に小さな色とりどりのほどけた小さなリボンの雲のようなものがただよっている。これが危険なものなのかとぼくは思い、危険なものは以外に奇麗で美しいものでもあるんだなと思って、その色とりどりのあたりに漂うリボンの雲を眺めている

そこで目が覚めた。これは昨今の新型コロナウィルス禍の世界を視覚化したものであろうか? もしかして、これは、あちこちで美しいひとりぼっちが漂い、ひとり歩きしているというこなのかしら? わかりません。
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東京藝術大学大学美術館に「あるがままのアート −人知れず表現し続ける者たち−」展を見に行った。何を見てもおもしろい。何か、やさしいような、鈍器のようなものが心に深く刺さってきて、見ていると鳥肌が立ってきた。

特別展「あるがままのアート -人知れず表現し続ける者たち-」
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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