えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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人間の作るプラスチックで地球のいろんな動物たちが命を脅かされ困っている。で、ケータイマグを買いました。


夏は冷やしたハトムギ茶に氷を一つ入れる。おいしいぞ。
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町田ダリア園に行ってきました。

関東以西で最大級のダリア園。本来寒暖差のある涼しい土地を好むダリアが、東京の町田の地で咲き乱れる「奇跡のダリア園」ということだそうな。そして、ここは障がい者の働く場でもあるそうなのです。









まんまるだったり、子どもの描いた太陽みたいだったり、いろんな色、姿のダリアがいっぱい。

和名を「天竺牡丹」というそうな。花の色香といっしょに、心は、天竺まで飛んでいけ…

町田ダリア園(公式ホームページ)
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ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演された『ガーシュイン《ポーギーとベス》新演出』をそのまま映画に撮ったのを築地のシアター東劇で見ました。素晴らしかった。

黒人だけが歌うこのガーシュインのオペラを見ながら、ジョージ・ガーシュインって寺山修司みたいな人かもしれないと思った。昔、寺山は、日本人が奇麗な洋服を着て、東京の標準語と呼ばれている言葉でマイクとかナンシーとか呼び合うのって、何か変で、そこから脱したく、「天井桟敷」という劇団を作ったとインタビューに答えていた。この『ポーギーとベス』では"I am"とは歌わずに"I is"と歌っていたりするのです。野良着を着たポーギー演ずるエリック・オーウェンズがポーギー役を演じているのではなく、ポーギーその人に見えてくる。

エンディングを見ながらジョージ・ガーシュインは舞台をチャールストンの漁村からニューヨークの大都市に移した続編を作りたかったのではなかろうかと妄想してしまう。ポーギーとベスの二人に愛という永遠の命が授けられるまで、そのような時の流れが必要ではなかろうか? ワーグナーを越える長大な物語が構想されていたのではなかろうか? ところが、1935に初公演された『ポーギーとベス』の二年後にガーシュインは三十八歳で帰らぬ人となってしまう余りに短い生涯であった。

今度はスクリーンじゃなくて舞台で見るぞ。


Nina Simoneの"Porgy, I Is Your Woman"を紹介します。すごく好きなシンガーのすごく好きなガーシュインの名曲です。


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薬師池公園の蓮が咲き始めました。


美しい。

阿弥陀経には浄土の宝池についてこんな言葉があるそうです。

「青い花は青い光を放ち、黄色の花は黄色の光を、赤も白もそれぞれの色の光を精一杯放って、互いに相手を照らし照らされている実に美しい蓮の池。他の蓮の花よりも我が美しいと自慢することもなく、劣ると卑下することもなく、それぞれの色光を大事にすることで、全体が大きく輝いている」

ゆめゆめうたがふことなかれ
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コーネル・デュプリーは「テキサスの荒くれギタリスト」との異名を持っているけれど、アルバム「Rolling Coconut Revue Japan Concert 1977 STUFF」を聴いて、本当にコーネルは「荒くれギタリスト」なんだと思った。1977年、「The Sea`s Must Live」をスローガンとした海の地球環境保全のためのベネフィットコンサートにSTUFFのメンバー、Gordon Edwards、Cornell Dupree、Richard Tee、Chris Parkerの4人がやってきていた。Eric Gale、Steve Gaddの2人は、スケジュールが合わなかったらしく、来なかったけれど、4人の演奏はすばらしく、Cornell Dupreeのささくれだったブルージーなギターが、ニューソウルから始まってフュージョンと呼ばれたインスト演奏に、響き渡って、ものすごくかっこいい。

ところで、この「Rolling Coconut Revue」、中村とうようのニュー・ミュージック・マガジンから思想的なところで批判されていたな。乱暴ないいかたをすれば、確か、今時、カリフォルニアのラブ・アンド・ピースに対する違和感というか、ローリング・ココナッツ・レビューには何とも言えぬ奇妙なイヤらしさを覚えた、とまで書かれていた。確かに4日間にわたって多数のミュージシャンの出演するコンサートのメッセージはほとんど届いていなかったらしいのだけれど、9年後に世界的に商業捕鯨は禁止されたのだった。ぼくは今、毎月WWF(世界自然保護基金)に少額だけれど、寄付をしているのだけれど。

やっぱこの4人組のSTUFFのこのコンサートの演奏は見たかったな。






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この前、近所を散歩していたら、ぼくの家から20分ほどの所に「ブルー・ノート」という気になる店名の理容室があって、いつかそこで髪を切ってみたいなどと思っていた。今日、やっとそこで髪を切ってもらいました。お店の人とこんな会話がありました。

「初めてのお客さんですね。どこか行きつけのお店とかないんですか?」
「町田のあるところによく行っていたんですが、この前、散歩していたら、この「ブルー・ノート」という店名が気になって入ってみました。もしかしてジャズとかお好きえですか?」
「えー、まさにその通り、ジャズが大好きですよ」
「ほー、セロニアス・モンクの写真とか飾っていますね。1年前ぐらい見たビル・エバンスの映画はよかったなぁ。しかし、あの人もご多分にもれず破滅的な人だなぁ」
「ミュージシャンはそういう人が多いですね。ずいぶんお詳しいようで、もしかして音楽とかお好きですか?」
「ええ、大好きですよ」
「楽器とか弾かれますか?」
「ギターを少しだけ」
「どんなギターを弾くんですか?」
「ぼくはブルースが好きですよ」

そんな会話があって、しばらくすると、古いバイクも飾ってあるノスタルジックな意匠の店内のBGMがピアノ伴奏のジャズから古いブルースに変わっていました。なんと、ロバート・ジョンソンが流れてきた。その古いブルースが耳に流れ、目を閉じて髭を剃ってもらっていたら、今がいつか、ここがどこか分からなくなってきました。まるでここはアトランタかミシシッピのバーバーで、時は1950年代後半から1960年代前半のいつかではないかしら? そんな想像すら実はしていたのです。
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藤原新也さんの写真と文章の本「メメント・モリ」の2018年に出版社を変えての本を手にとり写真を見て文章を読んだ。

初めてこの本を数十年前に読んだ時は、前半のいくぶんショッキングな写真にぼくの目は引き寄せられていたのだった。いつの間にか、ぼくの人生も半分をとうに超えて、この本の全体をいくばくかは分かるように思え、後半の写真や文章にも魅かれている自分がいる。この本の物語は死から生への旅のような気もし、それは非凡から平凡への旅、死が生へと収斂され、異常と思われることもどこにでもある日常へと昇華されるかのようだと感じている。

この本は文章ではなく、写真をまず見つめ、そして、文章を読み、写真をさらに見つめるといいと思う。

若き藤原新也さんのこの世界に対する違和感に過剰な何かすら感じてしまうけれど、それは豊穣と空虚が背中合わせにあるようなものでもあるのかもしれない。

年をとってから感じれることもあるんだ。





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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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