えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

ベリコ・ビダク監督の『キノ・ライカ 小さな町の映画館』を見ました。フィンランドの巨匠、アキ・カウリスマキ監督が鉄鋼業も廃れた斜陽の町、カルッキラに私財を投じて「キノ・ライカ」という映画館を作るというドキュメンタリー映画でした。
アキ・カウリスマキさん自身が作業員として、梯子にのぼって大工仕事をするシーンなどに驚きます。カウリスマキさんの住む何もないような田舎町の仲間たちが、たくさん登場し、おしゃべりをします。ぼくもビデオとかではなく、映画館で見る映画が好きなので、カウリスマキさんの仲間たちの言葉に共感してしまいます。何のストーリーもないけれど不思議に眠たくならないのはどうしたことか?
カウリスマキさんはこの酷い世界にあって、人生も終わりに近づき、この町に何か、よいものを残したかったというのです。じんわりと心が暖かくなり、感動しました。
映画『キノ・ライカ 小さな町の映画館』公式サイト


昨日、飛び石で車のフロントガラスに小さな傷が入った。そこで憂さ晴らしに読んだ俳句です。
氷塊のごとき飛び石車撃つ
今日、ニュースを見て、喜び読んだ俳句です。
ガザの花真冬に咲いた果実なれ
俳句を作ると、なんだか少しすっきりして、日記としての俳句は精神衛生上、非常によろしいと発見した。息を吸っては吐くように、喜びも悲しみも人の心には入口と出口が必要なのかな?
氷塊のごとき飛び石車撃つ
今日、ニュースを見て、喜び読んだ俳句です。
ガザの花真冬に咲いた果実なれ
俳句を作ると、なんだか少しすっきりして、日記としての俳句は精神衛生上、非常によろしいと発見した。息を吸っては吐くように、喜びも悲しみも人の心には入口と出口が必要なのかな?


岸田秀さんの著した『ものぐさ精神分析−増補新版』を読了した。この本は高校生の頃、読んでことがあって、二度目の読書でもあるのだ。
岸田秀ってどんな人と和光大学に通っていた友だちにたずねたことがあるのだが、鬱病っぽい人だよと答えられたことがあったのを思い出す。
この本のほとんどの文章が、岸田さんの考える一つの真理の変奏のように思われる。その真理とは、「人間は本能の壊れた動物であり、「幻想」や「物語」に従って行動しているにすぎない」とする「唯幻論」なのだ。
岸田さんは「我発見被殴打的根本原因」の中で小学生の頃は軍国主義で、よく教師に殴られ、大学で教師になってからは学生に殴られるようになったというのには、不謹慎ながらも、ぼくは笑ってしまう。これも幻想だろうと学生から殴られたとどこかで聞いたことがある。
「わたしの原点」の中では自らの強迫神経症や幻覚を治癒せんがために、フロイト派の精神分析の本を読みあさり、継母との関係における抑圧を発見する。すると、強迫神経症と幻覚はほぼ寛解となったそうだ。
岸田さん自身もこの本の中で少しはふれているのだけれど、ぼくは、岸田さんの生まれたのが1934年だったことも大きかったのではないかと思う。生まれてから11年間、「天皇」という強い「幻想」と強い「物語」の中にいて、その後も「天皇」の「幻想」と「物語」は「民主主義」に抑圧されながらも、社会のもっとも底のところを流れてきた。坂本龍一さんや浅田彰さんのいうところの野蛮な土人としての日本人の思想である。今、柄谷行人さんは、左派の文芸批評家のポール・ド・マンの擁護するベルギー王室についてこのようにいう。
「なぜベルギーではいまも王政が健在なのか。ド・マンを通じて考えて、分かったことがある。ベルギーは、フランス系とドイツ系と、フランドル系が合わさった国なんですね。民族的、宗教的一体性がない。何でまとまっているかといえば、王政によってです。王がいなくなったら、おそらく統一が保てなくなってしまうような国なんだ。王は、ただ存在していればいい。」
まるで日本の象徴天皇制ではないか。佐藤優さんは天皇について考える時、エマニエル・トッドの『西洋の敗北』を射程に入れなくてならないと主張する。野蛮な土人としての日本人の「幻想」と「物語」は何をもたらすのか、今、岸田秀さんに問いかけてみたくもあるのです。
ものぐさ精神分析 増補新版 -岸田秀 著|中公文庫


伊勢原大神宮に詣りました。この前、出雲大社相模分祠に詣ったのて、日本の神話のことを思えば、伊勢神宮より祭神を勧請し創建された伊勢原大神宮に詣ってみることもよかろうと思った次第です。なるほど、伊勢原大神宮には外宮と内宮がございます。伊勢の神様があって、出雲の神様があっての日本の成立となったのではないか?
天皇は自らを「King」とは称せず、「Emperor」と称すけれど、それは「大日本帝国」への郷愁などではありもせず、日本は東の果てのさまざまな民族の吹き溜まりという出自を持ち、天皇はその出自を隠蔽しつつ、露わしてしまうという両義性を持つ存在で、そういう意味でも伊勢の神と出雲の神があるとも思われるのです。
閑話休題、伊勢原大神宮に戻り、御神籤をひくと「中吉」でありました。これをもって新年の初詣巡りを了としたいと思うのでした。
「おみくじ
第十九番 中吉 運勢
運あるが能力以上のものに手をだすは失敗の元。
敵を作らぬように控えて身を守り、多くを求めぬが得策。
意地を通して成果なし。」
ゆめゆめうたがふことなかれ


横浜にぎわい座で『笑福亭鶴光一門会』を見ました。見た演目を書き出してみます。前座の笑福亭ちづ光さんの「浮世床」、二つ目の笑福亭茶光くんの「余命宣言」、二つ目の笑福亭希光くんの「紀州」、 笑福亭羽光師匠の「私小説落語 青春編パート2」、笑福亭和光師匠の「大安売り」、笑福亭學光「千両の富くじ」で仲入りです。笑福亭里光師匠の「のっぺらぼう」、主任の笑福亭鶴光師匠の「寝床」の後に大喜利がありました。
笑福亭羽光師匠の「私小説落語 青春編パート2」のエロ噺に大爆笑。福亭里光師匠の「のっぺらぼう」はシュールな噺。笑福亭學光「千両の富くじ」の上方風。笑福亭鶴光師匠の「寝床」はど真ん中の滑稽噺。上方落語もいいねぇ。大喜利でなごんで、お客さんも入っての大阪締め。
「うーちまひょ、チョンチョン、もひとつせー、チョーンチョン、祝おて三度、チョチョンガ、チョン!」
楽しかった。


アピア40で『新春!友川カズキワンマンライブ』を見ました。友川カズキさんのギター弾き語りに、バックが石塚俊明さん(dr/頭脳警察)と永畑雅人さん(p,acc,mand/パスカルズ)です。
一番前の席だったので、友川さんのギターの弾き方をまじまじと見てしまった。フィンガーピッキングはスリーフィンガーなんだな。ピックを持った時はジョン・レノンに弾き方が似ていると思う。などと思っていたら友川さんは、そのピックの圧によって弦を切ったのだった。
昨年の暮れは中国と台湾ツアーをこのメンバーでしたそうで、土産話もたっぷり。久しぶりにステージでお酒(ハイボールか何か)を飲んでいて、その勢いもあって、絶好調。
友川さんの歌は、エンターテインメントを飛び越えた、ほんものの生の歌だと思う。それはもっとも今、ぼくが聴きたい歌でもあるのです。


こんな夢を見た。ぼくは青い空を見ている。その空に一直線の白い線が引かれている。その白い線がゆっくりと車のワイパーのように動きだす。動き始めた白い線の一つのところから、点が生みだされる。その点はぼくに近づいてくる。近くになると、その点が宇宙船であることが分かる。ぼくは宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」の中でジョバンニとカンパネルラが乗っていくのは、このような宇宙船で、それが目の前に現れたのだと思う。
そこで目が覚めた。これは心まずしきぼくの願望であろうか? それからというもの、ぼくは、ときおり、それが空に現れないか探してしまうのです。
そこで目が覚めた。これは心まずしきぼくの願望であろうか? それからというもの、ぼくは、ときおり、それが空に現れないか探してしまうのです。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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