えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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新渡戸稲造が著し、須知徳平が訳した『武士道』を読む。その昔、司馬遼太郎が昭和という時代を批判しつつ、武士道の電気のようなものがどこか日本人に残っていた時代まではよかったが、それが失われ、日本の国家も日本人も堕落してしまったというようなことをインタビューで話していて、その武士道は何だったのかと思い、この『武士道』を読んでみたという次第。ぼくは司馬遼太郎が称揚する明治がそれほどよい時代とは思えない。ぼくは、明治維新によって多くの武士の精神を有していたと思われる若者の命が争った双方で失われ、明治以降の日本を作ったのは残りかすの卑怯者ではなかったかとも思ってしまう。だからこそ、孤立の士であり新渡戸の盟友でもあった内村鑑三は『代表的日本人』を英文で書き、同じく孤立の士であった新渡戸稲造は英文で『武士道』を書いたのではなかろうか?








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クリストバル・レオン監督とホアキン・ホシーニャ監督の共同監督による『オオカミの家』を見ました。紙粘土細工で作られた強迫観念の悪夢の中を女の子がさまようかのような映画でした。

普通の映画というよりかは、そのアバンギャルド性は、現代美術館で上映されているかのような映画で、この南米チリ発の映画で、チリの山奥にあった「コロニア・ディグニダ」という宗教コミューンから発想されているという。閉鎖的なそこは、ドイツから逃れたナチスのヒトラーユーゲントを教祖とし、男児への性虐待どころか、当時の軍事独裁政権の庇護を受け、拷問や虐殺すら行われていた。その軍事独裁政権を後ろから支えていたのが、米ソ冷戦下のアメリカ合衆国政府。反戦歌を歌ったフォーク・シンガー、ビクトル・ハラの殺されたチリのもっとも闇の深い現代史のある時の話。

さて、映画に戻れば、歴史を繰り返すことののいようにと、南アメリカ文学のマジック・リアリズムのような容赦ない悪夢が続くかのようであった。

『オオカミの家』公式サイト
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最近、よく俳句を作るようになりました。これでおいらも俳人かい? 作った順に並べると時の移り変わりを感じるよ。いいもんだなぁ。

雨降らぬ梅雨の青空蝉はじめ

朝早く蓮の咲くのを聞いたことなし

夜の風アイスをほうりバスを待つ

入道雲フロントガラスにまた立ち昇る

油蝉駐車場での死骸なり

雷の雲間に青空見えにけり

掃き掃除散っては咲くよ百日紅

夏越えの鱒を釣らずに草を釣る

ロマンスカー窓から見えた鰯雲
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山田洋次監督の『こんにちは、母さん』を見ました。

主演の吉永小百合さん、やっぱ、スターのピュアな輝きがあるなぁ。しかし、こんなお母さんがいたらどうなんだと、ぼくはひとりごちてしまいます。もう一人の主役である大泉洋くんもはまっています。大泉くんの出演している映画は、ぼくはいっぱいよく見ているのですよ。教会の牧師役の寺尾聡さんもいい感じです。黒澤明の『夢』をなんだか思い出します。いい人をこれだけ自然体でできる役者もいそうでいませんね。それから脇役の女二人組、YOUさんと柄元萌さんも効いていますね。YOUさんの自然体。柄元萌さんは小津安二郎の映画の中の高橋とよみたいで、とてもいいのです。

さて、この前、茅ヶ崎市美術館で『小津安二郎 その審美眼』展を見たからか、なんだか、ぼくは『こんにちは、母さん』の映画の居間に出てくる調度品が気になってしかたない。すると、吉永小百合さん演じる母さんの住む古い足袋屋の台所に、あたかも小津映画から抜け出てきたかのような場違いな赤いケトルがあるではないか。この赤いケトルは、松竹映画の伝統の家族劇は確かにここにありますよと、小津先生、見ていてくださいと、山田洋次監督がそこに置いたのではないかしらなどとぼくは考えてしまいます。

締めくくりは苦いながらも、ほんの少し甘酸っぱくて、幸せな気分の中、エンドロールが始まっていました。山田洋次監督、本当にいい映画をありがとうございます。

映画『こんにちは、母さん』公式サイト|大ヒット上映中
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茅ヶ崎市美術館に『小津安二郎の審美眼』展を見に行きました。茅ヶ崎市美術館が今年で25周年、今年で小津安二郎監督の生誕120年、没後60年だそうで、世界中でいろななことが催されています。この展覧会では小津の映画のちゃぶ台に置かれている湯呑が工芸品の逸品であったりして、それらや小津自身の絵、映画に出てくる岸田劉生の絵が本物のオリジナルの絵画だったり、そして、映画公開当時のポスターが展示されていれ、わくわくします。ぼくは小津安二郎の映画が大好きなのです。小津安二郎自身がかぶっていたあの有名な白いピケ帽のありましたよ。さて、この項は小津自身の有名な言葉で締めくくりたいと思います。

「どうでもよいことは流行に従い、 重大なことは道徳に従い、 芸術のことは自分に従う」

そして…

「永遠に通じるものこそ常に新しい」
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「古今亭志ん生没後五十年追善興行」が開かれるというので、新宿末廣亭に行ってまいりました。


古今亭一門と金原亭一門のそろい踏みで、在りし日の志ん生をしのぶ対談ということも寄席の中で行われ、志ん生のひ孫さんであられる今は2つ目の金原亭小駒さんやらも登場し、昔話に花が咲きまする。なるほど、古今亭志ん生の有名な演目の「火焔太鼓」ってのは志ん生夫妻そのものを話したものかもしれねえな、などと思ってきましたよ。

古今亭菊春師匠の「親子酒」、古今亭菊太楼師匠の「締め込み」、ペペ桜井師匠のギター漫談で笑いの宴もたけなわになり、主任は人間国宝にもなった五街道雲助師匠の男の純情噺、廓噺にして人情噺の「幾代餅」のいい噺で目頭が熱くなっちまったい。ありがとさん、めでたし、めでたしでございます。
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森達也監督の『福田村事件』を見ました。『A』や『A2』などのオーム真理教の信者の事件後を追ったドキュメンタリー映画を作ってきた森監督の初のドキュメンタリーではないドラマは、実際に千葉の寒村で起こった事件を映画化したもの。

「序破急」の物語の「序」では長いある意味では平穏な村での人々の生活が描かれ、「破」の関東大震災が起こり、「急」の村ぐるみの陰惨な事件に流れ込む。「序」での描写の長さは冗長というより、「急」での事件を単なるスペルタスクせずに、問題提起とするための長さであるとぼくは感じた。柄本明さん演じる村人などのこの百年前の日本の村の貧しさにぼくは驚いてもしまう。なんというか、今は亡き今村昌平監督的世界でもあった。

映画を見終わった後の重たさは、見た人のすべての観客がうち沈むようであるけれども、それでも見てよかったと思う。どの出演者の演技も素晴らしく、特に悪いもの役かとも思われる在京軍人を演じる水道橋博士さんや新聞編集長役のピエール瀧さんのリアルさ。そして、被差別部落の頭目演じる永山瑛太さんがかっこいい。

たかだか百年前の事件である。二つのラストシーンの美しさとそのメッセージ。パンフレットを読みながらこう思う。ぼくたちは百年前に殺された人たち、生き残った人たち、殺してしまった人たちに今こそ会わなくてはならないのではなかろうか?

映画『福田村事件』公式サイト
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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