えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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うらたんざわ渓流釣場に「パラダイス」と称されるところがある。その流れの魚は賢く釣り人に釣られない。釣った毛鉤釣師は放生を定めとする。ここが魚にとってパラダイスなのか、釣師にとってのパラダイスなのかはようと知られない。
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新宿末廣亭に行って、落語と色物を鑑賞。今日は女流の日で、女の落語家、講談師が目白押し。来年の三月、真打になる林家つる子さんの新作落語のまったく野球を知らない上司に野球を教えるという話、面白かった。この前、二つ目となった鈴々舎美馬さんの「天失気」の小僧さんと和尚さんのやりとりののん気な感じがいいなぁ。中入り後、神田茜師匠の(美人じゃない)「赤穂浪士銘々伝~岡野金右衛門 恋の絵図面取」にほろりとします。そして、主任の三遊亭歌る多師匠の「三人兄弟」の兄弟を姉妹に翻案した噺に大爆笑。楽しかった。寄席はパラダイス。
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小田急相模原のエルトピートでの三雲参龍さん(「参龍」と書いて「しんりゅう」と読むそうです)の主催する「月にポエロ第四話」というポエトリーリーディングの会で詩を朗読しました。最近作った十の俳句を読みました。

 秋桜は小さな棚田の畦に咲く

 秋晴れに苗木の並ぶ籠の中

 植樹祭新藁渡すみなの笑み

 秋釣りも悪いニュースは遠ざけず

 空に溶け少しが残る鰯雲

 柿の実の歩道に落ちし痕ありき

 秋の午後バトミントンの羽根の飛ぶ

 晴れ着の子銀杏の下の七五三

 狂い咲き桜朝顔秋いずこ

 鱒の子は紅葉の小舟かくれんぼ

そして、パレスチナの国民的詩人、Mahmoud Darwishの"In Jerusalem"という詩を(よく訳せていないとは思うのだけれど)自ら訳して読みました。言葉が平和に生きるためのことに何か通ずるものであることを微かに信じつつ、まだ会ったこともないパレスチナの友人らの安寧を祈りながら、詩を読む。

    エルサレムにて - ムハマンド・ダルウィッシュ

エルサレムで、私は古代の壁の中にいるのが気がかりだ
思い出もなしに私はある時代からもう一つの時代へと歩いている
私は導かれる。予言はいたるところにあり分け与えられている
聖なる歴史は、、、天国へと上昇し
ほんの少しの落胆と憂鬱で帰還する、愛ゆえに
平和は聖なるもので、町にやってくる
私は坂道を降りて自ら問う、どのようにして
語りべは一つの石についての光に同意できないのか
戦争が発火させたほの暗い石からのものだろうか
私は眠りの中を歩く。私は眠りの中で見つめている。私は理解する
私の背には誰もいない。私の前に誰も見えない
すべての光は私のためのもの。私は歩く。私は光になる。私は飛ぶ
そして、私は別のものになる。変容する。言葉は
イザヤ書から草のように芽吹く
口は語る。信じなければおまえに安全はない
私は別のものであるかのように歩く。白い私の傷は
聖書の薔薇。そして私の手は二羽の鳩で
交差しつつ空に浮かび、地を運ぶ
私は歩かず、空を飛び、別のものになる
変容する。場所もなく、時もない。私は誰なのだろう?
私は何ものでもなく上昇する存在である。しかし、私は
一人こう思う。一人、預言者のムハマドは
古いアラビア語で、そしてそれからどうなる?
それからどうなる? 一人の女の兵士が叫んだのだ
またそうするの? 私があなたを殺せないとでも?
私は言った。あなたは私を殺した、もう忘れよう、あなたのように、死ぬことを
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原宿の太田記念美術館で『葛飾応為「吉原格子先之図」― 肉筆画の魅力』展を見ました。葛飾応為は葛飾北斎の実の娘にして北斎の弟子でもあり、その絵は十数枚しか残されておらず、その貴重な一枚を太田記念美術館が所有しているとのこと。「吉原格子先之図」を見ながら、その陰影と光の絵からなんだか谷崎潤一郎の日本の美を著した名随筆『陰翳礼讃』を思い出したりします。黒い羊羹についての有名な一節を引用します。

「人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が舌の先で溶けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。」

なるほどと思いつつ、それは西洋との接触によって、改めて発見されたことのようにも思えるのは何故だろう? 同時に展示されていた明治の版画師、小林清親の絵にとても惹かれてしまう。この小林清親も「光線画」と呼ばれ、明と暗が美しい。葛飾応為と小林清親の生きた時代は微妙に重なりもしていることに気づきもします。葛飾応為から小林清親、時代を経て川瀬巴水と光と影の系譜は続くということかもしれない。

などと思いながら、せっかく原宿まで来たのだから、明治神宮に向けて鎮守の森を散歩しました。七五三の子どもらもあでやかなそこをお詣りをし、文欽高島田のお嫁さんとお婿さんもおり、やはりそこは外国人の観光客ばかりでもあって、御神籤をひけばこんな言葉を授かったのです。

「  大御心(一〇)
  昭憲皇太后御歌
   耳
 人ごとによきもあしきも心して
 きけばわが身の為とこそなれ」

ゆめゆめうたがふことなかれ
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Albert Aylerのムービーです。

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丹沢YGLヤドリキ・スポーツフィッシング・エリアでフライフィッシングをしました。ここは、ウェイダー(胴長)を着て、二回、川を渡渉しなければ、受付に行けません。ちょっと、とまどいました。初めてのところだったけれど、ボーズ(1匹も釣れないこと)じゃなくてよかった。それなりに釣れました。美しい自然の渓流に魚が泳いでいます。そこで一句。

 鱒の子は紅葉の小舟かくれんぼ
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国立能楽堂へ狂言・和泉流「岩橋」と能・金剛流「雪」を見に行きました。

狂言を見るたびに、これは落語のルーツかと思ってしまう。「岩橋」でも、落語の与太郎みたいな無粋ものの夫が出てきて和歌が覚えられなく、やっと覚えて、新婚の妻に詠むと、という話。

能の「雪」についてはプログラムから「あらすじ」を引用したい。

 諸国一見の旅僧が摂津国(現在の大阪府)の天王寺を訪れる途中、野田の里に通りかかると、突然大雪が降り始めます。晴れるのを待っていると、雪中から美しい女人が現れ、己の迷いを晴らしてほしいと僧に頼みます。
 女人の正体は雪の精でした。雪の精は月光の下でたおやかな舞を舞い、夜明けとともに姿を消します。

美しいのう。美しい日本人の死生観、自然観だと思う。劇と舞い、音曲がすべておしまいになり、何もかも去り、鏡板の松の絵のみ残されております。余情、余韻。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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