えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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子どものころ、「もーれつア太郎」のニャロメが大好きだった。今でも大好きだ。その生みの親である漫画家が逝ってしまった日の新聞の夕刊のニャロメを反体制ネコだと称えていた。それは違うだろう。ニャロメは反体制でも体制でもない自由な赤いネコ。
優しくて、人気者で、いじわわるでもあって、いつも元気で、へこたれなくて、好かれていて、惚れっぽくて、嘘のつけない、けれどどうしてか、一人ぼっちで純情な赤いネコなのだった。

永遠のぼくの中のニャロメ。

さよなら、赤塚不二夫さん。
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1. Into Something



メンフィスの弱小レーベル"Backbeat"からAl Green要するHiに移籍後のファーストアルバムなのだ。自信たっぷり。1曲目からラストまでDeep Soulの歴史をたどりかのような曲の数々。O. V.が歌うとこうなると見せつけているのだろうか? そして、バックのリズム陣は最強です。鈍重でしかもノリのあるタメがあって凄いです。3曲目の"Precious Precious"の訳なぞを披露。これは名曲だなぁ。

「愛してくれなくても生きのびるよ
必要でないいなら、なんとか合わせるよ
おまえがおれを欲しくなくても、大丈夫
そうしたくないなら、けんかなんかしない
おまえをを愛していることで満たされる
無視されたなら待ちつづける
おまえが大切さ」

2, The Bottom Line



ジャケット写真を見よ。いきなり痩せてしまった。けど、渋くてかっこいい。数年後の悲劇を予告しているかのようだ。声に前作の"Into Somethoing"のころの艶や強さがない。8曲目の"A Little More Time"は死を予感しつつ、もう少し時間が欲しいとつぶやくこの声は晩年のBillie Holidayのように生気が足りなく、痛々しい。このアルバムの中ではお気にいりは"That's The Way About Feel About Cha"です。こんな詞です。

「なにかがきみのドアをノックしたのなら
こたえは愛なんだ
ノックなんて
世界は十分ではないけれど
きみは傷ついたけど
誰でもよくあること
ぼくだってそうさ
きみがもとめているのは
これまでの生活を変えるってこと
本に書けるぐらい話してあげられるよ
無理解や失望に傷ついたことなら
ためいきまじりに愛を受けとめないで
もっとよく見て
深く見て
ぼくが感じている素敵な何か」

3. We're Still Together



ジャケット写真からO. V.がいなくなってしまった。この当時、とてもすさんだ生活をしていたという話もある。けれど、このジャケット、以外に好きです。ディスコの軽めのビートの曲もO. V.が歌うとディープ。(天からの使いが天に戻る時、まず声にそれが表れるという)天人五衰のような枯れた声の1960年代に戻ったかのような"Mirror Of My Soul"が気になります。これはもの狂いのプラトニックラブの歌なのかしら? シュールな詞なんだが、出だしはこんな詞です。

「きみはぼくの魂の鏡
見れば見るほど美しい
こんな愛の物語は聞いたこともない
愛を分からせてくれた」

この物語の続きを読みたい人はO. V. Wrightを聞きましょう。(Hiにたがわず、Backbeatレーベルも名盤揃いです。)

とりつかれたように愛を歌い、病となり、このアルバムをラストとして残し、(多分、薬の過剰摂取の原因の)心臓麻痺で逝ってしまった。

The Southern Deepest Soul Singer O. V. Wright!!


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最近、ジョニーアダムスの"Reconsinder Me"を歌のレッスンで練習しています。この曲が吹き込まれたのがナッシュビルで、ナッシュビルというとカントリーミュージックのホームと言われているところだけど、1960年代から1970年代に"SSS International"というソウルミュージックのインディーレーベルがあったんだ。ニューオーリンズからナッシュビルまで出向き録音した楽曲を集めたのがこの"herat & soul"というアルバム。公民権運動からブラックパンサーまでをひた走ってきたこの時代の熱さと希望やら愛がタフさとともに、このアルバムには音として真空パックされている。

ぼくの練習する名曲の"Recosinder Me"だけど、こんなシンプルな歌詞で美しい。「愛」や「好き」ということに難しさはいらないのかも。訳してみました。

「こんにちは ぼくだよ
ぼくがわるかったよ
こんなふうにあらわれるなんて 驚いているかも
きみのドアのところで
翼のもげたヒバリのように歌っている
もどってきて きみにもう一度考えてとお願いしている
ぼくを考えなおしておくれ
きみの愛なしにはやっていけないって分かっているだろう
いつまでもきみを愛させてほしいんだ
ぼくを考えなおしておくれ

いい生活ってみんなが言う真実を学んだと思う
それは短すぎて夜通し灯していられないロウソクのようだって
いま、ぼくの心に夕やみがあって
きみに頼みたいんだ
きみにぼくの道を照らしてほしい きみにもう一度考えてとお願いしている
ぼくを考えなおしておくれ
きみの愛なしにはやっていけないって分かっているだろう
いつまでもきみを愛させてほしいんだ
ぼくを考えなおしておくれ」

最近、ぼくの歌詞で古いのが発見された。題して"One Love, One Heart"。

「こんなにたくさん 涙が あふれでるから
ぼくの汚れた 顔を ぬぐっておくれ
たった一つの 心だけど
いいかたは いろいろあるのさ
One love, one heart
One love, love, love, love, love

山を越えて 来ておくれ
川を渡って 来ておくれ
きみがドアを たたいてくれたら
ほんとにたくさん涙があふれでる
たったひとつの 心だけど
涙が 止まらなくなるのさ
One love, one heart
One love, love, love, love, love
One love, one heart
One love, love, love, love, love」

昔の自分は簡単ないい詞を書くなぁ。ぼくは変わってしまったのか? いいや、心は変わっておりません。というか、変われない。いいことなのかな? 反面、みなさん、ご迷惑をおかけしています。すみません。歌はジョニーにほんの少しでも近づきたいけど、これはこれは長い長い道のりだよ。

1960年代のアメリカ南部の所謂サザンソウルとジャマイカのロックステディはぼくにとって最高の音楽です。シンプルだし、愛に溢れているし、深いし・・・。思い出したよ。これからはMr. Happy Go Luckyになります。


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バリの竹のオーケストラの対決です。戦うのはサンカルアグン村とプンダム村。老賢者の太い竹の低音の響きに思春期の細い若い竹の音が重なり、部屋の空気を草木が育ち、虫たちが何世も甦り、人と変成し、別次元へ誘ってくれる。ライナーノーツには、心安らかな沈静と、明快な覚醒という一見相反するような精神状態を矛盾なくもたらしてくれる、とある。おお、これは英語で言うと"awaken!"、サンスクリット語で言う"bodhi"、日本語では「菩提」、「悟り」。
などと書いていると部屋が異様にみしっと揺れた。地震ではなく、ぼくはこれを「訪れ」だ。ありがとう。


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長野の方に旅をしました。戸隠神社に行ってきた。奥者の森の中の長い参道が、やさしくしかも凛とした自然の霊気に満ちていて、とても良かった。大好きなモネの絵「サンジェルマンの森の中で」を思い出したりした。歩いていると気持ちいい。
長い参道を歩いていくと、九頭竜さまが祭られており、その信仰の源が戸隠であるという。こんな山奥に龍の神さまがと思うと神秘的で、改心したこの荒ぶる神さまは、人を苦しめることはもうぜず、生き物の幸福を深い水の中、地の底、天の高みから祈っているのではあるまいか。



長野で一泊。munchという居酒屋で飲んだ。若い人の営む創作料理の居酒屋。おいしかった。梅酒の品揃えが多くて、梅酒というのもいいなぁ。お店でかけるCDがカウンターのすみに置かれていて、Jack Johnsonなんてありました。形を変えて、ブルーズやゴスペルは受け継がれていきソウルやロック、いろんな音楽になったけど、居酒屋もそうではあるまいか、などと思った。

・・・



次の日、車で木曽を抜け、伊那まで走らせる。地元の人はこのあたりを「伊那谷」と呼ぶ。町をぶらつき本屋さんに入り、この地に移り住んだ詩人であり、フォークナーの翻訳者でもある加島祥造さんの「LIFE」という本を買った。

夜、田楽屋という居酒屋で飲んだ。酔いが早く来て、不覚にも記憶はしどろもどろ。宿に戻り、ぐらぐらする頭で、昼間、買った「LIFE」を読む。本の中のこんな言葉に今の自分に対して答えのヒントがあるような気がした。

「花は虫のために咲く 虫は喜び花の願いに報いる 人はただ見ているだけだ」

「草木の行先は大地 水の行先は海 いずれも静かなところだ」

「濁った水はそのまま静かにしておくと いつしか澄んでいる」

「高い山の美しさは深い谷がつくる」

「生まれるものは何であれ みんな あなたより深いところからくる 起こるものは何であれ みんな あなたより高いところからくる」

「愛とは いまここにおいてのみ可能なのだ」

「いま生きずしていつ生きる」

「ひとは夢の出てきたところに戻るのだ」

この人ももう一冊の本に「求めない」というのがあったけれど、ぼくは求めようと思う。
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忌野清志朗が癌で再治療だという。YouTubeで黒柳徹子の「徹子の部屋」に出演している清さんの映像を見た。うそがつけない人なんだなぁ。もともとシャイで口数少ない人だと思う。こんな、やさしい本音で生きている人がこんな目にあうなんて、どういくことだろう。悲しい。神様、あなたは、、、とも思う。
日本語で歌う最高のソウル・シンガー。復帰を祈るばかり。

あたりまえのシンプルなラブソング ビューティフル

http://jp.youtube.com/watch?v=xAZ7kuH_cHM&NR=1

夢を見るのは悪いことじゃないって歌っている ワンダフル

http://jp.youtube.com/watch?v=KsJv9ktyVb4

最近の清さんのメッセージ
「夢を忘れずに」

ぼくは夢を忘れません。

帰ってくるさ。
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音楽しかあまり好きなもの、趣味のないぼくは、暑い夏の夜の眠れなさを、音楽を聴いて過ごすのです。どんな音楽をかけているのでしょう? 最近、このふたつがお気に入り。

LUA E SOL / 首里フジコ

素敵なジャケットでしょ? 沖縄のこのシンガー、やさしい声だなぁ。ブラジルが琉球と出会ったようなトラディショナルナンバー「べーべー」や「月ぬかいしゃ」、オリジナルの「私はサカナ」は深い熱帯の海をゆっくり泳ぎ、中村八大・永六輔コンビの「私の好きなもの」、ラストは麻布あたりにあるジャズ喫茶を深く潜る。泳ぐことって、なんか自由で癒してくれるけど、ゆっくりとこのシンガーは泳いでいる。ああ、きみに、もっとゆっくり泳いだらっていってみようかな? きみは泳げるんだから。そしたら、知らないすてきなものを見れるかも。フジコの歌みたく。

Chora Cartola

ブラジルにカルトーラっていうサンバ・カンソンのシンガーであり、作詞作曲家がいたんだけど、その人の楽曲をショーロというブラジル独自のインストュルメンタル形式で演奏したアルバム。カルトーラは伝説のミュージシャンで、六十歳を越えてアルバムデビューして、数枚のレコードを吹き込んで逝ってしまった。今年で生誕百周年だという。ゆったりとシンコペイトしるサンバの複雑なリズムにのった今まで余り気づかなかったカルトーラのメロディーの美しさにため息が出ます。

素敵な音を聴いていられるなら、今夜は、眠れなくてもいいです。明日の夜も。けれど、いつか眠らしておくれ。


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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