えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
最近、「もう一度読みたい宮澤賢治」という本を読んでいる。未だ読了してはいないのだが、その本には賢治先生(宮澤賢治の故郷の岩手県花巻の人はそう呼ぶ)の二十二編の童話、物語と十三編の詩が収められいる。
その本に収められて物語を読むと、その文章の中に「[一字空白]」というように書かれているところがあって、それは文字通り原稿には一字がすっぽりと空白の部分なのだ。この本に掲載されている物語よりももっと膨大な数の物語や詩を賢治は書いたのだが、そのほとんどが本となって正式に発表される当てのないまま書き綴られたことが、「[一字空白]」から分かってしまう。
宮澤賢治は花巻の稗貫農学校(のちに花巻農学校、現花巻農業高等学校)で教師という仕事をしていたから、時にはその童話を生徒たちに読み書かせたことはあっただろう。たくさんの絵や音楽すら残している賢治が発表の当てのないまま書き綴っていった、賢治にそんなたくさんの創作を常にかき立てていた、それとは何だろうか? しかも、僭越すぎるかもしれないけれど、教室で生徒たちに物語を語って聞かせる賢治先生とライブバーやらで歌をうたうぼく自身が、ダブって見えることもあるこのごろ。
Muddy WatersがMuddy Watersになる前のMcKinley Morganfieldであったころの素晴らしい録音集"The Complete Plantation Recordings"を聴きながら、これを記す。
(来る5月29日(土)に小田急相模原のbar School of Rock(http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine)でまた歌います)
その本に収められて物語を読むと、その文章の中に「[一字空白]」というように書かれているところがあって、それは文字通り原稿には一字がすっぽりと空白の部分なのだ。この本に掲載されている物語よりももっと膨大な数の物語や詩を賢治は書いたのだが、そのほとんどが本となって正式に発表される当てのないまま書き綴られたことが、「[一字空白]」から分かってしまう。
宮澤賢治は花巻の稗貫農学校(のちに花巻農学校、現花巻農業高等学校)で教師という仕事をしていたから、時にはその童話を生徒たちに読み書かせたことはあっただろう。たくさんの絵や音楽すら残している賢治が発表の当てのないまま書き綴っていった、賢治にそんなたくさんの創作を常にかき立てていた、それとは何だろうか? しかも、僭越すぎるかもしれないけれど、教室で生徒たちに物語を語って聞かせる賢治先生とライブバーやらで歌をうたうぼく自身が、ダブって見えることもあるこのごろ。
Muddy WatersがMuddy Watersになる前のMcKinley Morganfieldであったころの素晴らしい録音集"The Complete Plantation Recordings"を聴きながら、これを記す。
(来る5月29日(土)に小田急相模原のbar School of Rock(http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine)でまた歌います)
何度か沖縄を旅したことがある。ある旅では、沖縄の唄と三線の始祖と呼ばれる伝説の人、赤犬子を祀った赤犬子宮を訪ねたことがあった。本当に小さなお宮であったが、国道の脇でひっそりと、めったに訪れる観光客もいなさそうであった。近くには「やむちんの村」という陶芸家の人たちの集まったところろがあり、そこをふらっと見学した。のどかな沖縄の田舎のそこを訪れる人もほとんど見かけなかった。熱帯の熱さの中に昔ながらの沖縄があったような気がする。
赤犬子に話はもどり、お宮を見学したあと、ふとまわりを見ると、有刺鉄線が目に飛び込んで来た。神奈川県の相模原育ちのぼくはぴーんと来るものがあった。読谷村のこんなところにも米軍の施設があるのかと驚いた。沖縄にはいたるところに有刺鉄線があったし、今もある。基地の県、神奈川に暮らすぼくも驚いてしまうほど、沖縄はいたるところに有刺鉄線のある島だなーと思った。
その旅で沖縄市に向かう。その昔、コザと呼ばれた街の店の看板には日本語と英語が並んで表記され、通りは広々としている。コザ独立国の大統領を自称する漫談家でもあり唄者でもある照屋林助さんのお店を訪ねたのだった。広い通りを歩くと、そこはカリフォルニアの街ってこんなところかもと思わせられ、日差しが明るく、向こうの方に巨大な飛行場の有刺鉄線が見えもした。
金武町にもその旅では行った。その街は1960年代で時の止まったアメリカのゴースト・タウンのようだった。遠くから、米兵相手にならしたCondition Green(そういうウチナンチューのバンドがあった)のようなハード・ロックや生粋のリズム・アンド・ブルースではなくて、不思議なことにあの独特な三線の旋律が耳に聞こえた。
ぼくはアメリカの文化に惹かれているのだろうか? 多分そうだ。ホイットマンの詩、フォークナーの小説、リズム・アンド・ブルース、ロック、好きなものを上げれば尽きることはないのだが、それは戦争をするアメリカではなくて、もっと別のアメリカ。そして、同じくらいかもしれなく好きな嘉手苅林昌さんらの沖縄民謡、島唄。
沖縄の地の精に由来したかのようなウタギ(沖縄の神を拝めるところ)のような文化、唄の島、三線の響きに、ヤマトやチュウゴクやアメリカの文化が混じり合い、不思議な風情を持っている、沖縄はそのようなところだと感じたのだが、当のウチナンチュー(沖縄の人)も、そのような文化をチャンプルーと称して誇っているようなのだ。
ある道路沿いの市場のようなところでのこと。何やらアメリカ人の家族が車の脇で困っている。車の鍵を車内に閉じ込めてしまったようだ。ある見知らぬウチナンチューが、長くて細い金属の棒のようなものを持ってゆっくりやって来た。車の窓のかすかな隙間からその棒を曲げながら差し入れて、カチャカチャと果てしなく何かをし続ける。ずいぶん時間がたったころ、その細い棒で車のロックがやっと降りる。満面の笑みで「サンキュー」と感謝を表すアメリカ人。「ユアウェルカム」と答える沖縄の人。まわりではさざ波のように拍手がひろがった。
昨日、日本の総理大臣が沖縄の県知事に言った言葉にやりきれない虚しさを感じました。
赤犬子に話はもどり、お宮を見学したあと、ふとまわりを見ると、有刺鉄線が目に飛び込んで来た。神奈川県の相模原育ちのぼくはぴーんと来るものがあった。読谷村のこんなところにも米軍の施設があるのかと驚いた。沖縄にはいたるところに有刺鉄線があったし、今もある。基地の県、神奈川に暮らすぼくも驚いてしまうほど、沖縄はいたるところに有刺鉄線のある島だなーと思った。
その旅で沖縄市に向かう。その昔、コザと呼ばれた街の店の看板には日本語と英語が並んで表記され、通りは広々としている。コザ独立国の大統領を自称する漫談家でもあり唄者でもある照屋林助さんのお店を訪ねたのだった。広い通りを歩くと、そこはカリフォルニアの街ってこんなところかもと思わせられ、日差しが明るく、向こうの方に巨大な飛行場の有刺鉄線が見えもした。
金武町にもその旅では行った。その街は1960年代で時の止まったアメリカのゴースト・タウンのようだった。遠くから、米兵相手にならしたCondition Green(そういうウチナンチューのバンドがあった)のようなハード・ロックや生粋のリズム・アンド・ブルースではなくて、不思議なことにあの独特な三線の旋律が耳に聞こえた。
ぼくはアメリカの文化に惹かれているのだろうか? 多分そうだ。ホイットマンの詩、フォークナーの小説、リズム・アンド・ブルース、ロック、好きなものを上げれば尽きることはないのだが、それは戦争をするアメリカではなくて、もっと別のアメリカ。そして、同じくらいかもしれなく好きな嘉手苅林昌さんらの沖縄民謡、島唄。
沖縄の地の精に由来したかのようなウタギ(沖縄の神を拝めるところ)のような文化、唄の島、三線の響きに、ヤマトやチュウゴクやアメリカの文化が混じり合い、不思議な風情を持っている、沖縄はそのようなところだと感じたのだが、当のウチナンチュー(沖縄の人)も、そのような文化をチャンプルーと称して誇っているようなのだ。
ある道路沿いの市場のようなところでのこと。何やらアメリカ人の家族が車の脇で困っている。車の鍵を車内に閉じ込めてしまったようだ。ある見知らぬウチナンチューが、長くて細い金属の棒のようなものを持ってゆっくりやって来た。車の窓のかすかな隙間からその棒を曲げながら差し入れて、カチャカチャと果てしなく何かをし続ける。ずいぶん時間がたったころ、その細い棒で車のロックがやっと降りる。満面の笑みで「サンキュー」と感謝を表すアメリカ人。「ユアウェルカム」と答える沖縄の人。まわりではさざ波のように拍手がひろがった。
昨日、日本の総理大臣が沖縄の県知事に言った言葉にやりきれない虚しさを感じました。
小田急線相模大野駅から歩いて2分ぐらいのところにトロワアンジュ(TROIS ANGES)という喫茶店があるのだが、そこのコーヒーがおいしい。店内はモーツアルトのクラシックだかが流れて、カップもマイセンのものだったりする。食事なしでほぼコーヒーだけのお店なのだが、こだわりのお店だよ。落ち着いたインテリアの中でカップを眺め、流れるクラシックのピアノを聴き、すごくおいしコーヒーを味わう、そんなカフェのひと時を最近過ごすこともあります。
トロワアンジュのホームページ
http://members.jcom.home.ne.jp/trois-anges/index.htm
トロワアンジュのホームページ
http://members.jcom.home.ne.jp/trois-anges/index.htm
昔は本屋にたくさんあったバグワン・シュリ・ラジネーシの本。またの名を和尚ともOSHOともいう彼の本は、今はめったに見られなくなった。悪い噂も絶えなかったこのインドの宗教指導者の本を何冊か読んだこともあった。その大胆なレトリックに不思議な感銘を受けたこともあったのだが、今は読み返そうとは思わない。そのラジネーシの音楽レーベルから出された"NEW CHILD Rehabilual"というCDはたまに聴きたくなる。ボーカルや作詞作曲にあの小川美潮さんが加わっている。エスニックでジャージーでスリリングなこのアルバムは美潮さんの隠れた名作だと思う。
このCDの2曲目"Nataraji Bungawan Solo"はインドネシア民謡だと思われていたのだが、その作者であるGesang Martohartonoさんが昨日亡くなったというニュースを新聞で見た。享年九十三歳のインドネシアでの人生はどのようなものだったのだろうか? 美潮さんは初めにインドネシア語で歌い、そして、次に日本語の詞をこのように歌っている。
「かわらぬ ソロの流れ
いわれを秘めて 今日も流れる
かれどきは 水かわけど
雨期は豊かに あふれ流れる
みどりの深山にかこまれた みなかみ
流れてついには海にそそぐ
過ぎし日を語るように
あきないの舟今日もこぎゆく」
今、ジャケットを見ると、子どもが瞑想している写真に妙な違和感を感じたりする。けれど、音楽は素晴らしい。すると、このCDを西荻窪のホビット村の本屋で買ったことをふいに思い出す。ぼくの友だちがこのホビット村のレゲエを演奏する人とけんかをしたと話していたのも思い出す。
さて、海にそそいだソロの川の水はどうなるのか? このアルバムのラストの曲「水」のように海にそそいだ水は空にのぼる。雲になって、雨を降らす。雨は地に吸われ、種を芽吹かせる。そうだよ、水ってもちろん、いいものでもある。だから、水の旅はつづく。ぼくはおいしいお水の夢を見よう。チャオ。では、おやすみなさい。Zzzzzzz......
こんな夢を見た。
ぼくはアメリカ大統領バラク・オバマの来日を迎えるスタッフになっている。ビートたけしもオバマ大統領を迎えるスタッフになっている。ぼくはオバマ大統領にアフター・ファイブに東京のどこかに案内してくれないかと請われる。ぼくはそれを受け、ある劇場に行く。そこにはビートたけしがいて、何かコントを演じている。ぼくはオバマ大統領に、実は彼は日本の有名なコメディアンなのだと説明する。
次の日も、オバマ大統領にアフター・ファイブにどこか行かないかと請われる。一度ならず二度までもどうしてだろうと思う。すると、あることを考えつく。オバマ大統領は、日本人が本当はアメリカ合衆国をどう思っているのか、その本当のところを知りたいのではないかと想像する。そうだ新橋のやきとり屋にでも連れて行き、ゆっくり話してあげたらいいのではないか? そういえば、オバマ大統領の民主党の先輩にあたるアメリカ大統領のジミー・カーターが来日したときに、どこかのやきとり屋に行ったというのをニュースで見たことがあった。がたいのいいアメリカ人のSPを連れて、やきとり屋でぼくと呑んでいるオバマ大統領。ざわめくやきとり屋の常連客。これはいいアイデアだと思いうれしくなる。
そこで、目が覚めた。国際情勢を反映した夢?
ぼくはアメリカ大統領バラク・オバマの来日を迎えるスタッフになっている。ビートたけしもオバマ大統領を迎えるスタッフになっている。ぼくはオバマ大統領にアフター・ファイブに東京のどこかに案内してくれないかと請われる。ぼくはそれを受け、ある劇場に行く。そこにはビートたけしがいて、何かコントを演じている。ぼくはオバマ大統領に、実は彼は日本の有名なコメディアンなのだと説明する。
次の日も、オバマ大統領にアフター・ファイブにどこか行かないかと請われる。一度ならず二度までもどうしてだろうと思う。すると、あることを考えつく。オバマ大統領は、日本人が本当はアメリカ合衆国をどう思っているのか、その本当のところを知りたいのではないかと想像する。そうだ新橋のやきとり屋にでも連れて行き、ゆっくり話してあげたらいいのではないか? そういえば、オバマ大統領の民主党の先輩にあたるアメリカ大統領のジミー・カーターが来日したときに、どこかのやきとり屋に行ったというのをニュースで見たことがあった。がたいのいいアメリカ人のSPを連れて、やきとり屋でぼくと呑んでいるオバマ大統領。ざわめくやきとり屋の常連客。これはいいアイデアだと思いうれしくなる。
そこで、目が覚めた。国際情勢を反映した夢?
こんな夢を見た。
どこかの帰りにどこかの県民ホール、もしくはどこかの市民ホールの前を通る。そうだ、今夜、ここで〇〇さんがコンサートをしているんだっけと思い、中に入ってみる。劇場のような席の並びになった待合室があり、そこに〇〇さんがいる。そうか、やっぱコンサートなんだと思う。まわりには〇〇さんの親族一同がたくさんいる。自分はこういう仕事をしていますという披露の意味もこめての今夜のコンサートなのだろうかと思う。遠くから見るに数十人はいそうだ。
今夜は家に帰ってアルバイトをしなければと思っていると、〇〇さんに見つかってしまい、やー、見に来てくれたの、時間が押していて、うちらの出番は夜の十一時からだよと言われる。アルバイトをしにすぐに家に帰りたかったのだが、コンサートを見に来たのだとぼくは言ってしまう。さて、十一時からだと終えるのが多分十二時過ぎで、その時間に電車で家に帰れるのだろうかと思いながら、今夜は見て帰ろうと決心する。多分、ここのキャパシティーは大きくて、こんな大きなホールで演奏するようになったのかと驚く。
そこで目が覚めた。これは現実にありそうな夢でもあるよ。ある夢占いによると、コンサートに誘われる夢は、多くの友人を得るということだそうな。本当かしら? ゆめゆめうたがうことなかれ!
どこかの帰りにどこかの県民ホール、もしくはどこかの市民ホールの前を通る。そうだ、今夜、ここで〇〇さんがコンサートをしているんだっけと思い、中に入ってみる。劇場のような席の並びになった待合室があり、そこに〇〇さんがいる。そうか、やっぱコンサートなんだと思う。まわりには〇〇さんの親族一同がたくさんいる。自分はこういう仕事をしていますという披露の意味もこめての今夜のコンサートなのだろうかと思う。遠くから見るに数十人はいそうだ。
今夜は家に帰ってアルバイトをしなければと思っていると、〇〇さんに見つかってしまい、やー、見に来てくれたの、時間が押していて、うちらの出番は夜の十一時からだよと言われる。アルバイトをしにすぐに家に帰りたかったのだが、コンサートを見に来たのだとぼくは言ってしまう。さて、十一時からだと終えるのが多分十二時過ぎで、その時間に電車で家に帰れるのだろうかと思いながら、今夜は見て帰ろうと決心する。多分、ここのキャパシティーは大きくて、こんな大きなホールで演奏するようになったのかと驚く。
そこで目が覚めた。これは現実にありそうな夢でもあるよ。ある夢占いによると、コンサートに誘われる夢は、多くの友人を得るということだそうな。本当かしら? ゆめゆめうたがうことなかれ!
DOORS末期の凄まじいライブです。1970年4月10日のボストン・アリーナでの2つのショウを完全キャプチャーしたこのアルバムを聴くと、Jim Morrisonは、自ら"Shaman's Blues"で歌った歌詞にあるように、祈祷師であり、呪術師でもあり、そこで召喚されるのは土地を汚され奪われたアメリカ・インディアンやリンチされ吊るされた黒人でもあり、それ以上に、ベトナムから帰ることのできなかった名も無き若い兵士の霊であるのかもしれない。
永遠と途切れることもなくアドリブ的に演奏され、それは、エイトビートの激しいジャズのようでもあるけれど、Jimによる朗読と歌すらも、さらにアドリブで歌われることによって、コンサートは禍々しい儀式のようになっていく。音と歌が地を這い、天に舞い上がる中、セカンド・ショウの後半ともなると、オーディエンスが静まりかえっているのだ。永遠に続くかのようなこの夜の祭りは、主催者による電源断によって唐突に終り、戸惑う客席の声に混じり、Jimが怒気荒く、捨て台詞に"Cock sucker!"と吐き捨てて終わる。怖えー。