えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
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ぼくは村上春樹の小説は、ほとんど読んでいないけれど、フィッツジェラルドの小説の翻訳者としての彼、ジャズというアメリカの音楽を語る彼は大好きだった。イスラエルから文学賞、エルサレレム賞をもらうこととなり、その受賞の際の、エルサレムの政治家たちすらたくさん目の前にした孤立無援のようなスピーチに、ある種の感動を覚えた。47NEWS(http://www.47news.jp/47topics/e/93879.php)から引用させていただきます。
こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。
もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?
それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。
そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。
真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。
受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。私はもちろん、このような印象を与えたくありません。私は戦争に反対ですし、どの国家も支持しません。もちろん、私の本がボイコットされるのも見たくはありません。
しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。
というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。
「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。
そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?
この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。
しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。
私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。
私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している輝くような後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。
父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。
今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。
このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「組織」をつくったのです。
これが、私がお話ししたいすべてです。
「エルサレム賞」、本当にありがとうございました。私の本が世界の多くの国々で読まれていることはとてもうれしいことです。イスラエルの読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。
こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。
もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?
それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。
そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。
真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。
受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。私はもちろん、このような印象を与えたくありません。私は戦争に反対ですし、どの国家も支持しません。もちろん、私の本がボイコットされるのも見たくはありません。
しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。
というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。
「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。
そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?
この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。
しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。
私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。
私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している輝くような後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。
父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。
今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。
このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「組織」をつくったのです。
これが、私がお話ししたいすべてです。
「エルサレム賞」、本当にありがとうございました。私の本が世界の多くの国々で読まれていることはとてもうれしいことです。イスラエルの読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。
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昨日は宮ヶ瀬湖あたりまで、ドライブに行った。車をこれだけ運転するのも久しぶり。エンジンオイルも変えたばかり。100年に1度という不況のせいか、道も空いている。車の調子もいい。
夜、ラシエットへにしやん主催のパーティーへ出かける。1曲、オリジナルをギターを弾きながら、歌ってしまった。この歌った曲「踊りにいってもいいだろう、ママ」(変なタイトル、うっぷ)は結構、いい曲だって、みんなから言われる。人生に1曲ぐらい、名曲ができるもんだ。しかも、今夜は横浜の老舗ジャズ喫茶「ドルフィー」のセッションのホストでもある、ピアニスト川久保典彦さんhttp://www.kawakubo.sakura.ne.jp/のピアノの伴奏付き。すばらしかったです。
その後、調子に乗りすぎて飲みすぎた。プエルトリコのおいしいバーボン「キャプテンモルガン」なんてあるんだもの。後半、記憶が曖昧。やばっ。冷や汗。言動に自信が持てん。何か、やらかしている気がする。お酒は悪魔のキ○ガイ水とはよく言ったものだ。
あと、昨日は本を一冊、一気に読み終えたのだ。川原テツ著の「名画座番外地 「新宿昭和館」傷だらけの盛衰記」。新宿東口を出て左に行ったあたりにあった任侠映画を特に上映していた名画座「新宿昭和館」で働いていた川原さんのその映画館の思い出を書き綴ったもの。アウトローのたまり場のような映画館であったのだ。映画館の中でお客さんに焚き火を始められるというものすごいエピソードも数ある事件の中の一つ。お客との取っ組み合いの喧嘩など、日常茶飯事。川原テツさんhttp://kawahara-tetsu.com/、高校中退のラモーンズ好きのパンク小僧が、映画館を舞台に20年間もの間、バカ騒ぎ、お祭りの毎日にいたらしい。文章からにじみ出ている川原さんの人柄にも何か親近感すら感じてしまう。
アウトローになるのか、なってしまうのか、なるしかないのか? 番外地に行くのか、行ってしまうのか? 行くしかないのか?
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3枚目にほぼ直球、ど真ん中のこのアルバムを紹介します。このライブ盤によって、ジャマイカの最高にホットでソウルフルな音楽があることが世界中の伝播していった。リズムが反抗のメッセージなのだ。1970年代にロックから急速に失われていった、もしくは地下に潜行してしまった何かもここにあるのだ。それから、このアルバムに入っている"No Woman, No Cry"の作者であり、Bobにギターを教えた友だちであったVincent Ford氏が昨年、2008年の12月28日に天国に召されました。今頃、空の向こうでBobとVincentは焚き火を囲んで、コーンの缶詰を食べながら、アコースティックギターを弾いて、歌っているでしょう。たまに、仏頂面で人々が過ぎ去っていく人ごみの中でも、戦争や見殺しにされる腹ペコの子供たちを映したニュースを垂れ流すテレビのあるリビング・ルームでも、上の方からふとBobの歌声が聞こえてくる気がする。こんな単純な歌・・・
「元気を出せよ、引きずるんじゃねぇよ
今までないぐらいロックしようぜ」
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神奈川県民ホールにブライアン・セッツアー・オーケストラを見にいく。ロックンロールをビッグ・バンドで演奏してくれるこの13本もホーンが入ったバンドが大好きだ。ピアノも入っていれば、もっと最高だけど、ブライアンのギターがあるからこれでもいいのだ。それにブライアンはレス・ポウルみたくギターを弾く魔術師だしね。
この音楽はゲイトマウス・ブラウンのテキサス・スウィングがメンフィスのロックンロールに出会ったのだ。それで、今夜はヨコハマでランデブーしていた。うらやましっ。ニュー・グランド・ホテルのバーテンダーさん、ぼくに「ロックンロール」っていうカクテルを作ってよ。ありもしなかったあの頃に戻るからさぁ。
この音楽はゲイトマウス・ブラウンのテキサス・スウィングがメンフィスのロックンロールに出会ったのだ。それで、今夜はヨコハマでランデブーしていた。うらやましっ。ニュー・グランド・ホテルのバーテンダーさん、ぼくに「ロックンロール」っていうカクテルを作ってよ。ありもしなかったあの頃に戻るからさぁ。
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微熱が引かない。医者に行ってタミフルを処方されるかと思ったがもらえなかった。38度越えた夜は、ひどいもんだった。タミフル、もしかして21世紀のLSDなのだろうか? いつも、変な夢、いっぱい見るから、ぼくには必要ない? しかし、久しぶりにお酒を飲んでいないなぁ。当たり前か?
今日の午後は"THELONIOUS ALONE IN SAN FRANCISCO"を聴いて眠った。このMONKのソロ・ピアノを聴くと、いつも同じ景色というか情景が浮かぶ。それはどういうことかというと・・・
ぼくが午後、犬の散歩に出かけると、どこからともなく、ピアノの音が聞こえ、それをたどっていくと、小学校にたどり着く。体育館の方から聴こえるから、その方へ行き、入り込むと、大きな黒人が体育館の舞台のグランド・ピアノに一人で向かい、ピアノを弾いている。そのピアノの音のテンポは伸びたり縮んだりし、ハーモニーやメロディー、リズムも伸びたり縮んだりする。大きな窓から午後の陽ざしが暖かい。その不思議な音楽を奏でる黒人はぼくたち(ぼくと犬)に気づかない。ぼくたちは午後の陽ざしの暖かさと、体育館に響くその音楽の心地よさにうとうと眠ってしまう。
おやすみzzzzz
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風邪をひいた。昨日の夜は熱が38度6分。トイレに行こうと、立ち上げって歩くと世界がぐらぐらする。身体というのはたくさんのフェース、面の組み合わせでできているみたいで、布団にくるまって寝ていると、そのいろんな面が痛くて、よく眠れない。頭の中で、永遠と単純なことが繰り返す。アイアンのゴルフ・スウィングとか、あの娘は、どうしてあの時、ああ言ったんだろうかとか。
今朝、体温を計ったら37度1分だった。40度を越えると生命に危険があるという。
病気の時、聴くと癒させそうな音楽を紹介します。THE GREAT PARAGUAYAN JOHN WILLIAMS play BARRIOS。バリオスという南米パラグアイの18世紀末から19世紀初頭にかけてのクラシックの作曲家のギター曲集。このギターの雨粒のような音は、すべての生き物の静かな再生のための何か聴こえるのだ。今、外でも内でも、静かに雨が降っています。
また寝ます。おやすみzzzzz
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2枚目に紹介するのがこのDonny Hathawayの"LIVE"。スタジオ盤にはない熱さです。本当にオーディエンスとのやりとりを楽しんでいて、これは交感という言葉がぴったりです。この"LIVE"があればこそ、Donnyのハートの深さが感じとれるというもの。昔、下北沢にあるSTOMPというブルースとかソウルをかけるバーでいつも毎日かかっていて、レコードの溝が擦り切れていたことなどを思い出した。多分、STOMPは今でもあるよ。最後の曲、"Everything Is Everything"のWillie Weeksのベースが重く歯切れよく、グルービーですごかった。昔、ベースを弾く友だちにこれを聞かせたら、毎日この曲をコピーして練習していたなぁ。
ああ、Donny、天から授かっていたのに、このライブの数年後、窓から飛び降りちゃったのだ。
おやすみzzzzzz
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
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