えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
世界中の若い衆よ、チェニジアに続けなどと、思ってしまう。今、FUNKADELICのアルバム"One Nation Under Groove"を聞きながら、フライヤーなんぞを作っているからなのでしょうか?
来週の土曜(2011年1月29日)の夜、小田急相模原のバー『スクールオブロック』で歌っています。出演者が3人から5人になったみたいです。にぎやかな楽しい夜になりそうですな~。フライヤーを作り直しました。
スクールオブロックのホームページ
http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine
素敵な読後感の残る読書をした。津島佑子さんの最新作「黄金の夢の歌」を読んだのです。夢の歌を聴きにキリギスを旅する津島さんは、その旅の中で、歌が時代や距離を多分、光の速さを越えて、飛び、移動し、アイヌやアボリジニの歌やらにも繋がるり、世界が一つのような、懐かしいその調べを聴いたんだな。その調べの少しでもをぼくも聴いたような気もしたのです。
津島佑子さんは太宰治の忘れがたみの娘さんで、中上健次の朋輩だった人。人は移動し、混じりあい、夢の歌を歌うというと、中上健次っぽくもあるけど、そんな小説です。そして、津島さんはローレン・バコールのようなしゃがれた割れた声でしゃべる人であるらしい。
ぼくも夢を見て生きてきました。おやすみ。
昼の用を終え、友だちトンネルさんにメールをもらったオトアソビというイベントに町田のカーバンクルに行ってみました。もうトンネルさんのライブは始まっていて、今までのトンネルさんとは違い、演劇のような要素は無く、音楽を純粋に聞かそうというような姿勢で、改めてトンネルさんの音楽の魅力にも気づいてしまったのであります。
次々にいろんな人やらユニットやらを聴いたのでしたが、司会をしていたお兄さんがギターを持って登場。B.D.Badgeというバンドでロック魂を感じたよ。ぼくはあまり知らないのだが、サザンオールスターズのパーカッショニスト、ケガニさんをゲストに呼び、おれとこいつは日大五号館をバリケード封鎖した仲なんだと紹介。なんと全共闘世代のロッカーでもあるらしい。この前、イーグルスをNHKの「ソングス」って番組で放送していて、「ホテル・カルフォルニア」でイーグルスは1969年の酒(精神)はここ、ホテル・カリフォルニアにはありませんと皮肉まじりに歌っていたのだけど、その反抗の津波は1969年に日本にも押し寄せていたことは知っていた。あの忌野清志郎は自分のバンド名に「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー」と名づけたのだけど、それはクローバーの残党という意味で、ぼくが今夜見たのは驚くべき1969年の残党の生きてる音であったように思い、ロックとは1969年に頂点を迎え、終わってしまったものではないとも思い、ぼく自身もその残党であるとも思う。その残党がいたるところで形を変え、子孫すら生み、秘密結社のように1969年の後も40年以上続いているのかもしれない。
それで、ロクさん、リュウシさん、すまぬ。風邪ひきで調子が悪く、見れずに、すぐ帰ってしまった。またの機会に遊ぼう。だって、ロックもソウルもブルーズもまだ死んでいないべ。
次々にいろんな人やらユニットやらを聴いたのでしたが、司会をしていたお兄さんがギターを持って登場。B.D.Badgeというバンドでロック魂を感じたよ。ぼくはあまり知らないのだが、サザンオールスターズのパーカッショニスト、ケガニさんをゲストに呼び、おれとこいつは日大五号館をバリケード封鎖した仲なんだと紹介。なんと全共闘世代のロッカーでもあるらしい。この前、イーグルスをNHKの「ソングス」って番組で放送していて、「ホテル・カルフォルニア」でイーグルスは1969年の酒(精神)はここ、ホテル・カリフォルニアにはありませんと皮肉まじりに歌っていたのだけど、その反抗の津波は1969年に日本にも押し寄せていたことは知っていた。あの忌野清志郎は自分のバンド名に「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー」と名づけたのだけど、それはクローバーの残党という意味で、ぼくが今夜見たのは驚くべき1969年の残党の生きてる音であったように思い、ロックとは1969年に頂点を迎え、終わってしまったものではないとも思い、ぼく自身もその残党であるとも思う。その残党がいたるところで形を変え、子孫すら生み、秘密結社のように1969年の後も40年以上続いているのかもしれない。
それで、ロクさん、リュウシさん、すまぬ。風邪ひきで調子が悪く、見れずに、すぐ帰ってしまった。またの機会に遊ぼう。だって、ロックもソウルもブルーズもまだ死んでいないべ。
来る2011年1月29日(土)に小田急相模原駅近くのバー、スクールオブロックでライブをするのですが、フライヤーを作ってみました。今回のライブはブルース色濃くなる予感もします。来てね。
スクールオブロックのページ
http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine
土日だけ営業している大和のライブバー『Hagin's Bφ』のオープンマイクへ弾き語りに行きました。けっこう、一杯人が来ていて盛況でしたな。小田急相模原の『スクールオブロック』でお見受けした人も何人かとお会いしました。
そこで、歌っている人の中でかなり歌を歌える女の人を発見。この人、その佇まいとか雰囲気とか回りに醸し出す空気とかが、死んだぼくの友だち(男)にそっくりなのでした。こんなことって、こんな物語ってあるのだろうかと、思いつつ、それがどのような物語かは、ぼくは知らない。そのぼくの死んだ友だちに似ているように思えたことによって、それが夢からの現へ、何かが侵入してきたのではないかと、妙なことを思ってしまう。
楽しいお店なので、来月も行こうかな。第一日曜日の夜がオープンマイクだそうで、リーサラ・ブルース・マンのようでもあるぼくにはありがたや、ありがたや。
Hagin's Bφのホームページ
http://home.catv.ne.jp/ff/hagin/index.html
そこで、歌っている人の中でかなり歌を歌える女の人を発見。この人、その佇まいとか雰囲気とか回りに醸し出す空気とかが、死んだぼくの友だち(男)にそっくりなのでした。こんなことって、こんな物語ってあるのだろうかと、思いつつ、それがどのような物語かは、ぼくは知らない。そのぼくの死んだ友だちに似ているように思えたことによって、それが夢からの現へ、何かが侵入してきたのではないかと、妙なことを思ってしまう。
楽しいお店なので、来月も行こうかな。第一日曜日の夜がオープンマイクだそうで、リーサラ・ブルース・マンのようでもあるぼくにはありがたや、ありがたや。
Hagin's Bφのホームページ
http://home.catv.ne.jp/ff/hagin/index.html
最近めっきりギターでの弾き語りばかりしているぼくなのですが、日本人のギター弾き語りをするミュージシャンに三人ばかり大好きな人がいる。友部正人、高田渡、友川かずきの御三人。この御三人の素晴らしいライブ・アルバムを紹介しながら、語ってしまう。
友部正人のライブ・アルバム「ブルースを発車させよう」はよく聴いた。自伝的な死んだ友だちを歌った「フーテンのノリ」、表題曲の詞が現代詩のような「ブルースを発車させよう」、おもしろおかしな「ゆうれいなんていかしてる」などどれも素晴らしいけれど、このアルバムの中での決定的な歌はアルバムをラストを飾る、なぜか一曲だけ入っているスタジオ録音の「放浪者」です。一回だけ友部さんのライブを生で見たことがるのは、横浜の寿町での夏のフリー・コンサートでもある夏祭りで弾き語りをしていた。その時、ボ・ガンボズとかも見たな。
高田渡の「Best Live」も本当に良く聴いた。このライブ・アルバムに入っている「ブラザー軒」という歌が最高なのです。菅原克己さんという詩人の詩、シンプルなコード進行を付け、語るように高田渡さんは歌っています。ある時から高田渡は自分で作詞をしなくなった。インタビューに答えて曰く、この世界には自分で作る詩や詞よりもいい詩や詞がたくさんあるからということだ。なるほどね。友部正人は、アコースティック・ギターを弾き歌うさすらいのロックンローラーなのだと思い、高田渡は本物のブルースマンだとも思う。今ごろ、やっぱり天国で歌っているのですね。
友川かずきの「ライブ 2005 大阪バナナホール」を聴きながら、いつまでも変わらぬ人だと驚き、その昔に初めて友川の歌をレコードで聴いた時の衝撃の感動が蘇る。この人、歌う時も秋田弁なまりで、絶叫するように歌います。ある雑誌か何かのインタビューでJanis Joplinが好きだとかと答えていた。なるほど。魂の叫びです。それから、彼の歌にあるメランコリーは、詩の心の塊です。中原中也とか村山槐多とか住宅顕信とか、言葉や絵の芸術家のことを、この人の歌をきっかけに知りもしました。友川さん、また生で見てみたいな。
2011年1月29日にスクールオブロック(http://blog.goo.ne.jp/ryusisekine)でまたぼくも弾き語ります。NAOKIさん、オグリ昌也くんらも出ます。よろしくね。
ぼくは音楽好きで、いろんなポップ・ミュージックを聴くのが好きです。まぁ、ジャズとかブルースとかレゲエとかソウルとかが多いのですが、去年もいろんな音楽と出会ったし、聴いた気がする。そこで、年の瀬に一年を振り返ったりしてみたくなるわけです。けれど、悲しいニュースもあって、浅川マキさんとか亡くなった人も多い。1970年代から1980年代までのレゲエを代表するシンガー、シュガー・マイノットやグレゴリー・アイザックスも空の上の人になってしまった。ニュー・オーリンズの孤高のロック・シンガー、ボビー・チャールズも空の上の人。みんな、雲の上の彼方で歌を歌ってください。
浅川マキさん、ボビー・チャールズ、シュガー・マイノット、グレゴリー・アイザックス、時々はぼくに聞こえるように、愛を歌ってください。
去年はザ・バンドをよく聴いた。改めて、その魅力に気づき直したのです。リチャード・マニュエルはぼくにとって最もフェイバリットなシンガーとなりました。
年の暮れに、ザ・バンドに感謝の拍手。
3月に行ったボブ・ディランのライブで聴いたテックス・メックスみたいな「風に吹かれて」が忘れられない。
年の暮れに、ボブ・ディランに感謝の拍手。
ボブ・ディランは何かのインタビューに答えて、こう言っていた。アメリカ音楽の精髄を知りたければ、ウッディー・ガスリーやロバート・ジョンソンを聴くべきだと。ロバート・ジョンソンは何度も何度も数えきれなく聴いたけど、ウッディー・ガスリーはほとんど聴いたことがなく、奮発して"My Dusty Road"というCDボックス・セットを買ってしまった。半世紀前の白人の弾き語りブルースを聴けば、おいらも憧れの放浪するボブ・ディランで旅芸人。
年の暮れに、ウッディー・ガスリーに感謝の拍手。
ボビー・チャールズの最後のアルバム"Timeless"も良かったなぁ。臆することなく、ニューオーリンズへの愛が溢れていて。
年の暮れに、ボビー・チャールズに感謝の拍手。
"The Cheiftans featuring Ry Cooder 1847 AL HEROICO BATALLON DE SAN PATRICIO"というアルバムを良く聴いた。アイルランドの音楽大使チーフタンズとライ・クーダーが1846年から1848年までの間に起こったアメリカとメキシコの戦争を敗者のメキシコ人の視点から描いた、全てスペイン語で歌われるコンセプト・アルバムなのです。
年の暮れに、チーフタンズとライ・クーダーに感謝の拍手。
夜、乾いたぼくの心においしいお水となってくれたマイルス・デイビスらの古いセッションアルバムが4枚あって、"Cookin'"、"Relaxin"、"Workin"、"Steamin"は良く聴きました。
年の暮れに、このマラソン・スタジオ・セッションに参加して音を残してくれた、マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン、レッド・ガーランド、ポール・チェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズに感謝の拍手。
11月にとある六本木のバーで聴いた亡命チベット人シンガー、テチュンさんの暖かいけど、凛とした歌声が忘れられない。
年の暮れに、テチュンさんに感謝の拍手。
沖縄に住むブラジル音楽ギター奏者の笹子重治さんと色んな女性ボーカリスト(Ann Sallyさん、畠山美由紀さん、比屋定篤子さん、Yaeさん、EPOさん、桑江友子さん)が作ったアルバム"ONAKAIPPAI"も良く聴いた。ショーロなどの正調ブラジル音楽と日本語の楽曲が不思議に溶け合い、いい感じです。
年の暮れに、笹子重治さん、Ann Sallyさん、畠山美由紀さん、比屋定篤子さん、Yaeさん、EPOさん、桑江友子さんに感謝の拍手。
あと、身近な人の音楽もよく聴いていて、国立の居酒屋「猪口菜」で日本酒の澤乃井を飲みながら聴いた、スミちゃん、川久保くん、スガッツ、関根くんらのユニット、アンにはめげそうになりそうなところで力をもらった気がする。
年の暮れに、アンのみんなに感謝の拍手。
そのアンのスガッツがドラムスを叩くフル・スウィングというバンドのハモンド・オルガンのインスト音楽が気持ち良かった。「グルービング・アット・世田谷」というアルバム、密かな愛聴盤です。
年の暮れに、フル・スウィングのみんなに感謝の拍手。
友だちのシンガー、ミカネーとサックス吹き、もりぶくんを中心にピアノの本郷くんやベースの大竹くん、ドラムス、ピンチョス北原くんも参加して作った農をテーマにしたやまやまというバンドもおもしろくて、癒されたよ。彼らは観念の農業とか自然ではなくて、実際に農業を始めてしまって、実際に触れたその土や風や生きものやらの不思議な驚きに満ちていた気もする。
年の暮れに、やまやまのみんなに感謝の拍手。
毎月、ぼくが出させてもらっているスクール・オブ・ロックで出会ったオグリ昌也くんのブルースな自作自演の歌も心にしみたよ。特にスクール・オブ・ロックで聴いた「夜逃げ」という曲。
年の暮れに、オグリ昌也くんに感謝の拍手。
ぼくと言えば、仕事なく、金もなく、けれど何故か、弾き語りでいろんなところで歌っていたみたいです。
ありがとう。
浅川マキさん、ボビー・チャールズ、シュガー・マイノット、グレゴリー・アイザックス、時々はぼくに聞こえるように、愛を歌ってください。
去年はザ・バンドをよく聴いた。改めて、その魅力に気づき直したのです。リチャード・マニュエルはぼくにとって最もフェイバリットなシンガーとなりました。
年の暮れに、ザ・バンドに感謝の拍手。
3月に行ったボブ・ディランのライブで聴いたテックス・メックスみたいな「風に吹かれて」が忘れられない。
年の暮れに、ボブ・ディランに感謝の拍手。
ボブ・ディランは何かのインタビューに答えて、こう言っていた。アメリカ音楽の精髄を知りたければ、ウッディー・ガスリーやロバート・ジョンソンを聴くべきだと。ロバート・ジョンソンは何度も何度も数えきれなく聴いたけど、ウッディー・ガスリーはほとんど聴いたことがなく、奮発して"My Dusty Road"というCDボックス・セットを買ってしまった。半世紀前の白人の弾き語りブルースを聴けば、おいらも憧れの放浪するボブ・ディランで旅芸人。
年の暮れに、ウッディー・ガスリーに感謝の拍手。
ボビー・チャールズの最後のアルバム"Timeless"も良かったなぁ。臆することなく、ニューオーリンズへの愛が溢れていて。
年の暮れに、ボビー・チャールズに感謝の拍手。
"The Cheiftans featuring Ry Cooder 1847 AL HEROICO BATALLON DE SAN PATRICIO"というアルバムを良く聴いた。アイルランドの音楽大使チーフタンズとライ・クーダーが1846年から1848年までの間に起こったアメリカとメキシコの戦争を敗者のメキシコ人の視点から描いた、全てスペイン語で歌われるコンセプト・アルバムなのです。
年の暮れに、チーフタンズとライ・クーダーに感謝の拍手。
夜、乾いたぼくの心においしいお水となってくれたマイルス・デイビスらの古いセッションアルバムが4枚あって、"Cookin'"、"Relaxin"、"Workin"、"Steamin"は良く聴きました。
年の暮れに、このマラソン・スタジオ・セッションに参加して音を残してくれた、マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン、レッド・ガーランド、ポール・チェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズに感謝の拍手。
11月にとある六本木のバーで聴いた亡命チベット人シンガー、テチュンさんの暖かいけど、凛とした歌声が忘れられない。
年の暮れに、テチュンさんに感謝の拍手。
沖縄に住むブラジル音楽ギター奏者の笹子重治さんと色んな女性ボーカリスト(Ann Sallyさん、畠山美由紀さん、比屋定篤子さん、Yaeさん、EPOさん、桑江友子さん)が作ったアルバム"ONAKAIPPAI"も良く聴いた。ショーロなどの正調ブラジル音楽と日本語の楽曲が不思議に溶け合い、いい感じです。
年の暮れに、笹子重治さん、Ann Sallyさん、畠山美由紀さん、比屋定篤子さん、Yaeさん、EPOさん、桑江友子さんに感謝の拍手。
あと、身近な人の音楽もよく聴いていて、国立の居酒屋「猪口菜」で日本酒の澤乃井を飲みながら聴いた、スミちゃん、川久保くん、スガッツ、関根くんらのユニット、アンにはめげそうになりそうなところで力をもらった気がする。
年の暮れに、アンのみんなに感謝の拍手。
そのアンのスガッツがドラムスを叩くフル・スウィングというバンドのハモンド・オルガンのインスト音楽が気持ち良かった。「グルービング・アット・世田谷」というアルバム、密かな愛聴盤です。
年の暮れに、フル・スウィングのみんなに感謝の拍手。
友だちのシンガー、ミカネーとサックス吹き、もりぶくんを中心にピアノの本郷くんやベースの大竹くん、ドラムス、ピンチョス北原くんも参加して作った農をテーマにしたやまやまというバンドもおもしろくて、癒されたよ。彼らは観念の農業とか自然ではなくて、実際に農業を始めてしまって、実際に触れたその土や風や生きものやらの不思議な驚きに満ちていた気もする。
年の暮れに、やまやまのみんなに感謝の拍手。
毎月、ぼくが出させてもらっているスクール・オブ・ロックで出会ったオグリ昌也くんのブルースな自作自演の歌も心にしみたよ。特にスクール・オブ・ロックで聴いた「夜逃げ」という曲。
年の暮れに、オグリ昌也くんに感謝の拍手。
ぼくと言えば、仕事なく、金もなく、けれど何故か、弾き語りでいろんなところで歌っていたみたいです。
ありがとう。