えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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相模大野のオーディオ居酒屋アコパで野澤享司さんの歌とギターを聴きました。ものすごく良かったです。ギターは信じられないぐらい超絶で、ひょうひょうとした、すっきりした、けれど朴訥でもある歌がからみます。どこか仙人みたいな人で、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアってこんな人なのかなとも思いました。

今は田舎で農業をしながらギターを弾いて歌を歌う旅に出ているそうだけど、震災後一年間はショックで畑仕事もせず、ライブもキャンセルし、何もしない日々がつづいたとか。そして、放射能が気になり、最近、畑の土を全部入れかえたとも言っていました。震災のことはショックが大きすぎて、歌いたくてもまだ歌えないと言っておりました。

ぼくの歌を、やっぱパンクが入っているね、と言ってくれたのはうれしかった。

どこか、憧れてしまうような人です。また、どこかで享司さんの歌を聞きたいな。

あっ、ギターのフィンガー・ピッキングの練習しよっと。
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こんな夢を見た。ぼくは、太陽がおかしな沈み方をするとき、大変なことが起きるのかもしれない、と思っている。会社帰りの夕方、ぼくは小田急線のロマンスカーに乗っているのだが、多摩川を越える時、多摩川は大きな湖になっていて、そこで、太陽はまさに沈もうとしている。太陽は湖の水平線を並行に移動してから沈む。おかしいと思うと、その多摩川の水が溢れだし、ぼくの乗っているロマンスカーに後ろから迫ってくる。ぼくは、鞄の中をさぐりダンベルのようなものを見つけ、もしもの時はこれで窓ガラスを壊して外に逃げなくては、と考える。猛然と水は後方からロマンスカーに迫り、ロマンスカーも逃れようとスピードを見たことのない速さまでに上げていく。押し寄せる津波のような、滝のような水とぼくの乗っているロマンスカーとの追いかけっこになっている。

そこで目がさめた。世界の終りの正夢には、今のところ、なっていないようです。
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アコースティック・パフォーマンス・コレクション(通称:アコパ)で歌いますよ。タイバンは野澤享司さん、二面楚歌さん、Sing-るさんです。野澤享司さんはいろんなオープン・チューニングを駆使するギターの魔術師みたいな人。シド・バレットのブラザーとも呼ばれていらしいです。そして、アコパは音のすごくいいフォーク系の洋風の居酒屋さんです。とても安くて、おいしいです。

http://www2.tbb.t-com.ne.jp/acoper/index.html
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熊本大学の先生、小松裕先生の著した「真の文明は人を殺さず 田中正造の言葉に学ぶ明日の日本」を読みました。田中正造さんは明治時代の足尾鉱毒事件で獅子奮迅して戦った人です。良かったです。特に第六章「自然との共生に学ぶ」と第七章「公共思想に学ぶ」で引用された田中正造の言葉は明日の世界への羅針盤であり、道でもあるように思えました。ぼくもここで素晴らしい田中正造の言葉を引用します。

「真の文明は
山を荒らさず
川を荒らさず
村を破らず
人を殺さざるべし」

この前の震災で足尾銅山の鉱毒は百年の時を越えて川に流れだしたといいます。こわい。何かを変えなきゃいけない。









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損保ジャパン東郷青児美術館で「アントワープ王立美術館所蔵 ジェームズ・アンソール -写実と幻想の系譜-」と題された展覧会を見る。ジェームズ・アンソールはぼくの好きな奇っ怪なヨーロッパの絵描きなのだけど、今回の展覧会では、そのような奇っ怪な、例えば、骸骨や仮面や群衆を描いた絵はそれほど多くは見られず、むしろ、その前段階の写実的な絵の方が多く展示されていた。しかし、そんな写実的な画にも少しの怪しげな色使いはあるものだけど、ぼくの印象ではある日のある夜、アンソールはシュール・レアリズムの祖となるような絵を描きはじめたらしいのだ。

芸術家と狂気のようなことを思い浮かべてしまう。骸骨や仮面の舞踏会やそれらで街をうめつくす群衆が空からアンソールの頭に、心に下りてきたのだろうか? ぼくのもっとも見たかったのは「キリストのブリュッセル入場」なのだけど、この展覧会では展示されていなかったのは残念ではあった。昔、東京都庭園美術館で見たことがあったのだけど、もう一度見てみたい。ピクチャーはその絵です。おやすみZZZzzz.....

http://www.nhk-p.co.jp/tenran/20120414_130813.html
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こんな夢を見た。ぼくはある大事なお客さまをつれて家に帰ってくる。すると家に去年、死んだはずの犬、レオがいる。レオが帰ってきたんだと思い、父と母のところに行き、レオが帰って来ているよと呼びかける。父と母もレオののところに来て、あー、帰ってきたんだねーと言う。レオはお客さまにもしっぽをふって、うれしそうに挨拶をする。けれども、ちょっと目を離したすきにレオは見当たらなくなる。ぼくはレオのいなくなった庭を眺める。やっぱ、また、レオはいなくなったんだと思う。ぼくはあの日のように嗚咽して泣いている。

そこで、目がさめた。レオが死んでからもうそろそろ一年かぁ。ところで、不思議なことにこの夢に出てきた大事なお客さまとは、誰なのか思い出せないのです。誰なのでしょう?
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作家であり詩人である辺見庸さんの「瓦礫の中から言葉を わたしの<死者>へ」を読む。この前の震災で壊滅状態となった宮城県石巻市出身の詩人は、この散文集の中で3・11論ならぬ、3・11後論を立て、例えば、それ以降の日本の中の言葉はむしろ自由が狭められてはいないか、と問いていて、軽くなってしまって何も語らなくなった日本人とその言葉に疑問を投げかけている。そして、本当の言葉とは何かを求めようとしている。

少し前に辺見さんはNHK製作のドキュメンタリーに出演していて、その中で石巻のことを語り、詩人にとっての石巻は荒くれた漁師町で、石巻のことをやさしいとか美しかったとか言ってほしくない、むしろ、おっかない町だったと言って欲しい、と語っていて、詩人は生臭くすえた港にまとわりつくの魚の匂いやら魚のせりの時の怒声やら祭りの時の喧嘩のことやらを思い出すらしく、そんな彼に、ぼくは、なるほどとも思ったのだった。

例えば、近頃、聞こえてくる歌も何も歌ってはいなく、何も歌われなくなってはいないか、と音楽好きのぼくは思ってしまう。そんな歌は、聞かなければいいだけのことかもしれないけれど、この本は、忌野清志郎とほぼ同じ年代の兄貴である辺見庸さんからの、ブルースは忘れない方がいい、そして、ブルースによって重い錨を深く下ろし、本当のこと歌わなくてはならない、本当のことを探求すべきだ、というメッセージであると感じた。この本に引用された宮澤賢治の本当の言葉、詩「眼にて云う」をここでも引用しつつ、ぼくはこんな本を書いた同時代の詩人にレスペクトとエールを送ります。おやすみZZZzzz.....

血が出ているにかかわらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですから
ただどうも血のために
それを云えないがひどいです
あなたの方からみたら
ずいぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。











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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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