えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
きみは赤い月は見たかい?ぼくは会社帰り近所の公園で月が欠けていき赤くなるのをずっと見ていたんだ。今夜はSun Raの"Moonship JourneyでおやすみZZZzzz.....
野坂昭如の「戦争童話集」を読了した。野坂さん、やさしすぎるよ。喫茶店や通勤電車の中で読んでるさいちゅう、うぇーんって泣き出しそうになってしまった。
そういえば、「おもちゃのチャチャチャ」って野坂さんの作詞なんだね。この歌もやさしいなぁ。
そういえば、「おもちゃのチャチャチャ」って野坂さんの作詞なんだね。この歌もやさしいなぁ。
こんな夢を見た。ぼくはある人の家にいる。その家は平屋の一軒家で小さな庭にぼくが乗って来た自転車が停めてある。こんなにぼくの家から近い所にあったかしらと思う。その家でその人の持ち物であるCDをいっしょに紅茶を飲みながら聴いている。聞こえてくる音楽のジャンルはレゲエやラテン、シャンソン。その人は、えいちゃんはわたしと近いうちに暮らすんだよ、と言う。ぼくは、困ったな、近いうちっていつからなんだろう、と思う。しばらくして、ぼくはぼくの自転車に乗り自分の家に帰っている。家でぼんやりしながらぼくは思いつく。着の身着のまま、あの人の家に行き、暮らし始めればいいんだ。そうだ、そうしよう、今度の月曜日からはあそこから会社に行けばいいんだ、と思う。
そこで目が覚めた。なんともあったかい夢でしたな。冬の真っ最中に木や草は芽を出し花を咲かす準備を雪の下ではしているんだよ。冬が去り、ぼくも、どこかに移っていくみたいな春の季節が、きっと近いんだな。そこでは、Alton Ellisを聴きながら、花咲く庭のある午後の陽だまりとなった小さな家の小さな部屋で紅茶を飲むんだよ。
そこで目が覚めた。なんともあったかい夢でしたな。冬の真っ最中に木や草は芽を出し花を咲かす準備を雪の下ではしているんだよ。冬が去り、ぼくも、どこかに移っていくみたいな春の季節が、きっと近いんだな。そこでは、Alton Ellisを聴きながら、花咲く庭のある午後の陽だまりとなった小さな家の小さな部屋で紅茶を飲むんだよ。
この前の日曜日の午前中は休日出勤だったのだけれども、午後から相模大野の音楽のある酒場、アコパの大人の遠足に合流ということで鎌倉の方へ行きました。高徳院の大仏さまを御拝観し、江ノ電で江ノ島までガタゴト揺られ、江の島を散歩。海がきれいだった。みんなでブラブラ歩き、楽しかった。江島神社で御神籤をひいたら「大吉」だったよ。
「おみくじ 江島神社
運勢 大吉
なにをしても幸運のもとになります。自分の仕事に熱中する事です。自分勝手なことをしたり色や酒におぼれることはいけません。
題20番
「言」 無益の句なる一千語よりも、聞きて安隠を得る一つの益ある句を勝れたりとす。」
この御神籤を読みながら、音楽は仕事ではないけれど、音楽はぼくの人生になってしまったとすら思ったよ。またどっかにほっつき歩いて歌いに行こう。それが一番いいのさ。
そして、これはぼくの尊敬する大好きなミュージシャン、細野晴臣さんがある本の中で締めくくりに書いておられた言葉。
ゆめゆめうたがふことなかれ
東京都写真美術館へ「生誕100年 ユージン・スミス写真展」を見に行きました。所謂。報道写真から出発し、ラストに「水俣」を発表したこの写真家の根底にあったのは、ありのままを写真に撮ることと、ヒューマニティ。
ぼくは、膨大な彼の写真によるルポルタージュの中でも特にいいと思ったのは、アメリカ南部の町医者を撮った「カントリー・ドクター」やこれもアメリカ南部の助産師を撮った「助産師モード」のシリーズ。そして、「楽園への歩み」や「アンドレア・ドリア号の生存者を待つ」の美しすぎる一枚。
一枚一枚の写真が一期一会であるように思え、その一度きりに撮られた写真が人々の心を揺り動かし、世界の光の色すらも変えることがあるのではないかしら? その一度きりの奇蹟のよぷような出会いを求め、カメラを持って、ユージンは世界中をいつまでも旅をした。
生誕100年 ユージン・スミス写真展
http://www.crevis.co.jp/exhibitions/exhibitions_084.html
生誕100年 ユージン・スミス写真展
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2927.html
西部邁さんが入水自殺という。たまにテレビで西部邁さんの語る「伝統」とか「日本」とかに、しゃらくさい、そんなこと、おいらは知らねーよ、ぐらいに思うこともあった。
昔、CSの朝日ニューススターで放送されていた番組「西部邁・佐高信の学問のすゝめ」はおもしろくて、よく見ていた。リベラルの論客、佐高信と保守の論客、西部邁が思想を語り合うというような内容で、毎週、思想家やら本やら映画を一つ決めて、論じ合っていた。論争するというより、佐高さんが西部さんの聞き役にまわっていたな。なんか漫才のボケとツッコミみたいで、以外に二人はとても仲が良さそうだった。ある回では南アフリカのアパルトヘイトに抵抗したネルソン・マンデーラを描いた映画「インビクタス/負けざる者たち」を取り上げて、西部さんは、人権について、そして、人種差別がいかにヒューマニティに反する最悪なことであるかを熱く語っていた。
佐高信さんが西部邁さんの思い出話を書いています。この二人、どこか通じ合う友情もあったのかな?
論敵なのに嫌いな人間は同じだった西部邁
昔、CSの朝日ニューススターで放送されていた番組「西部邁・佐高信の学問のすゝめ」はおもしろくて、よく見ていた。リベラルの論客、佐高信と保守の論客、西部邁が思想を語り合うというような内容で、毎週、思想家やら本やら映画を一つ決めて、論じ合っていた。論争するというより、佐高さんが西部さんの聞き役にまわっていたな。なんか漫才のボケとツッコミみたいで、以外に二人はとても仲が良さそうだった。ある回では南アフリカのアパルトヘイトに抵抗したネルソン・マンデーラを描いた映画「インビクタス/負けざる者たち」を取り上げて、西部さんは、人権について、そして、人種差別がいかにヒューマニティに反する最悪なことであるかを熱く語っていた。
佐高信さんが西部邁さんの思い出話を書いています。この二人、どこか通じ合う友情もあったのかな?
論敵なのに嫌いな人間は同じだった西部邁
こんな夢を見た。とあるもう閉店してしまったバーの前を通り過ぎると、なにやら人の気配がして、店は開いているよう。ぼくはバーの中に入っていく。そこにはバーのマスターがいて、真っ白いダブダブのスーツを着て、ニコニコと笑いながら、四匹の小さな犬とともに写真撮影をしている。ジョン・レノンの「ウェディング・アルバム」の白いスーツをダブダブにしたスーツがマスターにとても似合っているし、何よりも犬たちががかわいい。なんて楽しそうなんだろうとその姿をぼくは見ている。
そこで目が覚めた。あまりにバーのマスターが幸せそうで、ぼくは見ているだけで、声もかけられなかったのです。けれど、いつか、白いスーツをぼくも着て、ぼくもかわいい犬たちと記念撮影をするでしょう。ところで、「ウェディング・アルバム」のCDのボーナス・トラックだったり、"Happy Christmas"のアナログ・シングル盤のB面だったりするオノ・ヨーコの「リッスン、ザ・スノウ・イズ・フォーリング (ほら、聞いてごらん、雪が降っているよ)」はいいなぁ。
そこで目が覚めた。あまりにバーのマスターが幸せそうで、ぼくは見ているだけで、声もかけられなかったのです。けれど、いつか、白いスーツをぼくも着て、ぼくもかわいい犬たちと記念撮影をするでしょう。ところで、「ウェディング・アルバム」のCDのボーナス・トラックだったり、"Happy Christmas"のアナログ・シングル盤のB面だったりするオノ・ヨーコの「リッスン、ザ・スノウ・イズ・フォーリング (ほら、聞いてごらん、雪が降っているよ)」はいいなぁ。