えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ

この前の日曜日の午前中は休日出勤だったのだけれども、午後から相模大野の音楽のある酒場、アコパの大人の遠足に合流ということで鎌倉の方へ行きました。高徳院の大仏さまを御拝観し、江ノ電で江ノ島までガタゴト揺られ、江の島を散歩。海がきれいだった。みんなでブラブラ歩き、楽しかった。江島神社で御神籤をひいたら「大吉」だったよ。
「おみくじ 江島神社
運勢 大吉
なにをしても幸運のもとになります。自分の仕事に熱中する事です。自分勝手なことをしたり色や酒におぼれることはいけません。
題20番
「言」 無益の句なる一千語よりも、聞きて安隠を得る一つの益ある句を勝れたりとす。」
この御神籤を読みながら、音楽は仕事ではないけれど、音楽はぼくの人生になってしまったとすら思ったよ。またどっかにほっつき歩いて歌いに行こう。それが一番いいのさ。
そして、これはぼくの尊敬する大好きなミュージシャン、細野晴臣さんがある本の中で締めくくりに書いておられた言葉。
ゆめゆめうたがふことなかれ


東京都写真美術館へ「生誕100年 ユージン・スミス写真展」を見に行きました。所謂。報道写真から出発し、ラストに「水俣」を発表したこの写真家の根底にあったのは、ありのままを写真に撮ることと、ヒューマニティ。
ぼくは、膨大な彼の写真によるルポルタージュの中でも特にいいと思ったのは、アメリカ南部の町医者を撮った「カントリー・ドクター」やこれもアメリカ南部の助産師を撮った「助産師モード」のシリーズ。そして、「楽園への歩み」や「アンドレア・ドリア号の生存者を待つ」の美しすぎる一枚。
一枚一枚の写真が一期一会であるように思え、その一度きりに撮られた写真が人々の心を揺り動かし、世界の光の色すらも変えることがあるのではないかしら? その一度きりの奇蹟のよぷような出会いを求め、カメラを持って、ユージンは世界中をいつまでも旅をした。
生誕100年 ユージン・スミス写真展
http://www.crevis.co.jp/exhibitions/exhibitions_084.html
生誕100年 ユージン・スミス写真展
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2927.html


西部邁さんが入水自殺という。たまにテレビで西部邁さんの語る「伝統」とか「日本」とかに、しゃらくさい、そんなこと、おいらは知らねーよ、ぐらいに思うこともあった。
昔、CSの朝日ニューススターで放送されていた番組「西部邁・佐高信の学問のすゝめ」はおもしろくて、よく見ていた。リベラルの論客、佐高信と保守の論客、西部邁が思想を語り合うというような内容で、毎週、思想家やら本やら映画を一つ決めて、論じ合っていた。論争するというより、佐高さんが西部さんの聞き役にまわっていたな。なんか漫才のボケとツッコミみたいで、以外に二人はとても仲が良さそうだった。ある回では南アフリカのアパルトヘイトに抵抗したネルソン・マンデーラを描いた映画「インビクタス/負けざる者たち」を取り上げて、西部さんは、人権について、そして、人種差別がいかにヒューマニティに反する最悪なことであるかを熱く語っていた。
佐高信さんが西部邁さんの思い出話を書いています。この二人、どこか通じ合う友情もあったのかな?
論敵なのに嫌いな人間は同じだった西部邁
昔、CSの朝日ニューススターで放送されていた番組「西部邁・佐高信の学問のすゝめ」はおもしろくて、よく見ていた。リベラルの論客、佐高信と保守の論客、西部邁が思想を語り合うというような内容で、毎週、思想家やら本やら映画を一つ決めて、論じ合っていた。論争するというより、佐高さんが西部さんの聞き役にまわっていたな。なんか漫才のボケとツッコミみたいで、以外に二人はとても仲が良さそうだった。ある回では南アフリカのアパルトヘイトに抵抗したネルソン・マンデーラを描いた映画「インビクタス/負けざる者たち」を取り上げて、西部さんは、人権について、そして、人種差別がいかにヒューマニティに反する最悪なことであるかを熱く語っていた。
佐高信さんが西部邁さんの思い出話を書いています。この二人、どこか通じ合う友情もあったのかな?
論敵なのに嫌いな人間は同じだった西部邁


こんな夢を見た。とあるもう閉店してしまったバーの前を通り過ぎると、なにやら人の気配がして、店は開いているよう。ぼくはバーの中に入っていく。そこにはバーのマスターがいて、真っ白いダブダブのスーツを着て、ニコニコと笑いながら、四匹の小さな犬とともに写真撮影をしている。ジョン・レノンの「ウェディング・アルバム」の白いスーツをダブダブにしたスーツがマスターにとても似合っているし、何よりも犬たちががかわいい。なんて楽しそうなんだろうとその姿をぼくは見ている。
そこで目が覚めた。あまりにバーのマスターが幸せそうで、ぼくは見ているだけで、声もかけられなかったのです。けれど、いつか、白いスーツをぼくも着て、ぼくもかわいい犬たちと記念撮影をするでしょう。ところで、「ウェディング・アルバム」のCDのボーナス・トラックだったり、"Happy Christmas"のアナログ・シングル盤のB面だったりするオノ・ヨーコの「リッスン、ザ・スノウ・イズ・フォーリング (ほら、聞いてごらん、雪が降っているよ)」はいいなぁ。
そこで目が覚めた。あまりにバーのマスターが幸せそうで、ぼくは見ているだけで、声もかけられなかったのです。けれど、いつか、白いスーツをぼくも着て、ぼくもかわいい犬たちと記念撮影をするでしょう。ところで、「ウェディング・アルバム」のCDのボーナス・トラックだったり、"Happy Christmas"のアナログ・シングル盤のB面だったりするオノ・ヨーコの「リッスン、ザ・スノウ・イズ・フォーリング (ほら、聞いてごらん、雪が降っているよ)」はいいなぁ。


年があけけてしばらくしたらずっと風邪っぴきで調子悪かったのだけど、映画を見に行きました。それは気になっていたドロタ・コビエラ監督の「ゴッホ 最期の手紙」。
黒澤明監督のオムニバス映画「夢」の中の一篇「鴉」を思い出した。「夢」は黒澤明の見た夢を映画にした短編集で、「鴉」では黒澤明がゴッホの絵の中に入り込み、ゴッホに出会うというものだった。ゴッホを演じているのはアメリカの巨匠監督・マーチン・スコセッシだったのだけれど、耳を切り落としたゴッホが、どうして描かずにいられるのか、すべては素晴らしいと言い、油絵の具をキャンバスに塗りつけるのだった。
「ゴッホ 最期の手紙」では更に進化し、観客はゴッホの絵の中に入り込み、フランスのオーヴェールをゴッホの死を巡る謎解きの旅をすることになる。感動しました。ぼくは美術館で絵を見るのが好きで、いろんな絵を見たきて、たくさんの美しい絵に出会ったのだけれど、ゴッホの絵には美しさを越えた何かすらあると思う。この映画でゴッホの絵の美しさすら超えた何かも、その死も謎であるまま残ったのだけれど、エンドロールを見ながら、その死を悼み、泣いてしまったのだった。
ゴッホ~最期の手紙~


堀沢麻衣子さんと司拓哉さんの著した「1日で感動的に声がよくなる!歌もうまくなる!!」を読んだ。ボイス・トレーナーの言うことはみんな似かよっていて、あとは実践あるのみかもしれないけれど、ぼくはうまくなるというよりも自分らしい、ぼくにしか歌えないような歌を歌いたいと近ごろは思うのだった。
アメリカやイギリスにはサム・クックとかオーティス・レディングとかミック・ジャガー、ジム・モリソン、ジョン・レノンとポール・マッカートニージャマイカにはアルトン・エリス、トゥーツ・ヒバート、ブラジルにカルト―ラ、ジョアン・ジルベルト、ブルースの世界にロバート・ジョンソン、いろんなぼくの好きなシンガーがいるけれど、みんな違っていて、けれども、みんなその人らしい歌を歌っているではないか。負け惜しみかもしれないけれど、うまいというよりも、その人らしい歌を聴きたいし、ぼくも真似ではないぼくの歌を歌いたいのです。過程で真似もしてみるけれど、やっぱぼく自身ということだと思う。
そうだ、オーティスの名唱を聴きましょう。元気になるよ。すばらしい。おやすみZZZzzz.....
アメリカやイギリスにはサム・クックとかオーティス・レディングとかミック・ジャガー、ジム・モリソン、ジョン・レノンとポール・マッカートニージャマイカにはアルトン・エリス、トゥーツ・ヒバート、ブラジルにカルト―ラ、ジョアン・ジルベルト、ブルースの世界にロバート・ジョンソン、いろんなぼくの好きなシンガーがいるけれど、みんな違っていて、けれども、みんなその人らしい歌を歌っているではないか。負け惜しみかもしれないけれど、うまいというよりも、その人らしい歌を聴きたいし、ぼくも真似ではないぼくの歌を歌いたいのです。過程で真似もしてみるけれど、やっぱぼく自身ということだと思う。
そうだ、オーティスの名唱を聴きましょう。元気になるよ。すばらしい。おやすみZZZzzz.....


風邪でうなされつつ、内田樹さんの著した「街場の天皇論」を読んだ。今は休刊となった「Sight」という雑誌があったころ、高橋源一郎さんと内田樹さんお対談がおもしろく、楽しみに読んでいたのを思い出す。ある号では二人は皇室こそもっとも強力な平和と民主主義を守護する勢力ではあるまいかと、論じていたのだけど、その論の様々なヴァリ―エーションが一冊の本になり、平成の終焉も近しくなり、上梓された。
多分、内田さんが、今、最も書きたかったのはこの本の終章「「日本的状況を見くびらない」ということ―あとがきにかえて」ではなかろう? ここにはとても怖いような彗眼があるように思われる。ぼくたちは死者たちの立ち上がる姿を何度も見てきたけれど、再びその姿に畏怖するのではなかろうか?
多分、内田さんが、今、最も書きたかったのはこの本の終章「「日本的状況を見くびらない」ということ―あとがきにかえて」ではなかろう? ここにはとても怖いような彗眼があるように思われる。ぼくたちは死者たちの立ち上がる姿を何度も見てきたけれど、再びその姿に畏怖するのではなかろうか?


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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。


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