えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
たまに会社帰りに寄ってしまうわが家の最寄り駅近くにあるチェーンの居酒屋に今夜、いつものようにぶらっと入ってみたのだが、何か違う。何が違うかはすぐに気づいたのだけれど、BGMにかかっているいつもの音楽がオールドジャズではなく、がちゃがちゃしたJ-POPに変わっていた。ぼくはこのお店で日本酒を飲みながら聞くオールドジャズが好きだったし、オールドジャズを聴きながらこの店で飲む日本酒が好きだったともいえる。オールドジャズとは何か? それはビバップ以前のジャズで日本ではスウィングとも呼ばれるデューク・エリントン、カウント・ベイシー、ベニー・グッドマン、ライオネル・ハンプトンらのジャズ。ふらっと帰りに立ち寄り、それらを聞きながら飲む酒と肴にぼくは癒されていた。お店を出れば、後はてくてく歩いて家に帰るだけ。
ぼくの顔を憶えていてくれて、声をかけてくれていた気さくな店長もいなくなり、ぼくに注文を聞きにきてくれたかわいいあの娘ももういなくなってしまった。寂しいね。諸行無常だな。いつかはやってくる、この店から立ち去る時が来たのかな? ぼくの家の近くに、誰か、いい居酒屋を知っていたなら教えてね。どんなBGMがかかっているかも忘れずに。なるべくぼくの家から歩いて20分以内。探そうかな? 小さな傷心のうちに、いい夢を見れますように、おやすみZZZzzz.....
ぼくの顔を憶えていてくれて、声をかけてくれていた気さくな店長もいなくなり、ぼくに注文を聞きにきてくれたかわいいあの娘ももういなくなってしまった。寂しいね。諸行無常だな。いつかはやってくる、この店から立ち去る時が来たのかな? ぼくの家の近くに、誰か、いい居酒屋を知っていたなら教えてね。どんなBGMがかかっているかも忘れずに。なるべくぼくの家から歩いて20分以内。探そうかな? 小さな傷心のうちに、いい夢を見れますように、おやすみZZZzzz.....
星野道夫さんの著した「旅をする木」を読んだ。読みながら、以前、読んだH.D. ソローの古典的名著「森の生活」を思い出していた。美しい自然を表すには美しい文体が必要になって、H.D. ソローと同じように星野さんの文は美しく、それは、アラスカを終の棲家とした写真家の目と心が、その大きな自然によって育まれたためのものだろうか。星野さんについて意外なことを、この本から知った。星野さんは、自然保護とか、動物愛護という言葉には何も魅かれたことはなかった、と書いていて、アラスカのエスキモーたちをクジラ漁を同伴し、その目で見て、こう感想をもらす。
「何よりもうたれたのは、彼らが殺すクジラに対する神聖な気持ちだった。解体の前の祈り、そして最後に残された頭骨を海に返す儀式・・・・・・それはクジラ漁にとどまらず、カリブーやムースの狩猟でも、さまざまな形で人々との自然との関りを垣間見ることができた」
そうか、自然は保護するものではなく、動物は愛護するものでもないのか。ぼくはそこから畏敬とか畏怖という言葉を思い出してしまう。星野さんはアラスカの野生のテントの中で野生そのものでもあるかのようなクマによって天に召されたのだけれども、この本のタイトルとなった「旅をする木」では、ぼくは命の始まりとその終わりから、再びの始まりすらも感じ、考えてしまう。
アラスカに行ってみたいなぁ。今夜はオーロラの夢を見ます。おやすみZZZzzz.....
旅をする木 感想 星野 道夫 - 読書メーター
星野道夫公式サイト
こんな夢を見た。ぼくはどこかの研究所のような所にいる。その研究所に大きな庭が広がっており、岩場の自然が再現されている。岩場には黒いウサギの産んだらしい小さな子どものウサギが六頭いて、黒から薄い茶色までいろんな色をしていて、遊んでいる。かたや一頭のトカゲがいて、頭をもたげた。子どものウサギたちは危険を察して、岩と岩の間の巣穴に身を隠す。トカゲはのっそりと歩き始め、その巣穴に近づいて行く。ぼくはウサギが危ないと思い、近くにあった新聞紙を丸めて、そのトカゲの気をそらそうと投げつける。トカゲはウサギの巣の近くまで行ってしまうけれど、その穴の小ささにあきらめ離れていく。しばらくトカゲはじっと動かないままだったけれど、再び頭をもたげ、子ウサギたちの巣の方を見る。ぼくはウサギたちを守らなくてはと思い、新聞紙をまるめて石つぶてを作り投げつける。
そこで目が覚めた。子どもの見るような動物の夢を見てしまったよ。ウサギもトカゲも好きな動物でかわいいと思ってしまう。そして、新聞紙をまるめて作った石つぶてとは、ぼくの歌う歌のことではないかとも思う。新聞紙には言葉が書いてあるじゃないか。ぼくのまるめた新聞紙には美しい詩が書かれていて、それが詞になり、歌われるんだ。また、どこかでいつか、ぼくの歌を聞いておくれ。そう、夢に出てくるウサギもトカゲもよい知らせ、吉兆なのだそうだよ。
そこで目が覚めた。子どもの見るような動物の夢を見てしまったよ。ウサギもトカゲも好きな動物でかわいいと思ってしまう。そして、新聞紙をまるめて作った石つぶてとは、ぼくの歌う歌のことではないかとも思う。新聞紙には言葉が書いてあるじゃないか。ぼくのまるめた新聞紙には美しい詩が書かれていて、それが詞になり、歌われるんだ。また、どこかでいつか、ぼくの歌を聞いておくれ。そう、夢に出てくるウサギもトカゲもよい知らせ、吉兆なのだそうだよ。
こんな夢を見た。ぼくが長い坂を自転車で下っていくと、そこには電車の単線の線路の踏切があり、それを渡ると小さな街がある。線路わきに自転車を駐車し、しばらく街を散策し、小さな公民館らしきところに、ぼくは入っていく。その公民館には、ぼくの古友だちがたくさん集まっていて、小さな舞台らしきものもしつらえてあって、一人一曲づつ順番を回すコンサート、いわゆるオープンマイクだろうか、それらしきものが開かれている。その舞台に死んだ友だちが上がり、この曲は、弾けないからと言い、アカペラでブルースの"In the Evening (When The Sun Goes Down)"を歌い始める。死んだ友だちは完璧に歌がうまく、ぼくは聞き惚れる。しかし、困ったことに"In the EveningIn the Evening (When The Sun Goes Down)"は、ぼくが歌おうと思っていた曲と同じで、かぶってしまっているのだ。ぼくの番が回ってきて、ぼくは仕方ないと思い、同じ"In the Evening (When The Sun Goes Down)"を、ドブロタイプのリゾネーターギターでスライドバーを左指にはめ、弦の上をすべらせ、弾き、歌い始める。ぼくの歌も決してうまくはないけれど、味があっていいような気がする。ふと左の方を見ると、かたわらで、さっき同じ歌を歌っていた死んだ友だちが、グレッチのエレキギターで伴奏をしてくれている。
そこで目が覚めた。なんとなくブルーな夢だったな。それもいいんじゃないんでしょうか。昔、そんなシーンがきっとたくさんあったのだよ。だから、ぼくは"In the Evening (When The Sun Goes Down)"を訳さずにはおれまい。意訳してみました。
♪♪♪
夕方になるとお日様が沈んでいく
夕方になるとお日様が沈んでいく
なんて寂しんだ あの娘がどこにもいなくて お日様がゆっくり沈んでいくよ
昨日の晩は考えごとでひとつも眠れなかった
昨日の夜はあれこれ思って眠れやしない
誰かにこんなひどい仕打ちをしたことがあるだろうか お日様が沈むそんな夕刻に
お日様は東から登り 西に沈んでいきます
あー お日様が東から登り 西に沈んでいきます
語るに語れないあの娘とのばかな話さ
さようなら 恋した人よ 友だちよ おれはどこかに行ってしまう
だけど ある昔みたいな雨の日にもどってくるぜ
お日様の沈んでいく こんな時に♪♪♪
そこで目が覚めた。なんとなくブルーな夢だったな。それもいいんじゃないんでしょうか。昔、そんなシーンがきっとたくさんあったのだよ。だから、ぼくは"In the Evening (When The Sun Goes Down)"を訳さずにはおれまい。意訳してみました。
♪♪♪
夕方になるとお日様が沈んでいく
夕方になるとお日様が沈んでいく
なんて寂しんだ あの娘がどこにもいなくて お日様がゆっくり沈んでいくよ
昨日の晩は考えごとでひとつも眠れなかった
昨日の夜はあれこれ思って眠れやしない
誰かにこんなひどい仕打ちをしたことがあるだろうか お日様が沈むそんな夕刻に
お日様は東から登り 西に沈んでいきます
あー お日様が東から登り 西に沈んでいきます
語るに語れないあの娘とのばかな話さ
さようなら 恋した人よ 友だちよ おれはどこかに行ってしまう
だけど ある昔みたいな雨の日にもどってくるぜ
お日様の沈んでいく こんな時に♪♪♪
こんな夢を見た。ぼくは高校の教室に入って行く。そこには、これまでのぼくの人生において、学校や会社で出会ったいろんな人がいて、授業はやっておらず、がやがやと、みんな、おしゃべりをしている。ぼくは教室の真ん中あたりに移動し、席にこしかけ、Sly & The Family Stoneの"Hot Fun in the Summertime"を歌い始める。すると、隣の席にいた前の会社の後輩が、ぼくに、今度、グラウンドで野球の試合をするんっすよ、楽しいっすよ、来ませんか、と声をかけてくる。ぼくは、歌うのをやめて、野球の試合がされ、みんながボールを追いかけたり、バットで打ったり、声援をとばしたりしている光景を思い浮かべ、楽しそうだな、と微笑んでいる。
そこで目が覚めた。なんでもないようないい夢なのです。ぼくが夢の中、鼻歌、歌っていたSly & The Family Stoneの"Hot Fun in the Summertime"ってこんな曲です。
意訳してみました。
♪♪♪
春もおわるころ
彼女はここにもどってくる
夏がやってきて
夏がつづくのさ
またここで
楽しもうよ
夏がやってきて
夏がつづくのさ
こんな最高に楽しい時が欲しかったの
学校から外に飛び出すのさ
お日さまはだれもえこひいきしないよ
すべてはかっこよくってさ
夏休みって楽しいよ
夏休みって楽しいよ
夏休みって楽しいよ
夏休みって楽しいよ
秋の訪れると夏もおわって
彼女のさよならといって行ってしまうけれど
夏がやってきて
夏がつづくのさ
こんな最高に楽しい時が欲しかったの
学校から外に飛び出すのさ
お日さまはだれもえこひいきしないよ
すべてはかっこよくってさ
夏休みって楽しいよ
夏休みって楽しいよ
夏休みって楽しいよ
夏休みって楽しいよ♪♪♪
これから冬が来る、そんな季節なのに、ぼくの心は暖かくなっていくよ。そうか、学校から飛び出すのか! 飛び出そうぜ!
そこで目が覚めた。なんでもないようないい夢なのです。ぼくが夢の中、鼻歌、歌っていたSly & The Family Stoneの"Hot Fun in the Summertime"ってこんな曲です。
意訳してみました。
♪♪♪
春もおわるころ
彼女はここにもどってくる
夏がやってきて
夏がつづくのさ
またここで
楽しもうよ
夏がやってきて
夏がつづくのさ
こんな最高に楽しい時が欲しかったの
学校から外に飛び出すのさ
お日さまはだれもえこひいきしないよ
すべてはかっこよくってさ
夏休みって楽しいよ
夏休みって楽しいよ
夏休みって楽しいよ
夏休みって楽しいよ
秋の訪れると夏もおわって
彼女のさよならといって行ってしまうけれど
夏がやってきて
夏がつづくのさ
こんな最高に楽しい時が欲しかったの
学校から外に飛び出すのさ
お日さまはだれもえこひいきしないよ
すべてはかっこよくってさ
夏休みって楽しいよ
夏休みって楽しいよ
夏休みって楽しいよ
夏休みって楽しいよ♪♪♪
これから冬が来る、そんな季節なのに、ぼくの心は暖かくなっていくよ。そうか、学校から飛び出すのか! 飛び出そうぜ!
こんな素敵な居酒屋がJR横浜線の鴨居駅の近くにあるのなんて知らなかった。「鳥みき」です。日本酒の種類が豊富で銘酒ぞろい、鳥や魚の肴がおいしく、にぎわっております。
入ろうとすると外に予約客の人がいっぱい待っていたのだけど、お店の人に何人と聞かれて、一人でぶらっと来ましたと言うと、一人なら入れるよということで、カウンターで呑んでいました。一人酒ってけっこう居酒屋にとってはいいそうです。団体客はたいして注文せず、だらだら話をして、長居をすることも多いそう。一人酒は何も話さず、もくもくと酒を飲み、肴を食し、カウンターの特権で板さんとちょっとだけ話して、ぱっと帰る。美学だなぁ。
しかし、ちかごろの居酒屋、若いお客も増えたね。うれしいいいことです。居酒屋よ、永遠なれ。
堤未果さんの「日本が売られる」を読む。「日本が売られる」とは政治の法律改変によって海外のグローバル資本に日本が戦後に育んできた貴重な共有財産が売られていることを指す。
そう、売国とか売国奴などという言葉があって、その言葉自体に何らかの少数意見への差別やら、軍国主義の匂いがして、ぼくは好きではないのだけど、むしろ、その言葉に似つかわしいのは彼等の方であったらしい。
売られている品目はこれらで、すべて「日本の」、もしくは「日本人の」という言葉が頭に付き、それは、水、土、タネ、ミツバチの命、食の選択肢、牛乳、農地、森、海、築地、労働者、日本人の仕事、ブラック企業対策、ギャンブル、学校、医療、老後、個人情報。それらが売りに出されているわけです。堤さんはこれらを買うのは「今だけカネだけ自分だけ」の徒であり、それによって次々にぼくたちの生活の当たり前だった足元が崩されていっていると書いている。
しかも、それはグローバル資本主義の名のもと全世界で進行中であるらしいのだ。昔、19世紀の半ばにカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは「共産党宣言」でこんなことを書いたのだよ。
「一つの妖怪がヨーロッパにあらわれている、――共産主義の妖怪が」
妖怪はベルリンの壁の崩壊とともに消え去ったように見えたのだけれども、21世紀の初頭はこんな風でもあるのだよ。
「一つの悪魔が世界にあらわれている、「今だけカネだけ自分だけ」という資本主義の悪魔が」
杜甫の詩に「国破れて山河ありき」という言葉があるけれど、「山河」こそ「国」の始まりで、そこからしか何もないという気もするのだけど、今や「山河」も、日本では2016年に農地法を変えて大売出し中らしい。赤尾敏や野村秋介が生きていたら何と言うだろうか? やはり夏目漱石は「この国は滅ぶね」と言っているかもしれない。
その滅びる前にすることがあって、ラストの章の「売られたものは取り返せ」に少し救われた。
そう、売国とか売国奴などという言葉があって、その言葉自体に何らかの少数意見への差別やら、軍国主義の匂いがして、ぼくは好きではないのだけど、むしろ、その言葉に似つかわしいのは彼等の方であったらしい。
売られている品目はこれらで、すべて「日本の」、もしくは「日本人の」という言葉が頭に付き、それは、水、土、タネ、ミツバチの命、食の選択肢、牛乳、農地、森、海、築地、労働者、日本人の仕事、ブラック企業対策、ギャンブル、学校、医療、老後、個人情報。それらが売りに出されているわけです。堤さんはこれらを買うのは「今だけカネだけ自分だけ」の徒であり、それによって次々にぼくたちの生活の当たり前だった足元が崩されていっていると書いている。
しかも、それはグローバル資本主義の名のもと全世界で進行中であるらしいのだ。昔、19世紀の半ばにカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは「共産党宣言」でこんなことを書いたのだよ。
「一つの妖怪がヨーロッパにあらわれている、――共産主義の妖怪が」
妖怪はベルリンの壁の崩壊とともに消え去ったように見えたのだけれども、21世紀の初頭はこんな風でもあるのだよ。
「一つの悪魔が世界にあらわれている、「今だけカネだけ自分だけ」という資本主義の悪魔が」
杜甫の詩に「国破れて山河ありき」という言葉があるけれど、「山河」こそ「国」の始まりで、そこからしか何もないという気もするのだけど、今や「山河」も、日本では2016年に農地法を変えて大売出し中らしい。赤尾敏や野村秋介が生きていたら何と言うだろうか? やはり夏目漱石は「この国は滅ぶね」と言っているかもしれない。
その滅びる前にすることがあって、ラストの章の「売られたものは取り返せ」に少し救われた。
カテゴリー
最新コメント
最新記事
(02/12)
(02/09)
(02/09)
(02/08)
(02/08)
(02/08)
(02/08)
プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
ブログ内検索
最新トラックバック