えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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八王子にある川魚専門の居酒屋「小川の魚」に入ってみました。店内の昭和の香りが好ましく、丁寧な川魚料理がとても美味しい。そして、ただの茄子焼がこんなにおいしい料理に仕上がるのに、本当にびっくりしました。

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小林正樹監督の「東京裁判」を見ました。4時間50分にわたる長編ドキュメンタリー映画は「東京裁判」と呼ばれた極東国際軍事裁判(The International Military Tribunal for the Far East)、第二次世界大戦の敗戦の日本の戦争遂行者たちの裁判のアメリカ合衆国に残された記録映像とその裁判のは背景となる戦中のニュース映像などがさしはさまれる。4時間50分の間、眠くならずに、おもしろい。この映画は日本のみならず、世界のかけがえのない財産で、何か、世界がおかしくなり始めた時も、そうでないときも周期的にリバイバル上映してほしい。中学校や高校の視聴覚室で現代史の教材として、なにも補足説明せずに上映してほしい。反戦にして反骨の映画監督、小林正樹、偉大なり。

(ここからちょっとネタバレあります)

驚くことに、戦争犯罪人の弁護をアメリカ人の弁護士がとても真摯に熱心にしていること。ただ、それらの弁護のほとんどは、判決の時、判事たちに却下されている。ただ全員を無罪とするインドからの判事のような人もいたのだ。

28人の被告が指名されたのだが、それは、改造して作った法廷の被告席が28席しかなかったからという。その1席が空白なのは、1日目の法廷で前の席の東条英機の頭を叩いたり、泣いたり喚いたりする、民間人にしてたった一人の被告として、法廷に座らされた大川周明が、その奇行ゆえに退席させられ、精神病院に送られ、法廷にもどることを許されなかったことによる。ぼくはその時代随一の頭脳の大川周明が、まだ世界にたくさんの植民地の残るアジアやアフリカにある中、法廷で悪名高い「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」のイデオロギーを永遠と長時間ぶち、発信されるのを恐れたのかなと思う。けれども、当時の日本の軍部や政府は大川周明のそれとは違う植民地主義の他人族への抑圧の血にまみれていた。ABCD包囲網もことやら、南京虐殺のことも映画の出てくる。

裁判の終盤になり弁論席に座る姿の登場する、すべての勲章を外した陸軍の軍服姿の東条英機のふてぶてしさは、検察官や判事たちの逆鱗にふれたかのようだ。そして、マッカーサーの指示によりアメリカの主席検察官が天皇に戦争責任はないとの誘導的な証言を被告から取ろうとする。東条英機(元首相)は、その旨の証言をし、裁判は急速に結審に向かう。ちかごろの東条英機の靖国神社への合祀や天皇の参拝についてどう考えればいいのだろう? 憲法九条を擁護する梅原猛のもう一つの論、いわゆる「怨霊史観」に従えば、日本への怨みを呑んで死刑された東条英機のために東条神社を作るべきかもしれない。

こんな軍隊とかたくさん出てくる映画を見つつも、ぼくはやはり軍国主義は嫌で、それを復古しようとする人がたくさんいて、そんな人らが大きな力を握っているかのような今の日本が危うく、居心地悪く感じるよ。

映画『東京裁判』
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こんな夢を見た。ぼくは、結婚式はあげずに、役所に婚姻届を出して結婚して、友だちの家のホーム・パーティーで、ぼくと結婚した相手の彼女はよく飲み、よく食べ、はしゃいでいる。いつしか、彼女は、先に帰るね、と言い置きして帰ってしまう。夜も更け、ぼくも家路につく。帰ってきたところは彼女のアパートではなく、ぼくの家だったのに気付いた。あっ、結婚したのだから彼女のアパートに帰らなくては、とぼくは思う。歩いて45分ぐらいだな、と思う。すると、別の部屋で母の目覚めたような音と気配がする。ここで一人ぼっちで暮らすのなんて寂しかろう、と思う。そうだ、これから夜遅く彼女の家に行き、朝、いっしょに目覚めたなら、この小さなアパートを引き払い、ぼくの家で暮らそう、と言おうと思う。

そこで目が覚めた。リアルだけどリアルでもない、何ともとらえがたい夢を見たものだ。人生はたかが百年にも満たなくて、人が人といっしょにいられる時はそれは短く、大切なもので、あっという間に過ぎ去っていくものなのだ。
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澤地久枝さんの著した「14歳〈フォーティーン〉 満州開拓村からの帰還」を読みました。

澤地さんは、ちょうどぼくの父や母と同じ世代ですが、父や母は面と向かってぼくに戦争について話してくれたことはないですし、ぼくから、無理に戦争について話を聞こうとしたことはありません。それほど、戦争は重たい経験で、おいそれと話せるものではないのかもしれません。澤地さんにとっても自らの戦争体験について書くことは初めてのことだそうです。

「少女」を主人公とする三人称の美しい小説のような文体のこの「14歳〈フォーティーン〉 満州開拓村からの帰還」は、すべて澤地さんの記憶から丁寧に紡がれたもうのだそうです。「おわりに」と題されたあとがきから一説を引用します。

「戦争がどんな残酷なものか、戦争下の情報隔絶状態によってどこへ連れてゆかれたかを語るいとぐちとして、少女の物語を書いた。だが、なんという時代になってしまったのだろう」

もう少しで夏休みもおしまいですね。中学生や高校生には、ぜひ「14歳〈フォーティーン〉 満州開拓村からの帰還」を読んで、宿題の読書感想文を書いてみてはどうでしょう?





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ジョルジュ・ガショ監督の「ジョアン・ジルベルトを探して」を新宿のシネマカリテで見ました。

ロードムービーでありドキュメンタリのこの映画で、ジョルジュ・ガショはボサノバの法王と呼ばれたジョアン・ジルベルトに会おうと探し、リオデジャネイロの町を彷徨う。それは、先行してジョアンを探し求め、会えずに出版されたドイツの小説家、マーク・フィッシャーの著した一冊の本「Ho-ba-la-lá〜ジョアン・ジルベルトを探して」を携えての旅でもあった。「Ho-ba-la-lá〜ジョアン・ジルベルトを探して」の出版の直前に40歳という若さで自ら命を絶ったという。マークはこんな言葉も書き残しているらしい。

「ドイツをナチスの亡霊から解放し、ブラジル化しなくてはならない」

この言葉にぼくは自分の国に引き寄せて、復唱してみる。

「日本を大日本帝国の亡霊から解放し、ブラジル化しなくてはならない」

ぼくはブラジルのことをジョアン・ジルベルトらのボサノバやサンバの音楽でしか知らないのだけれども。

さて、ジョアン・ジルベルトに話を戻し、ぼくは二度、ジョアン・ジルベルトの日本での公演を見そこなっている。三度目の来日時に、予約しようとしたが、発売直後に完売し、見れず、これが最後の日本公演だろうと思われた四度目の公演はチケットを取れたのだけれども、ジョアンは体調不良で日本には来なかった。そして、ぼくはジョアン・ジルベルトは未だにいつでも聴いている。けれども、CDやレコードで聞くジョアンは本物のジョアン・ジルベルトではなく、ジョアン・ジルベルトの生き写しの幻影であるかのようなのだ。四度目の公演中止となった後、ぼくはアマゾンでその四度目のコンサートのパンフレットを見つけて、買って、大事にしまってあるのだけれど、ぼくも、ジョルジュやマークと同じように、本当のジョアンがどこかにいて、いつも心の片隅で探し求めているかのようなのだ。この「ジョアン・ジルベルトを探して」のラスト・シーンの監督の姿にぼく自身が重なり、なんともいえない気持ちになりました。

映画の中のコルコバードの丘やコパカバーナ海岸のあるリオデジャネイロの景色が美しかった。

映画「ジョアン・ジルベルトを探して」公式サイト
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町田のディスク・ユニオンで見かけ、買ってしまった、今は亡き中村とうようさん著したの「アイウエ音楽館」を読んだ。もうこんな唯一無二の視点で世界中のポップ・ミュージックを論じれる人はいないだろう。

この本は「アイウエオ」順に「ン」まであって、子ども向けに、それぞれポップ・ミュージックを独自の視点で3頁ほど紹介しているそれが51章ある。例えば、「イ」は「イギリスの音楽」となっており、その欄外に白眉で独自なビートルズとジョン・レノンの論が述べられていて、素晴らしい。それをご紹介し、中村とうようさんにぼくはいつまでもレスペクトを表したいのです。

「イギリスのリバプールなんて町を、日本の若い人たちが知っているのは、ビートルズのおかげだろう。
 むかしイギリスが世界一の大国であったころ、リバプールの港は奴隷貿易で栄えた。この港を出た船がアフリカからアメリカに奴隷を運んでタンマリもうけたのだ。奴隷の子孫の黒人たちの音楽がアメリカでロックになった。リバプールの町がすっかりさびれてしまったころ、そこで生まれたビートルズが新しいロックでリバプールの町を有名にした。ビートルズがなくなってしまって、ビートルズは失業者だらけのさびしい町となっている。
 ジョン・レノンやポール・マッカートニーがロックに夢中になったのは自分たちの町の暗い過去がいやでたまらなかったからじゃないだろうか。とくにレノンが、いつも人びとに愛と平和の大切さをうったえつづけたのは、イギリスが世界でたくさん悪いことをしてきたのを知っていたからだろう。それで、かれはインド音楽のラビ・シャンカールの教えをうけ、日本人の小野洋子さんと結婚し、アジアの心に近づこうと努力した。
 レノンはマイケル・ジャクソンとはまったくべつの意味で、これまでのポピュラー音楽にはいなかった、新しい生き方をした大スターだった。そして四十歳のときに、ピストルでうたれて死んでしまった。」





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町田市立国際版画美術館に「畦地梅太郎・わたしの山男」を見に行きました。見ながら、これは、昔、行った山小屋のお土産に売っていた絵ハガキの元の木版画だと思う。畦地梅太郎さんの版画にある時、突然、山男が山の中から現れて、それが結婚し、家族を持ち、子どもも増え、山を下りてくる、そんな物語も、ぼくの心のどこかに夢のように版画の向こうに見えてきてしまう。そんなありふれていそうで、ありふれていない鈍い自然の色の木版画なのでした。

同時開催の「インプリントまちだ展2019-田中彰 町田芹ヶ谷えごのき縁起」も素晴らしかった。大きな一部屋がまるごと一つの作品であるかのようで、聖なる樹木のたくさんの精霊が部屋のあちこちで遊んでいるかのようです。

(田中彰さんの電熱ペンでの木版画、ぼくもしてみたくなりました。次のぼくのCDのジャケット・デザインは木版画がいいかも)

畦地梅太郎・わたしの山男

インプリントまちだ展2019-田中彰 町田芹ヶ谷えごのき縁起
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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