えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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東京藝術大学大学美術館に「あるがままのアート −人知れず表現し続ける者たち−」展を見に行った。何を見てもおもしろい。何か、やさしいような、鈍器のようなものが心に深く刺さってきて、見ていると鳥肌が立ってきた。

特別展「あるがままのアート -人知れず表現し続ける者たち-」
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「木喰五行明満上人道歌抄」を読みました。たった二十二頁の木喰上人の歌集で、この前、訪れた木喰の里微笑館で購入したものです。木喰上人とはどんな人か? この本というより冊子に書かれた「木喰上人略伝」から引用すれば、こんな人だったらしい。

「心願として八宗一見を志し、日本全国中普く霊仏霊者を参して其法印を印せざる所なく、永き遍路の一生を随所に一夜の説教と、一切四百衆の病を見る事と、而て因縁のある所に千体仏を遺す事とを以て特に優れたる行蹟として、今尚ほ国々の全土に其跡が残って居る」

木喰上人は生涯の旅の途中でたくさんの書画も残した人で、この「木喰五行明満上人道歌抄」の歌はその一部であるとのこと。ありがたき、いくつかの歌をご紹介いたします。

日月の。心の神の。天てらば
     祈る心も。おなし日月

皆人の。心に咲きし。白蓮花
     花は散りてもたねはのこらむ

我心。にごせばにごる。すめばすむ
     すむもにごるも。心なりけり
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近所でたくさん百日紅の花が咲いています。葛飾北斎が愛した花「百日紅」は「百日紅」と書いて「さるすべり」と読みます。木がつるつるでお猿さんも滑って落ちるのかも。散っては咲いて、散っては咲いて、夏中、咲きつづけます。




「百日紅」という杉浦日向子の描いた劇画があって、よかったな。それを原作にした原恵一監督のアニメ「百日紅」もよかった。

夏です。







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新宿から町田までの小田急線のロマンスカーに乗って、偶然、チケットが展望席で取れてしまった。乗り鉄の心ウキウキワクワクで、新百合ヶ丘から町田あたりまでムービーを撮りました。ご覧あれ。

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キャサリン・ベインブリッジ監督のドキュメンタリー映画『ランブル 音楽界を揺るがしたインディアンたち』を見る。原題は『Rumble: The Indians Who Rocked The World』。

ジミ・へンドリックス、ロビー・ロバートソン、そして、ぼくの大好きなギタリスト、ジェシ・エド・デイビスがネイティブ・アメリカン、所謂、インディアンに出自を持つことは知っていたけれど、リンク・レイというギタリストは知らなかったな。リンク・レイのインストのヒット曲「Rumble」は今ではハードロック、パンクロック、ヘビーメタルの元祖ともいわれ、初めてパワーコードでエレキギターを演奏した曲であるそうで、なみいるロック・ミュージシャンは畏敬の念で彼のギターサウンドから影響を受けたという。そのリンク・レイを皮切りに、アメリカの音楽へのインディアンのミュージシャンの貢献が映像と音で語られる。

近年ではインディアンとは呼ばずに、「ネイティブ・アメリカン」などと呼ぶそうだけれど、この映画『ランブル』では歴史の苦難を直視し、それを含めて、尊敬から「インディアン」と呼んでいると思う。

アメリカのポップミュージックへのインディアンの貢献は深くて、広範だ。ブルースの祖、チャーリー・パットンがインディアンに出自を持ち、ブルースのもっとも初期の歌姫、ミルドレッド・ベイリーもそうであった。

そうだ、多くの白人の若い人が「Black Lives Matter(黒人の命は大事)」のデモに参加し、この『ランブル』のような映画が公開されている。アメリカは変わりつつあるみたいだ、いい方に、などと、想像をめぐらしながら、ぼくはこの映画をとても楽しみ、歌い演奏するインディアンのミュージシャンへの尊敬を込めて描かれる映画を心から喜んでもいたのです。

そして、ぼくの大好きなジェシ・エド・デイビスがタジ・マハールと演奏しているムービーを紹介します。あー、ジェシ、かっこいなぁ。


『ランブル 音楽界を揺るがしたインディアンたち』公式サイト
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車でドライブがてら、座間神社にお参りした。

神社のすぐ隣はいわゆる米軍座間キャンプで、座間神社に来れば、複雑な気持ちにもなろう。今や、座間キャンプは東アジアにおけるアメリカ軍の総司令本部で、ロシアや中国、もしかして北朝鮮の核弾頭もここに向けて基地に設置されているのだろう。ドレッドフル、終末を感じさせられる恐ろしさです。改めて平和を求めていくしかない。

今年は新型コロナウィルス禍で座間市のひまわり畑のお祭りも中止。座間神社の元の由来は飯綱権現で、座間神社のホームページによればこんなことらしい。

「欽明天皇のころ(539年~)、座間の里に悪疫が流行し村人たちは大変苦しみました。その時白衣の老人(飯綱権現の化身)が現れ、山すそから湧き出る清水を使うようにと告げました。村人がそのお告げに従い湧き出る水を汲んで飲み水としたところ、悪疫がおさまりました。感激した人々が飯綱権現を祀ったのが、座間神社のはじまりと伝えられています。御神水は、座間神社の石垣の下、神社会館すいめいの右脇空き地の奥にあります。神社建立の由来ともなっているこの湧水は夏は冷たく、冬は温かい水です」

本殿に近くに立つシイの樹は強い気を発する御神木で、健康成就・病気平癒・延命成就などの御利益を授けてくれるという。

御神籤をひいたら大吉でした

「第二十七番 御神籤

 ときくれば
  枯木と
   みえし
 やまかげの
  さくらも
 花の
   さき
 においつゝ
 
 初めは冬の枯木の葉おちて花もなく寂しく此末如何なろうかと気遣うも其内に春となって花さく如く末よき運なり何事も慎み退屈せず時をまてば必ずよし」

ゆめゆめうたがふことなかれ
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こんな夢を見た。ぼくは一人で小さな飛行機、プロペラの旅客機に乗っている。乗客はぼく一人で、キャビンアテンダントもいない。窓側に座っていて雲の下に夜の町並みが見える。床のところにも、ところどころ窓があり、そこからも町明かりが見える。飛行機はどこに向かっているのだろう? やがて朝になり、どこかの高原に飛行機は着陸し、タラップをぼくは降りると、パイロットがぼくを迎えてくれる。ここはどこですかと尋ねると、パイロットはタイのはずれの高原ですよと答えてくれる。あたりにはうっすらと朝霧がはっている。それは、それは大きな別荘の中に飛行機は着陸したようだ。人は見当たらないのだけれど、気持ちよい庭に面した広いオープン・テラスでたくさんのサラダが盛られ、羊か牛の大きな肉がこんがりと焼けていておいしそうだ。さて、ここは誰の別荘なんだろう? あたりを散策し始める。誰かに出会えるはずだ。

そこで目が覚めた。浦島太郎の竜宮城は、ぼくにとってはタイのはずれの高原の知らない別荘なのでしょうか? また、夢の中で訪れてしまいそうだよ
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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