えいちゃん(さかい きよたか)

えいちゃんのぶろぐ

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日本語で詩を書くアメリカのミシガン生まれの詩人、アーサー・ビナードさんが著し、編集した、第二次世界大戦の経験者からの語り聞きの『知らなかった、ぼくらの戦争』を読了しました。アーサー・ビナードさんは日本やアメリカのいろんな人の戦争の実体験を聞き、その感想を書いておられます。

今日は令和3年の8月15日、日本が第二次世界大戦で敗戦した日で、死者たちの戻って来るという盂蘭盆会。『知らなかった、ぼくらの戦争』を読みながら、ぼくの父は、日本の中国での傀儡国家、満州国で敗戦を迎え、敗戦後の数年間をシベリアで抑留し、日本に帰国するという、経験を持つのに、それについては何も語り、教えてくれることはなかったことを思い出す。何も語らずに逝ってしまった父のことを、ぼくは少し狡いと、いつも思ってしまう。そんな父の語らなかった言葉を聞きたくて、『知らなかった、ぼくらの戦争』のような本を読んでいるともいえます。

たくさんの市井の人が体験した戦争について語っておられ、この本に収められています。その中にはちらほらと有名な方の言葉もあって、最後の章でスタジオ・ジブリの高畑勲さんが語っておられ、加害者としての戦争は描けていない、いつかそれを描きたいと言っておられます。この『知らなかった、ぼくらの戦争』に治めれているのは日本人とアメリカ人の言葉しかありません。自らを一等国民などと称して、特別視して、抑圧者であった日本や日本人のことを、東南アジアや中国の人たちはどう思っていたのでしょうか? その問いでこの本は締めくくられているようにも思う。

唯一の生き延びる道だという「戦後づくり」ということについてのアーサー・ビナードさんの後書きの一部を引用して、ぼくはこの感想文を締めくくります。

 アメリカの詩人、エドナ・セントビンセント・ミレーは一九四〇年に「平和」をこう定義づけた。
「平和とは、どこかで進行している戦争を知らずにいられる、つかの間の優雅な無知だ」―
ミレーは一九五〇年のこの世を去ってしまったが、もし彼女が日本の「戦後」に触れていたなら、定義の時間軸をもっと長くして「つかの間」はやめて、ただ「優雅な無知」と表現したのかもしれない。
 いや、単なる「優雅な無知」だったら、七十年はつづかないだろう。
 たとえ「優雅な無知」ですごしている人たちが比較的多くても、中にはあの戦争を背負って後始末しながら日々、「平和」を生み出している人がいる。その営みがあって「戦後」という日本語は、現在も意味をなしているのじゃないか。






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昨日、うらたんざわ渓流釣場から家路への天気雨の中、車を運転していて、ちょうど小倉橋のところのインターチェンジで圏央道に入ろうとしたところで、大きくて奇麗な虹を見たんだ。相模原の台地にかかった大きな虹。相模原って悪いことも起こって、相模原の市民ってまとまりがなくて、けれども、大丈夫だ、っていうサインとか、大げさかもしれないけれど、啓示のように思えました。あんな美しい虹は初めて見たよ。

(運転中だったので写真はありません。)
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山田洋次監督の『キネマの神様』を見ました。おもしろかった。

舞台は2019年と2020年の古い老舗のフィルム上映の映画館。沢田研二さんの演ずる競馬で借金をし、酒浸りなだめなおじいさん、ゴウが松竹の大船の映画撮影所で助監督をしていたころの青春時代を回想するところから始まります。

沢田研二さんは新型コロナウィルス由来の肺炎で亡くなってしまった親友の志村けんさんの代役で、セリフとか、いかにも志村けんさん向けに書かれていたのだけれども、ジュリーのだめおじいさんとして、見事に演じきっております。すばらしい。ジュリーは年をとっても、太っても、なんかかっこいいなぁ。

回想シーンの1950年ごろだと思われる大船撮影所の空気が戦後の日本の青春という感じで、とても素敵です。この回想シーンは小津安二郎へのオマージュとなっており、撮影している映画は「東京物語」ではなく「東京の物語」。

小津安二郎らしき監督を演じているのはリリー・フランキーで自然な名演技なのです。若き日のゴウを菅田将暉くんが演じ、その恋人の淑子を永野芽郁さんがなんともかわいらしい。みんな、あのころのウブで夢も希望もはっきりと見れていた、そんな日本人になりきり、演じきっている。

そんななか、特に出色なのは銀幕女優、桂園子を演じる北川景子さん。北川景子さんの演じる女優が、小津映画の伝説の名女優、原節子に見えてきます。

そして、ゴウが若き日に書いた脚本と折り重なるかのように訪れる終幕の映画の魔法、マジック! とっても楽しめました。

映画『キネマの神様』公式サイト
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東京都現代美術館に『GNKYO 横尾忠則』展を見ました。横尾さん自身がプロデュースした大展覧会を見ながら、横尾忠則さんはかっこいいと思い、横尾さんの絵画に内包されているエネルギーに圧倒されていました。ポスターから絵画へ、今でも、枯れることなく、ぼくが思うに奇想の人、横尾忠則さんはグラフィックというか、具象の二次元の表現の圧倒的なアバンギャルドだと思う。描き続けてきた三叉路や滝の絵のシリーズも面白い。近年の「寒山拾得」(中国唐の時代の高僧、寒山と拾得のこと。文殊菩薩もんじゅぼさつ、普賢菩薩ふげんぼさつの生まれ変わりといわれる。二人とも奇行が多く、詩人としても有名で、禅画の画題としてよく用いられている)の絵は横尾さんの人生の今の到達点でもあるかのようだ。図録を買ったのだけれど、それに横尾さんのインタビューが掲載されていて、近ごろでは自分の人生はもう残り少ないと感じておられて、描いても、描かなくても、毎日アトリエに行くそうだ。百歳を越えても、もちろん、描き続けてください。

併設されていた『Journals 日々、記す』展もおもしろかった。この『Journals 日々、記す』展の照屋勇賢さんのマクドナルドの包装紙を切り抜いて、ニューヨークのマディソンアベニューの実際に生えている樹木を造形したいくつもの作品を見ていたら、感動して、鳥肌が立ってきていた。これらは照屋さんによれば「高校生の時に授業で聞いた「どんぐりには樫の木の記憶が入っている」というアリストテレスの自然哲学を思い出し紙袋の中で眠っている森を呼び覚ましてやろう、と考えた」ということだそうです。これらは二十一世紀のアクチュアルで、未来すらも呼び覚ます概念の具象だとも思いました。

GENKYO 横尾忠則 [原郷から幻境へ、そして現況は?]

MOTコレクション
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メリーナ・レオン監督の『名もなき歌』を見ました。

この映画の物語は実話に基づき、1988年のペルーのリマで出産したばかりの子どもを盗まれたインディオの二十歳の少女とある新聞記者が出会うところから、それは動き始める。緩やかなサスペンスがモノクロームのイタリアン・ネオレアリズモのような手法で描き出され、昔のペルーの闇が浮き上がってくる。ラテンアメリカの映画はほとんど見たことがなかったのだけれども、メリーナ・レオンさんが初めて監督をした作品に何か意志のような、新年のような強いものを感じた。

この映画で描かれた状況の8年後のペルーの日本大使館で起きた「在ペルー日本大使公邸占拠事件」を思い出す。この事件を引き起こした14人の所属するトゥパク・アマル革命運動にも、その14人を全員を射殺した当時のアルベルト・フジモリ政権にも、ぼくは共感できなかった。ただ、その14人の中にたくさんの十代の少年や少女がいたことを、ただただ悼むことしかできなかった。

ペルーのこの若いメリーナ・レオン監督はそれがどんなに痛ましいことであろうと、昔を忘れるな、と声低く、世界に耳打ちしているかのようなのだ。そして映画『名もなき歌』のラストに「名もなき歌」がどんな歌なのかが明かされる。その歌にぼくは泣かずにはいられない。

映画『名もなき歌』公式サイト
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旅の帰り道、何度も訪れたことのある富士川・切り絵の森美術館に行ってきました。

常設展示に海外の作品がふえていたりして、ほーっと感心します。

切り絵って見ていると、それは美術品でもあり、工芸品でもあるようで、さらに二次元でもあり、三次元でもあるような、そんなところに惹かれます。そのようなことが際立つかのような企画展「紙わざ大賞展 in やまなし」も開かれておりました。これって紙でできているの? 手で触れてみたくなりますが、そこは我慢我慢。

企画展「紙わざ大賞展 in やまなし」開催中!
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山梨県南巨摩郡早川町に旅をした。





何回かやってきたこの町には、早川町の名前通りに早川が流れていて、たくさんの南アルプスの山々からの支流も流れ込んでいる。フライフィッシングもこの旅の目的の一つです。

おばあちゃんたちの店の駐車場に駐車の許可を取ろうと、話をすると、南アルプス邑野鳥公園のわきを通って早川に流れ込む黒桂河内川は台風か何かで起きた土砂崩れによって立ち入り禁止だという。ちなみの「南アルプス邑野鳥公園」の「邑」は「むら」と読み、「黒桂河内川」は「つづらこうちがわ」と読みます。かわりに案内された名もなき川に行こうと、ウェイダー(釣り人がはく腰の上まである大きな長靴)をはいて、歩いていると、軽トラックのおじさんに、釣りですか、釣れましたか、と声をかけられたので、ぼくは、これから行くところです、と答える。軽トラのおじさんは、川の橋と橋の間に、三月に魚を放流したので、いないこともないよ、今度の八月八日に魚を撒くからその時は釣れるよ、などと教えてくれる。

おじさんにいわれた通りに、人が一人歩けるほどの吊り橋と吊り橋の間を、釣りをしながら川上にあがったけれど、魚影やライズ(魚が虫を食べようと水面にあがってきて、水面が少しふくらむ)は見えず、釣果はゼロ匹でした。

帰りに、また四十分ほど、駐車場まで歩かなくてはならない。水を通さないウェイダーを着て、炎天下を歩いていると、熱中症で倒れるかと思いました。夏用にウェットタイプの水に濡れるウェイダーがある理由がわかりました。

それにしても、この早川町を縦断して通る県道三十七号線、南アルプス街道を歩いていると、ひっきりなしにダンプカーが走っていて、道を片側通行にして、そこかしこに警備員がダンプを誘導していて、たくさんの工事をしている。リニアモーターの新しい新幹線のための工事をしていて、巨大な土塁が高く積まれているのを見て、悲しくなる。リニアモーターカーだって? スピードなんてもういらないよ。この町にも何らかの名目でお金が入ってきているのだろうか? 近くには野鳥のサンクチュアリである南アルプス邑野鳥公園もあるというのに。新しい新幹線はこの町を耳をつんざく騒音をたてながら通過していくだけ。挨拶ぐらいはしろよ。こんちきしょう! 巨大な土塁を見ていると、涙が出てきた。川の水の中、森の木々から見る世界のことをぼくは思っていました。

夕方、昔、早川北中学校であった宿、ヘルシー美里に着いた。ここだけは、いつもと変わらず、ぼくを迎えてくれました。

翌朝、釣りをしに近くの川まで行こうと歩いていると、昨日と同じ軽トラのおじさんに、釣れましたか、と声をかけられた。ぼくは、これから行くところです、と答えると、あまり川の奥までは撒いていないから、と教えてくれた。ふと、魚を放流するのも大事だけれど、魚を定着させることも大事ではないかと、僭越ながらも思った次第です。

フライフィッシングを野山に出て、してみて、思ったこと。渓流に降りる、入渓ポイントというのを探すのがとても大変です。近所の相模川のようにはなかなか川まで降りられません。インターネットの情報で見つけた、踏み跡を行けば安全に降りられるという入渓ポイントを見つけ、草ぼうぼうの厳しさに、躊躇し、足腰の弱い、体力に自身のないぼくは下りられなかったこともあるよ。

釣行の釣果はゼロでも面白く、ほろ苦くも楽しく、どこか考えさせられる旅となりました。

いつかぼくのカーティス・クリーク(誰にも知られたくない秘密の川)が見つかりますように。
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プロフィール
HN:
えいちゃん
性別:
男性
職業:
S.E.
趣味:
音楽
自己紹介:
音楽を演奏したり聴いたりするのが好きです。
歌ってしまいます。そしてギターも少々。
Sam CookeやOtis Reddingなど古いR&Bが好きです。
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