えいちゃん(さかい きよたか)
えいちゃんのぶろぐ
「熊鷹」という掌篇の小説を書いてみたのです。披露いたします。
熊鷹
彼は下手な釣人であった。渓流の流れに虹鱒もしくは山女魚が見えるのだが、なかやか釣れない。釣竿を振り何度も毛鉤を川面に投げた。釣れない。空には熊鷹が舞っていた。羽ばたかず、風切り羽は空気を切っている。すると数十メートル先の川面に熊鷹は降下した。何度も降下した。そのうち熊鷹は空の向こうに行ってしまった。釣人は熊鷹の降下したところに来ると、そこは魚たちの溜まり場であった。熊鷹は狩りに失敗したようだった。釣り人は今日もかんばしい釣果がなかった。数匹は釣れた。釣り具をしまい、車に乗り、その川から離れていこうとすると、目の前に車を先導するかのように熊鷹が飛んでいた。熊鷹の鉤爪には一匹の鱒が握られていた。魚を見せびらかすかのようだった。釣り人は車のハンドルを握りながら、ついにやったか、と独りごちた。
釣り人に月日が経った。昔、狩りをした熊鷹に会った川に釣竿を持ち立った。何匹も釣れることに、驚いた。釣り人は上達していた。これで十四匹目だ。今日は釣れるなどと気を緩し、毛鉤を外す時、魚の口の中の少し奥まった処を切ってしまったようだったが、釣り人はいつものように放した。大丈夫かなと思い魚を見つめていた。魚は泳いで行った。しばらくして、魚の鰓の辺りに血が薄く滲むようだった。さらに魚は泳がなくなり、白い腹を上にして漂う。失敗した。持ち帰って食べるか、毛鉤を外すのではなく、糸を切るべきであったと後悔した。糸を切ればほとんどの魚の毛鉤は反しを潰していれば、そのうち自然に外れるそうなのだ。釣人に苦々しい嫌な気持ちが広がった。悔みながら遠くでゆっくり流れて行く魚を暫くは目で追っていた。するといつの間にか熊鷹が空を舞っていた。あの時の熊鷹かもしれない。もしかしてと釣り人は思った。熊鷹は魚の回りの空を優雅に旋回しているようだった。何度でも旋回する。やはり駄目かと釣り人が魚から目を離すと後ろの方からばしゃっと音がした。熊鷹は川面で何かを掴んでいた。それはさっきの弱った魚であった。確かにその鉤爪が魚を掴み、熊鷹は空を飛びどこかへ帰っていくようだった。
熊鷹の巣には熊鷹の雛がおり、その雛に親の熊鷹が口移しで、魚を少しづつ与える姿が釣人の心に浮かび、釣人は救われた気がした。魚の命は循環の中で救われた。小さな雛は魚によって命を繋ぐことができた。釣人の心は熊鷹に救われたかのようでもあった。王者というものがいるとすれば、熊鷹よ、おまえこそが森の、山の王者だ。空の高みから渓谷の川面に僅か数秒で降り立ち、悠々と音もなく空を飛び、狩りの獲物を鉤爪で掴み、雛の巣に帰るおまえが王者であることは、もう釣人には疑えないのだった。そうであればあの傷つけられ、熊鷹に捕らえられた虹鱒は神のごときものではあるまいか。森羅万象が輝き始めることを見とった釣人は、空を見上げかろうじて地に立ち嗚咽し泣き始めた。
熊鷹
彼は下手な釣人であった。渓流の流れに虹鱒もしくは山女魚が見えるのだが、なかやか釣れない。釣竿を振り何度も毛鉤を川面に投げた。釣れない。空には熊鷹が舞っていた。羽ばたかず、風切り羽は空気を切っている。すると数十メートル先の川面に熊鷹は降下した。何度も降下した。そのうち熊鷹は空の向こうに行ってしまった。釣人は熊鷹の降下したところに来ると、そこは魚たちの溜まり場であった。熊鷹は狩りに失敗したようだった。釣り人は今日もかんばしい釣果がなかった。数匹は釣れた。釣り具をしまい、車に乗り、その川から離れていこうとすると、目の前に車を先導するかのように熊鷹が飛んでいた。熊鷹の鉤爪には一匹の鱒が握られていた。魚を見せびらかすかのようだった。釣り人は車のハンドルを握りながら、ついにやったか、と独りごちた。
釣り人に月日が経った。昔、狩りをした熊鷹に会った川に釣竿を持ち立った。何匹も釣れることに、驚いた。釣り人は上達していた。これで十四匹目だ。今日は釣れるなどと気を緩し、毛鉤を外す時、魚の口の中の少し奥まった処を切ってしまったようだったが、釣り人はいつものように放した。大丈夫かなと思い魚を見つめていた。魚は泳いで行った。しばらくして、魚の鰓の辺りに血が薄く滲むようだった。さらに魚は泳がなくなり、白い腹を上にして漂う。失敗した。持ち帰って食べるか、毛鉤を外すのではなく、糸を切るべきであったと後悔した。糸を切ればほとんどの魚の毛鉤は反しを潰していれば、そのうち自然に外れるそうなのだ。釣人に苦々しい嫌な気持ちが広がった。悔みながら遠くでゆっくり流れて行く魚を暫くは目で追っていた。するといつの間にか熊鷹が空を舞っていた。あの時の熊鷹かもしれない。もしかしてと釣り人は思った。熊鷹は魚の回りの空を優雅に旋回しているようだった。何度でも旋回する。やはり駄目かと釣り人が魚から目を離すと後ろの方からばしゃっと音がした。熊鷹は川面で何かを掴んでいた。それはさっきの弱った魚であった。確かにその鉤爪が魚を掴み、熊鷹は空を飛びどこかへ帰っていくようだった。
熊鷹の巣には熊鷹の雛がおり、その雛に親の熊鷹が口移しで、魚を少しづつ与える姿が釣人の心に浮かび、釣人は救われた気がした。魚の命は循環の中で救われた。小さな雛は魚によって命を繋ぐことができた。釣人の心は熊鷹に救われたかのようでもあった。王者というものがいるとすれば、熊鷹よ、おまえこそが森の、山の王者だ。空の高みから渓谷の川面に僅か数秒で降り立ち、悠々と音もなく空を飛び、狩りの獲物を鉤爪で掴み、雛の巣に帰るおまえが王者であることは、もう釣人には疑えないのだった。そうであればあの傷つけられ、熊鷹に捕らえられた虹鱒は神のごときものではあるまいか。森羅万象が輝き始めることを見とった釣人は、空を見上げかろうじて地に立ち嗚咽し泣き始めた。
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